エシャ愛子です。
ひょんなことから
友人から
お茶を習うことになりました。
始まってから
正座が苦手だったことを
思い出しました。
(やってくうちに平気になるのだろうか)
人は
特別が大好きです。
「あの人の特別な人になりたい」
「特別素敵な体験をしたい」
「特別な物を持ちたい」
「みんなから特別な人と見られたい」
みんな
自分に自信がないのでしょうね。
だから
特別という箔をつけたい。
「箔」という字にも現れていますね。
薄い薄い金や銀を貼り付けることで
一気にゴージャスになりますものね。
中身は変わらないんだけど。
箔が悪いわけじゃない
だけど
箔がついたからといって
だからなんだという話で。
「あらまあ、価値のある物ですのね」
「お綺麗ですね」
「貴重なんですね」
くらいのもので。
茶道というものも
おハイソサエティな
マウンティング合戦になりやすい
趣味だけれども
そこは私の友人
そんな「特別」に潜む危険性を
ちらりちらりと示唆していて
賢い人は面白いな
と思いながら
「でもセンセ!
足がっ!限界突破してますっっっ!」
と心の中で叫びながら
モジモジと落ち着かない
正座をしていたのでした。
良い物は
貴重な物には
価値がある
だけど
お金じゃ買えない
言葉や表情や行為に表れる
「思いやりの心」や
「謙虚さ」や
「相手を敬う気持ち」
その価値も
私は大切にしたいと思うのですよ。
「特別」に関しても
そもそもみんな違って
みんな特別な存在であるのだから
特別に
上下などないと思うんですよね。
あの人の作るご飯は特においしい
あの人は特に優しい
あの人は特に細やか
あの人は特に明るい
あの人は特に真面目で
あの人は特に足が速い
あの人は特にセンスがある
あの人は特に歌が上手い
あの人は特に話が上手い
ぶっちゃけ私は特別ゆっくりちゃん。
みんなお金で買えない
特別を持っていますよ。
箔なんかつけなくても。
LOVE
EshaAiko