つい先日の話しです。

 

電車の中で

向かい側に座っていた男の子が

真新しそうな絵本を

のどの部分(根本)から

ビリビリと破り始めたんです。

 

それは二枚、三枚と続き

絵本はどんどんと

根元から破かれて行き

本から切り取られたページは

座席横の台スペースに

(その子は電車の一番端に

座っていましたので)

積み重ねられて行きました。

 

絵本のタイトルは

作家の名誉の為に

明言は避けますが

確か頭にBのつく

海外の絵本の様でした。

 

残り枚数が少なくなった所で

隣りにいた男性が

その絵本を手に取ると

残りのページを破り始め

切り取ったページを

その子に渡して行きます。

 

全部のページが

絵本から外されたところで

その人は

切り取って出来た切れ端部分を

絵本から摘みとると

自分の鞄の中に入れて行きました。

 

そして

その子が破く時に出来た

床に落ちた切れ端部分を

摘み取ると

それも鞄の中に入れて行きます。

 

その間にも

その男の子は破り取った絵本を

纏めると

元の絵本の方に

最後は挟み込んで行ったのでしょうか?

 

残念ながら

それを見届ける前に

自分は電車を降りてしまいました。

 

その男の子と言うのは

体格はイイのですが

おそらく小学校の高学年か

中学生になったばかりの風情。

 

その言動から

知的障碍児だと判りました。

 

その様子を特に気にする事無く

隣りに座っていたのは

おそらく父親でしょう。

 

父親らしき人が

絵本からページを

破き始めた瞬間から

 

ああ、これはルーティーンなんだ

 

そう気付きました。

何度も親子で経験している事なのだと

理解出来ます。

 

何故絵本を破くのか。

その理由は判りません。

 

でも破く事に意味がある。

 

破いたページを使って

読みながらページの順番を揃える

そんな遊びの為に

破いていたのかも知れない。

 

もしかしたらその絵の部分だけを

今度はちぎって

人物だけにして

自分で物語を作り始めるのかも

知れない。

 

障害児の遊び方って言うのは

自分達の理解の外にも

有ったりしますから。

 

絵本を破く事=悪い事

では無いんです。

 

自分はよく

障害者のいる風景に

出くわしますが

その対応方法を

学生時代に学んで来ませんでした。

 

社会人になってからも

そうです。

 

ですから見守る事位しか

出来ません。

 

癇癪を起されても

どう対処していいのか判りません。

 

ひたすら

大げさに反応する事無く

その場を離れることもせず

波風を立てず

静かに見守る事しか出来ない。

 

だからお父さんらしき人の

特に気にする様子も無く

淡々とした所作は

障害児を持つ父親の日常を

そのまま見せられた気がして

一つの理想の父親像を

垣間見た気がします。

 

本当は家の中では

壮絶だったりするのかも

知れませんが・・・。

 

父親と障害児が

二人で電車に乗っている光景なんて

見た事が無いんですよ。

 

やっぱり一人で乗っている所に

出くわす事の方が多いかな。

言動がどうしても

目立ちますので。

 

まさか身内が一緒にいて

知らんぷりしているなんて

思いたくも無いですし。

 

ただ一つ言えるのは

身内のその子に対する言動が

障害児の心身にも影響を与える。

 

これは間違い無い様にも

思えます。

 

少なくとも

障害児の女の子が

父親に足蹴にされて

大声で泣いている姿なんて

二度と見たくありません。

 

昔にそんな光景に

出くわした事が有りますから。

 

でも身内になると

そうも言ってられない場合も

もしかしたら

有るのかも知れない。

 

やはり人の感情は

一筋縄では行きませんから。

 

でも願わくば

穏やかで健やかで有りますように。