<ж20ж NG大賞                                 おまけ Vol 10>
ж 5 ж 湯村温泉                             
                         投稿日時2010/1/17(日) 午前 6:33  書庫大浴場  カテゴリー旅行

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 その年も残り2週間ほどとなったある日の事。
  奥さん「年末の温泉、予約取ったよ。」
  私  「へー今ごろよく取れたねー。で、何処?」
  奥さん「湯村温泉。」
  私  「・・・それ何処??」
という訳で、あわただしくパンフレットを取り寄せたり、インターネットで調べたりしてそれでもよくは実態が解らないまま、?ウーン?、と出掛けて行ったのが山梨県の甲府市にある湯村温泉。
 甲府市は言うまでも無く山梨県の県庁所在地であり、そのイメージは都市部という感じがある。しかし、実際にはかなり広い市域を持っていて、中心部から離れれば自然豊かな土地で、特に北の方は昇仙峡や金峰山の景勝地があり、直接長野県とも接している。
 そんな風光明媚な山の中の温泉ならば年の瀬の慌しさを忘れるのによろしかろうと、所在地を調べてみればなんとこの湯村温泉は町のど真ん中、甲府駅から車で10分、東京駅で言えば銀座、大阪なら中之島、博多なら天神、みたいな所にある。
 しかも、いくらインターネット予約をしたからといっても年末とは思えないような料金に、そもそも暮れの繁忙期にあっさり予約が取れるということからして、「こりゃー本当の温泉じゃないな」と思えてしまうのも当然の事。
 地方の都市へ行くと「○○温泉」と看板は掲げているもののその実態はビジネスホテルであり、地元の人の宴会も請け負うし、お二人様ご案内もやってしまう多角経営のそれである。
 かくして、窓を開ければ一面に隣の雑居ビルの壁が広がる、を覚悟してハンドルを握ったのは2002年12月29日。
 都心の渋滞を避ける為に秩父の山越えルートを選んだのだが、面白い事に栃木県から甲府市へ行く場合、足利から熊谷、秩父と抜けて行くと、栃木県を出てすぐの群馬県太田市で1回クランク状に曲がるだけで後はひたすら道なりに真っ直ぐ走れば着いてしまう、というカーナビ、ウインカーいらずのルートなのだ。
 もっとも高速道路が空いていれば時間的には勝負にならないが距離的にはこちらの方が近く、足利から約180Km 所要4時間というところである。
 さて、その秩父は雁坂峠を越えて甲府盆地に下ると急に建物が混み合ってきてそれが高層建築物になって来たあたりが山梨県随一の温泉地石和で、始めはこちらを狙っていたらしいのだが、ほとんど満室、空室があっても料金がすこぶる高い、という事であきらめた。
 かように、大抵の人が山梨県の温泉へと言うと、古湯下部温泉などには目もくれず、まずは石和温泉というように全国に名をはせた温泉ではあるが、その歴史は新しく、昭和36年に掘り当てられた出来立てほやほや、まだ湯気が上がっているような<温泉なので当然あがっているが>新名所なのである。
 掘り当てられた当時は畑の中で、噴出したお湯が溜まったにわか露天風呂に近在の人が集まったというが、交通の便のよさもあって急成長し一大温泉地となった。
 しかし、その辺りは山梨県では貴重な平野部であり、それを人が放っておくはずも無く、この40年で周りはすっかり宅地となり少し離れた国道140号線から見る石和はホテルなのかマンションなのかわからない建物が立ち並びどこが温泉なのか解らなかった。
 そんな石和温泉を遠目に見て、一度は、と思っていた気持ちが急に萎えてしまったのであるが、件の湯村温泉は更に街中にある。
 甲府駅近くまで来ると道の両側に高い建物が立ち並びはじめすっかり見通しも悪くなってますます「ムムム!」という気持ちになってきた。
 きらびやかなホテルや温泉病院が建つ湯村温泉入口交差点を右に曲がれば車のすれ違いがやっとの狭い道でいよいよ場末に入りこんで行く、はずなのであったがなんだか変。
 確かに狭い道の両側にはクチャクチャと建物があるのだが、それらが織成す風景は怪しげな路地裏ではなく時間を 30年位戻した温泉町の風景なのである。
 中小規模の温泉旅館が並び、温泉神社があり、共同浴場があり、で、その中でひときわ暖かそうな明かりを玄関先に燈していたのが今宵の宿、湯村温泉旅館明治であった。
 外見的には立派とは言いがたく、狭い敷地に鉄筋コンクリートの建物と駐車場を無理やり押し込んだような格好になっているが、玄関で靴を脱ぎスリッパに履きかえるという古い旅館方式で、一歩中に入ればなんとも落ち着いた雰囲気。廊下の板ばりはもとより、階段まで木でできており、なんだか木造の建物にコンクリートの建物をすっぽりとかぶせてしまったような感じだ。
