退院時、私の喉はスピーチカニューレをつけていた。喉の口部分から4,5センチの管がついたタイプ。カニューレを支えるための首ベルトがついている。まるで首輪のようだ。なので、肩が凝るし、なぜか左頬がけむくんでいた。また痰などが管に詰まるので、週に一度の受診の際に、管の掃除をしてもらわないといけない。
しかし、他院して病状が落ち着いたころ、医師から「レチナというタイプに変えてみますか?」という打診を受けた。レチナは、気管切開時にあけた喉の穴と外をつなぐだけの簡易的な作りのもので、レチナをつけれるということは私の病状がよくなったことを意味する。また、レチナは特殊な作りになっているので、医師しか付け替えができないというデメリットもあった。私は変え方を教わっていなかったが、スピーチカニューレは患者本人が付け替えできる。
私は即答でレチナへの交換を希望した。私は喉を閉じる日が近づいているようで、とても嬉しかった。
レチナになって、首のベルトがなくなって首元の不自由感がなくなっただけでなく、左頬のむくみもすっきりした。私には、むくみが取れたことが一番嬉しかった。
しかし、想定外の問題も発生した。痰が気管に詰まっても、なかなか取れないのだ。だいたい、一日に一回はこの痰問題が起こった。そのたび、私は無理やり激しい咳をくりかえし、痰が咳と一緒に外に飛び出してくるのを試すしかなかった。それでも、最初のころは、それがうまくいき、自分で痰問題に対応できていた。
しかし、先日の8月の3連休前の金曜日。その日私は昼前から痰の詰まりと格闘していた。痰が気管のどこかに詰まっているようで、とても息苦しい。夕食時ごろには取れるだろうと、ずっと咳を繰り返していたが、取れる気配はなく。
夜11時半。そろそろ寝る時間になり、私は自力ではもう無理だと思った。土曜日の午前の診察で診てもらいたい。ただ、私の主治医は土曜日は出勤していないため、土曜日の先生で、レチナを取り扱える医師がいるのか心配ではあった。
なので、旦那さんに、「明日土曜日の午前中、病院に連れて行ってもらえない?」と頼んだ。すると旦那さんから「今すぐ病院にいったほうがいい?それとも明日でも間に合う?」との返事を受けた。本音としては、今すぐにでも病院に行きたかった。正直、これでは眠ることすら難しい。旦那さんに、「今すぐ連れて行ってほしい。ただ、今日の当直の先生がレチナの取り扱いができる先生か確認して」と頼んだ。行ったはいいが、レチナを取り扱えない先生じゃ、対応してもらうことはできない。
旦那さんが、行きつけの病院の緊急外来受付に電話して、私の症状を伝えてもらい、いまから病院へ行きたい旨を伝えてもらった。もちろん、レチナの取り扱いができる先生かの確認も忘れずに。すると、幸運なことに、その日の当直は私の主治医であった。これなら、何の問題もなく対応してもらえる。私は救われる。
電話を切り、着替えをして、すぐに車で病院へ向かった。夜中の都心。車はすいすい進む。本当であったら、ドライブを楽しみたいような夜景の綺麗さであった。しかし、その時、私は一刻も早く病院に行くことだけが願いだった。本当に、苦しくて息ができない。車の中でも、苦しさで目をつぶっていた。
病院につき、コロナチェックが入った後、診察室に担当者に連れて行ってもらえた。そこには、夜中1時にも関わらず、いつもの主治医がいた。私はほっとした。これで助かる。
主治医がレチナを取り除き、私の喉の穴から気管にへばりついた痰をとろうとしてくれる。ようやく痰がとれ、すっきりし、普通に咳ができるようになった。
主治医から「レチナはやはり危ないから、スピーチカニューレに戻して、ねこたまさんにも自分でカニューレの交換ができるように練習してもらって、痰が詰まった時には自分で自宅で対応できるようにしたほうがいいですね」との言葉をもらった。スピーチカニューレに戻ることは残念であったが、私自身もこれ以上レチナをつけるのは危なすぎると思った。結局、カニューレ交換の練習は次回の受診時にすることになり、その日はスピーチカニューレをつけて帰宅した。
家に帰ったら、もう2時半近くであった。疲れたし、安心したし、すぐにでも眠りたい。その言葉どおり、帰宅してすぐ私は眠りについた。
最後、こんな夜中にも、嫌な顔ひとつせずに病院に私を連れて行ってくれた旦那さんには、心の底から感謝している。