昨日大きな展開を見せたガンダム00ですが、個人的にはキャラクターを増やしすぎて消化&描写しきれない部分が多すぎるように感じます。前回のライル&アニューに関しても、恋人という関係になるまでの描写もなくいつのまにかあのような関係になっており、走馬灯のように二人の思い出のシーンを流して、アニュー死亡、そしてED曲という流れには正直閉口しました。


良い曲や走馬灯を流しておけば人って感動するものなのでしょうか?
脚本や構成の不透明さのせいで、キャラクターや声優の熱演がぼやけてしまったり、それどころか批判されてしまうのはなんだか悲しいです。


それはミスター・ブシドーにも言えることかと思います。昨日、刹那に対して、あくまでも最初に攻撃をしてきたのはガンダム(もっと広い意味でとらえればCB)であることを公言していましたよね。あれって凄く重要なことだと思うのですが。

二期に入ってからのCBと言えば、最初の方は、刹那が戻ってきてから、ライル勧誘、アレルヤ奪還(と同時にマリナ救出)・・・などほぼ私事で動いているように思えます。もちろんこれらは自分たちの戦力確保の為で必要なことだと思います。

気になったのはその後、アロウズやイノベーターとの戦いで、もはやアロウズ&イノベーターが完全悪のような描かれ方をしている事や、ミレイナやフェルトに関する描写です。



CBメンバーがアロウズ批判するたびに思うのは、程度の差こそあれCBも同じようなことをやってきたテロリスト集団に変わりはないという事なんですよね・・。もちろん武力のないところには攻撃をしないという一定のルールがある分、アロウズのような強制的な情報統制のための攻撃とは違うとは思うのですが、結局そのアロウズもCBの介入により世界が強制的に統一されたゆえに作り出された存在とも言えると思うのです。



フェルトがミレイナに悲惨な部分を見せないようにした場面や、マリーとなって現れたソーマに対して仲間を殺された憎しみを口にする場面、そしてその後のアレルヤによる「家族」という言葉。
ミレイナがどういう経緯でCBメンバーとなったかわかりませんが、メンバーになった以上自分たちがどういうことをしているのかしっかり見せるべきだと思いました。まだ若いからとか、ショックを受けるからとか、そういうのは理由にならないと思うのです。たとえ相手が悪だとしても人殺しの一員であることに変わりはないわけですから。
家族という言葉も、両親を失ったフェルトにはふさわしいのかもしれませんが、ソーマだって同胞をハレルヤに殺されているわけです。同胞を殺されるより家族を殺される方が悲しいという意味合いでこの言葉が使われたのなら、CBは単なる家族ごっこ組織のような印象を受けます。



ブシドーの「同胞や恩師云々」のくだりは、それをやったのは刹那たちではなくトリニティだからお門違いだと言われそうな展開だなと思いました。まぁ、そんな事を言ったらルイスの問題に関してもその一言に尽きてしまうわけですが。ルイスもブシドーも間接的にしろCB介入によって歪ませられた存在には変わりないということがようやく本編で描写されましたね。


特にブシドーなんて二期に入ってから、何度か対戦しているのに刹那に認識されずに一方的に固執しているような感じだったのでこれでようやく対峙できたのかなぁ・・なんて思います。グラハム時代から歪んでいただろって言う人もいますけど、それは教授、ハワード殺害後からのグラハムと考えて良いんですかね。確かにあのあたりから歪まされていたと考えるのが自然かなと思います。まさかセリフが面白いから第一話から歪んでたとか、刹那とはじめて戦った時に告白したからとか言う理由じゃないですよね。あの告白もね、あくまでガンダムエクシアに対してじゃないですか、言うまでもないですけど・・。勝手な妄想と公式の展開をごっちゃにするとかね、ネタドラマCDをなかば本気でとらえるのも、あまりに稚拙で短絡的すぎると思うんです。



で、こんなに長々書いて結局何が言いたいのかっていうと、脚本と構成に失望しているということです。
アニメや漫画って、二次元だから実際にありえないことも許されると思うし、それぞれに意味があって個々の立ち位置が与えられていると思うので、好きなキャラクターはいても、嫌いなキャラクターというのはいないんですよね。悪としてそのキャラクターが必要なら、きちんと悪という立ち位置にいてくれれば、それがそのキャラクターの個性じゃないですか。全キャラクターが聖人君主なんて作品、たとえあっても私は惹かれないと思います。