引き続き、連日宿題をコツコツ片付けつつ、合間に緊急事でかけまわり・・・一日の始まりと終わりの境目のあいまいなままに・・・一週間が過ぎていきます。
きりがないなどという陳腐なことをするつもりはありません。
終わらせるために動くんです。
財力がない、趣向がおかしいなどの理由で不妊を惜しみ、増やしてしまった阿呆の尻拭いに行くと・・・「うちの子を必ずや無事に帰せよ」とか「子猫は残せ」とか、わけのわからぬ所有権を主張される場合が多くあきれます。。。
いざ手術を終えるまでは適当にあしらって手術に連れて行きますが・・・終わらせてからは・・・さすがに腹の虫がおさまりませんよ。
「あーのーなー・・・怒」
公園に置けばみんなが癒される?
私が責任を持って面倒見てきた、だ?
・・・ふざけるな。
公の、公共施設に個人所有物は放置できないしましてや命ですよ?
おたくのその簡易テント、それも場合によっちゃこれから住まわれんようにすることもできるぞ、なにが「うち」だ・・・なにが「うちの子」だってかよ。。。
「親猫の手術をたのんだだけなのに子猫まで連れて行かれた」
だ?
手術費用も治療費用もださずによく言うよなぁ。。。
「ここにいればみんなに愛されて幸せだ」だと?
公園には動物が苦手な人もアレルギーなど身体的に接触が困難な人も来る。
いったい何の権利を主張して、そこに猫の放置を容認し、みなで愛せとのたまうか。。。
あなたたちのいう“愛”ってなに?
ただただ、てめぇの自宅でやってろよ、っつうお話ですよ。
「うちの子たちの写真、はやく持ってきなさい」
・・・押したな、スイッチ・・・。。。
ここんとこ、気ぃ、立ってんぞ???
残りエネルギー温存しとかないと何があるかわからないから、無駄に疲れることは避けているけれど・・・、そろそろ、堪忍袋の尾、限界です。。。
目の前の命のほんの一瞬だけ“エサヤリ”としてかかわるのなら、そんなに気軽なことはないでしょうよ。
刹那的に食事をする光景だけを見て・・・事の真相には到底行き着かない。。。
あなたが見ていない大部分の一日のこの子たちの生活が・・・安穏なはずなどないというのに。。。
現に・・・いざ老齢や疾病で・・・病院に連れて行こうとそのときになって焦ったって・・・自力じゃ保護することもできずに頼んできたんじゃないの。
あなたたちのその言葉にも行動にも、責任なんて・・・微塵もない。
愛があるってか?
あんたたちが愛しているのは・・・動物愛しちゃってる気になっちゃってる自分の姿だけだよ。。。
そこになんの根拠もなければ・・・責任も無い。。。
大意で「命と向き合うということ」の本当の意味がわからぬのなら・・・金輪際、お付き合いもナシです。
都合によっては「うちの猫」、場合によっちゃ「みんなの猫」。。。
親権争うくらいのケツまくれや、あ゛?