 通された部屋は6畳ほどの狭い部屋であったが、家族4人(子供が小さいので蒲団は3組で頼んであった)なら十分である。
 それにしても、部屋がちょっとうすら寒い。大抵は客の到着時刻に合わせて部屋を暖めておいてくれるものだが、やはりその程度の宿なのかな、それともこの辺りの人はこれで適温なのかな、などと思ったのだが、エアコンを操作する仲居さんも不信そうな顔をしている。エアコンの不調である。すぐに営繕の人が来て調べたが直らず、不手際を詫びながら石油ファンヒーターが持ちこまれた。しかし、対応がとても早く、気分を害するには至らない。
 早速部屋の点検。窓を開ければこちらは想像通りで駐車場を挟んで向かいの別棟がドドーンと広がっている。冷蔵庫は、ウンウン。こっちは、・・・蒲団か。トイレ、・・・ヨシヨシ。さて問題はここだ、蒲団は部屋付きの押入れに入っていたし、何だ?。と、最初から気になっていた部屋あがり口にあるもう一つのふすまを開けてみた。するとそこには明かりの消された 16畳程の部屋がスズーンと広がっていた。
 使用禁止?まさか相客をとるのでは?などと思いをめぐらしたのだが、案ずる事も無くやがてそこには私達の3組の蒲団が優雅に敷かれたのである。もっとも優雅のままにしておくと子供が蒲団の隙間に落っこちてしまうのでぴったりと寄せたら池に浮かぶボートの様になってしまったが・・・。
 さて、温泉である。
 この規模の宿には適当であろう広さの湯船からお湯があふれている。そのお湯に体を浸けると峠越え運転の疲れがじわじわとしみだしていく様である。泉質は弱アルカリ性食塩泉で少し温めの無色透明のお湯だ。
 温めなのでじっくりと浸かっている事が出来るが、1階にある為眺望は全くきかず、大きな窓があるのだがそのすぐ先は目隠しの壁になっている。
 よってじっくりと湯殿を観察する事になる。タイル張りの壁に黒御影の浴槽、コンクリートの梁のラインがが何とも古めかしい感じだ。
 いや、古めかしいのではなく、古いのである。
 そもそもこの湯村温泉は開湯が大同3年(808年)で、弘法大師が発見したとか鷲が怪我を治しているところのを見た村人が発見した等と言われているようだが、とにかく歴史は古く、湯村八蹟と呼ばれる史跡・名所がある。
 また武田信玄の隠し湯でもあり、後の世では太宰治や井伏鱒二にも愛用されていた。
 この旅館明治も湯村八蹟の一つ皇子良純親王住居跡に建ち、現在の建物自体も昭和30年の代物であり、新興勢力石和温泉そのものよりも歴史があるのであった。
 ゆったりと湯に浸かり疲れもとれて部屋での食事。その後は館内散策。
 窓の形が洒落たレトロな雰囲気のラウンジや小さな土産コーナーなどを物色するが、やはりこの宿の一番の見所は太宰治資料室。
 改築前の昭和17年頃太宰治は幾度かこの宿に滞在し2編の小説を執筆している。その縁ある宿という事でこじんまりとしたものではあるが執筆道具や原稿など多数の資料が展示されているコーナーがあり、更には執筆していた部屋にあたる所に当時と同じ名前の「双葉」という部屋を設け宿泊も可能となっている。太宰ファンにはたまらない宿なのであった。
 子供が遊びたいというのでゲームコーナーへ行くと、普段は電源が切られていてその都度入れる様になっていた。これならば電気節約はもとより無用な電子音が始終鳴り渡る事も無く太宰先生も地団太を踏まなくてすむのである。
 想像していた物とは全然違う、まるで当りくじを引いたような気分でその夜は就寝。甲州の夜は静かであった。
 翌日もよい天気。朝食前に付近を散策。玄関に立つとさっと靴を出してくれる。顔を覚えていてくれて名前を聞かれることも無い。
 エアコンの件と言い、ハードが少しくたびれている分をソフトで十分にカバーしてくれる。
 外の空気はピンと張り詰めていた。すぐ近くの鷲の湯で一風呂と思ったのだが営業時間は午後だけであった。
 八蹟めぐりには時間が無かったが町を一通り散策し落ち着いた温泉場の雰囲気を堪能する。締めくくりに温谷神社の山へと昇る。
 高度を稼ぐにしたがって周りの山々が見えてくる。太宰が宿泊した当時は三方が開けていて宿からでも南アルプスなども見渡せる眺望のよい所であったそうだが今では山に登ってもビルにさえぎられて見えない部分が多い。
 神社の境内では地元の人が餅つきの準備を進めていた。それで温泉がすっかり忘れさせてくれていた事を思い出した。今日は師走の30日である。
 宿へ戻り朝食。場所は大広間で思っていたよりも多くの席が設けられている。どやら昨晩は満室だった様で私達がすんなり予約が取れたのはたまたまキャンセルでもあってそこにすっぽりと入れたからであったらしい。
 部屋からの眺望が悪かったのは宿泊料金が物を言ったようだ。西に面した大広間からは吹きガラス製法の板ガラスで作られたであろう窓ガラスを通して青空に屹立する八ヶ岳が少しゆがんで見えた。

--第20号(平成16年6月5日)--

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