高倉健さんの「養女」が

『徹子の部屋』出演で波紋 

隠し通してきたプライベートを

「いまさらなぜ話す?」

 

この記事を読んでいて

マスコミってどうしてこうも

付け火をしたがるんだろうって

今更ながら感じています。

高倉健氏のパートナーだった

小田貴月嬢

 

この“パートナー”のテレビ出演が、

ネットで波紋を呼んでいる。 

《プライベートを出さない方だったのでしょ?

それを何故今さら養女が出てきて

話さなきゃいけないのですか?(中略)

スターはスターのまま…ご本人が話すならまだしも

一般人が出てきて喋り倒すのは考えられません》

 

 《高倉健さんは、プライベートな事を出さず

綺麗に去って行かれてさすがだな、と思っています。

そんな健さんの想いとは真逆で

今になってあれこれプライベートなことを

公表するこの女性には、全く好感が持てません。

健さんの気持ちを踏みにじっているとも思えて

大変残念です》

 

 《私生活を表に出さなかった高倉健さんが

死後とはいえ私生活の話をペラペラ喋られて

嬉しくは無いだろう。

しかも本まで出すんだよね?

遺産は貰ってるんだろうし、

表に出てこないほうが良かったと思う》 など、

高倉健シンパから多数の批判的な声が

飛び交っている。

 

なかには 

《健さんファンとしては言いたいこともあるが、

健さんが最後に選んだ人ならば、

それでも良いかと思う》 と、

理解を示す声もあるが、ほんの一部だ。

以上、ネット記事より

 

高倉健氏を知っている人ならば

成程なって思える文章かも知れませんが

マスコミに居た人間にとっては

見方が異なります。

 

では

自分の視点から

この問題を考えてみます。

 

パートナーが出て来なかったら

あなたは高倉健氏の事を

思い出しましたか?

 

健さんの40億円ともいわれる遺産を

すべて相続したことや、

ほかの遺族には健さんの死が伝えられず、

葬儀にも参加できなかったこと、

健さんの自宅や愛車、クルーザー、

生前墓などが健さんの没後、

次々と処分されたこと。

これらが報道され、

小田さんの行動に疑問をもつ人が多いのです」

(週刊誌記者)  

小田さんは、亡くなる2年前に高倉さんから 

「僕のこと、書き残してね。

僕のこと一番知っているの貴だから」

 と、言われたというのだが――。

以上、ネット記事より

 

基本は

一見パートナーが悪いと言った

印象を持たせる文面ですが・・・。

記事は全て外野からです。

小田さん側の反論は

一切記載されていません。

 

これは明らかな偏向報道です。

 

視点を変えて見ましょう。

 

俳優にとって

最も辛い事は

忘れ去られてしまう事です。

 

彼女が必死になってしている事は

高倉健氏を思い出して欲しいんです。

事有る毎に。

これからもずっと。

 

思い出して下さい。

洋画家・岡本太郎氏のパートナーだった

岡本敏子さんの事を。

 

彼女もまた

岡本太郎を埋もれさせたく無くて

必死に岡本太郎が亡くなった後に

岡本太郎のPRを

ずっとしていました。

故・岡本敏子嬢

 

視点を変えて見ると

全く違う風景が見えて来ます。

 

では

市川猿之助問題から。

 

この問題で注目すべきなのは

告発者の顔が見えない事です。

 

被害者が見えて来ない。

 

ですから

何時まで経っても

その記事の信憑性が疑われてしまう。

 

マスコミが常に問われる事が有って

それは証拠を示す事。

 

だから写真週刊誌が生まれて来ました。

 

百聞は一見に如かず、だからです。

本誌だけが知る、ではなく

本誌が引き起こした史上最大の悲劇、でしょうか。

 

現在小学館は

守勢に回っています。

 

醜聞として今でも報じているのは

小学館の

NEWSポストセブンと

女性セブンのみ。

 

それをネットが

記事として配信している。

 

