2023年12月5日
肺がんの疑い

2023年12月13日
肺がん告知 肝臓に無数の転移
首のリンパ転移

2023年12月23日
PETCT

2023年12月26日
小細胞肺がん確定
骨転移3ヵ所
脳転移は無し

2024年1月10日
地元の病院へ紹介状を貰う
無治療



※記事を読んで私がとても献身に思えるかもしれないけど、そんなことありません

一時間おきに起こされた日々は
苛立ってしまう事もあったし
態度が悪くなる事もあった



やれることはやった?

ぜんぜん

私は未熟すぎます

でもね、キャパオーバーだったんだ

ごめんね

私の性格わかってるよね

許してね






2024年2月2日 午後

訪問看護師さんが来てくれた



母はいつもは薄いスパッツで寝ていたけれど、お腹がぱんぱんだからと
普通のパジャマに変えていた私


看護師さんに相談したら
裾捌きが邪魔になると思いますって


スパッツのウエストを確認してもらい
お墨付きをもらって履き替える事にした





管の心配を伝えると
確認して
綺麗に洗ってくれた


母はとても喜んでいた
良かった




寝返りとか、ベッドに座らせるのとか

今までは抱きついてもらってから
持ち上げてたんだけど

抱きつく力がなく
私の力では
とても困難だった



そしてベッドに座らせても
手を離してくれなくて




後に兄ジャと話したんだけど

あんなに母と密着したことなんて
元気な頃にはなかったよね、、って。




訪問看護ではバイタルは問題なし

安心安心




そしてーー!
夕方、兄ジャが
なんとーなんとなんと


折ウニを買ってきてくれた!



兄ジャは毎日スーパーや魚屋で
ウニ探しをしてくれてて
やっと売ってた!って!




2月2日   18時50分
お楽しみのウニおねがい

スプーンで掬って口に運ぶ


これなーんだ?って聞いたら

「たらこ?」だってーーー笑い泣き



おいおい、ウニだぜぃ



ウニだよって教えたら

折の3分の2をペロッと食べたニコニコ


やっぱり高い食べ物は食べるんだねキメてる


夕べの残りのハマチは
いらないと言った
すげーな指差し





2024年2月3日  0時
様子がおかしいので兄ジャを呼ぶ



救急車を呼ぶと言ったら
絶対に病院へは行かない!と



そして

今日死ぬ


と言った








聞き間違え?


でも、そう聞こえた




病院へ着き

主治医の話では
あと1週間くらいなので
会いたい人がいたら
会わせてあげて下さい



なんせ田舎なもので

母は病気を知られるのを嫌がった


いつも元気な事が
トレードマークだった人だから
弱っている姿は見られたくないのだろう



でも意識がはっきりしたら
会いたい人を聞こうと思っていた







2024年2月3日  10時35分
母  永眠








待っててって言ったら
うんってかすかに言ったのに
待っててくれなかった





バタバタと月日は経ち
初七日


初七日は皮肉にも
母の誕生日

喜寿



近所の商店に行ったら

たくさんのホタテを貰った



クタクタの私は
泣きながら殻を剥く



あーーー、今じゃないってーーー
いらないってーーーー



でも
みんな気にしてくれて
ありがたい



介護中は
友達に
泣きながら電話したり


ばったり会った仲好しのお客さんに
話して泣いてしまったり


仲好しのブロ友さん(心の友)に
聞いてもらったり


いっぱい助けて貰いました




私は元気です



ニャンのミウもご飯を食べなくなったけど
やっと普通に食べてくれるようになりました

ただ、私が夜に泣いている時は
じーーーっと私を見つめてる


大丈夫



全然実感無いし
でも母がいないのは本当で




明日は四十九日

たくさんのお花を用意した


酒のつまみと
大好きなコンビニサンドイッチと
スィーツと、たーくさん!






私の気持ちの整理の為の記事に
最後までお付き合い下さって
ありがとうございます




でもさー
最後の晩餐がウニなんて
スゴくない?
そんな人、めったにいないってー

さすが母だ!









父と楽しそうな可愛い母
ん?あんま可愛くない!笑
天国で仲良くしてるかなぁ



おしまい