「絶対誰にも聴こえないように

息をひそめて君が 好きだよ って言った

一体どんな言葉を返せばいいか判らないまま抱きしめた」

とthe end of the worldで歌ったのは槇原敬之だったか。


何も言わなくて良いです。

ただ温もりを分けて下さるだけで充分にしあわせです…と言う不幸。


でも、それでいい。

きっと私にはそれでも贅沢。




さて、のっけから大脱線をしましたが、ここからが本題。


10年以上も秘宝探偵キャリーと言うゲームを続けて来ました。


時代の趨勢ですかね、いよいよこのゲームがサービス終了を向かえます。

散々苦労して集めたカードも明日で見ることすら出来なくなります。


そんな中、「キャラ保存会」的な動きまであり、各マスターブロガーの記事を見てその思い入れの深さに胸を打たれます。


ええ、無駄ですよ?


でもそもそもゲームなんて無駄なモノじゃないですか。

その時間とお金の無駄遣いを10年積み重ねてきたんです。

これは「世界」です。


その終焉を恐らく運営側よりも遥かに重く、この世界の消え行く様を慈しんでいるのです。



これが愛でなくて何だと言うのでしょう。



色んな人がそれぞれにこの秘宝探偵キャリーの終わりを考えて(または考えずに)いる事でしょう。



愚かであり大袈裟である事は百も承知ですが、

私自身はこの世界の終焉を字義通り「死」と捉えています。


11/30以降の「キャリーのかしわぎさ~ん?」は存在しません。


・私が死ぬこと

・私以外が全てなくなること


この2つは完全にイコールですね。



お互いにその先を知ることもありません。

だから


「どうかお元気で」





話しは少し変わって、今まで何度となく

「なんで【かしわぎさ~ん?】って訊いてるの?」


と質問されました。



これは当初、別のコミュニティで消息不明になった方を探していた体験が由来です。


そしてリアルであろうが、ネットであろうが、

「私が消えたら誰かが【かしわぎさ~ん?】って探すのかな」なんて思って付けた名前です。



現実化するまで思いの外、11年もの年月が経ちましたけどね。


実はちょっと切ない由来だったんです。



長くなりましたね。
色々想いがかち過ぎていつも以上に散漫になってしまいました。

冷たい鉄面皮の様なイメージを持たれている方も多かったのでしょうが、それは虚勢ですよw


「またね」