常々アメリカの行き過ぎたベジタリアンやビーガンに懐疑的な目を向けてしまう私です。
それというのも、レストランで働いていた時のこういう客の面倒くさい注文にこりごりしていたり、ディナーに招んだ人がそうだったりした時のショックのせい。
特にレストランだった場合、「お金を払っている」という意識から、メニューを変える勢いの”あれじゃなくてこれを入れて”だのの注文をしてくるのはこの人たち。
いや、簡単に言いますけど、替わりに入れろという”これ”は値段がずっと高いんです!とかね。
こういう人たちとは、客として迎えたくないのはもちろん、一緒に食卓を囲むのも遠慮したい。
ビーガンの食事を維持している友人に理由を訊いたことがあります。
「だって、私が食べるために動物が殺されているなんて、可哀相じゃない」
うーーーーん、よく聞く理由ですよね。
と、けっこう冷たい視線を送っていたのですが。
日本へ一時帰国した際、両親が連れていってくれた温泉宿で鯛の活け造りが出ました。
本当にまだ生きていて、エラと口で呼吸をしていました。
写真拝借
いやー、これは。
刺身の新鮮さをアピールするためとは思いますが、ちょっとこれは。
ベジタリアンやビーガンじゃなくても逃げ出したくなるビジュアルでした。
私でさえそう思うのですから、夫などは座ったままへっぴり腰になっています。
新鮮というのをつき進むと、まだ生きとるっていうことになるんですね。
でも、生きてなきゃダメ?
この時ほど、ビーガンの友人の言ったことが理解できたことはありません。
ま、だからといってベジタリアンやビーガンになる気もないんですけど。