でもいくら報じても

死者には敵いません。

 

記事による

死者二名を出した出版社として

永遠にその名を刻んでしまった。

 

ここで一つ書かなければ

ならないのは

告発の場合

何らかの証拠を示すか

当事者が自らの顔を晒さなければ

その内容を信じて貰えない事。

 

これが刑事事件だったら

顔を晒す事をせずに

告発する事も可能ですが。

 

残念ながら今回の件は

それに該当していないので

小学館は

実は証明する確証を

世間に提示出来ないでいる。

 

ですから幾ら記事を書こうと

それを証明する人・物品が

実際に現れないと

風聞による

一方的な告発発信でしかない。

 

醜聞の後追い記事が

自社だけだと

偏向報道に見られてしまいます。

 

でも

本当に告発者がいたとしても

その人が表に出て来る事は

先ず無いでしょう。

 

自分だと名乗り出たら

そこから一気に

告発者がターゲットにされてしまう。

良いも悪いも含めて

返り血を浴びてしまう。

 

それもかなり深手の。

 

それが日本に於ける

告発者の宿命です。

 

マスコミも守ってくれないし

政府も警察も守ってくれない。

誰も守ってくれないんです。

 

口では守るって言いますが。

 

だからはっきりと言いますが

告発は

実は自分を殺してしまう事も

有ると言う事を

覚悟して

行動しなければならない。

 

イイ事をした=自分もハッピー

 

では決して無いんです。

 

善行の告発も

世間では疎まれる。

それが世間では

受益者の為と判っていても

告発者は

世間から最終的には

弾かれてしまう。

 

残念ながら

これが日本に於ける

現実なんです。

 

小学館は

何か証明する術を

持っているのでしょうか。

 

それとも

自社のみで市川猿之助の

醜聞記事を

風聞記事として

書き続けるのでしょうか。

 

もしそうだとしたら

小学館は

これからも不毛な戦いを

一社で続けなければなりません。

 

死者二名を出した記事を

正当化する為の上書き記事が

どれ程難しいかを

今痛感し

実際に直面している訳ですから。

 

死者に勝てる記事など

実は無い事を。

 

この記事に於ける

小学館の行き着く先は

ゆっくりと

フェードアウトして行くだけです。

 

触れる事無く。

 

さて

では何故市川猿之助氏の両親は

市川猿之助氏も含め

三人で死のうとまで思ったのでしょうか。

 

これも

視点を変えて見ると

何となく見えて来るものが有ります。

 

梨園と言う

伝統の世界の事。

 

これは宮家を取材していて

感じた事なのですが

大切にしている事が

庶民とは違うんです。

 

澤瀉屋にとって

最も大切な事は歌舞伎。

 

この一点と考えると

見えて来る風景が違って来る。

 

自分の醜聞よりも

それによって

歌舞伎界に与える被害。

 

これが当人達には

とてつもない物に思えたとしたら

どうでしょうか。

 

客足が遠ざかるかも知れない。

色んな役者たちに

迷惑が掛かるかも知れない。

歌舞伎の衰退に繋がるかも知れない。

 

歌舞伎役者にとっては

歌舞伎が全てです。

 

その歌舞伎の世界に

自分の醜聞が被害を与えるとしたら

歌舞伎役者一家には

どの様に感じられたのでしょうか。

 

これが伝統を受け継いだ

一家に掛かる重圧では無いかと

自分は勝手に思っています。

 

あくまでも推測ですが。

 

価値観と言うのは

人それぞれで

誰もが自分の価値観に置き換えて

判断しがちですが

その世界に生きて来た人間は

我々庶民と価値観が異なる事を

先ず想像して見て下さい。

 

大切な物の優先順位は

人により異なるんです。

 

あなたは何の為になら

我が身を捧げますか?

 

自分よりも大切な物は

有りますか?

 

それを周りの人達は

判ってくれるのでしょうか?

 

価値観はやはり

人それぞれなんです。