万愛からお前ブログ放置し過ぎって突っ込まれたけれど。
しゃあないやん?忙しいんやし。
ZEPETOの最近のを置いときます。
俺はこのニュースを見て。
違和感を感じたけどな。
否だろう?
処分が不適当なのか?
それも否だろう。
体罰をしたのでもなく。
カンニングに対して0点は当たり前であり。
学校でカンニングという不正行為は、たしかに卑怯者のすることであり。
詐称だろう?学力の詐称だ。
悪いことをした人に、それは悪い事だ!と教えるのが教師だろう?
そして、することをしたものが公開でやられるのは自業自得だ。
それが嫌ならカンニングをしなければ良かった。
あいつはこれまでもコウやってきたんだ。
そう思われるのも、それは本人が引き取るべきものであり。
むしろ、ここでそういう風に暴かれたことを、何故、親はここからが人の真価を問われる機会だと教えなかったのか。
復学する時間までに何故教えなかったんだ?
親は其の努力はしたのか?
叱り方が悪いと訴える?
これは違うのではないか?
この親にしてこの子ありと言われても仕方なかろうと思うしかない。
カンニングをして世間から謗られるのは当たり前のことだ。
その恥を予測して、恥をかくようなことをしないようにして生きていくことで、社会秩序は保たれている。
親が言うべき言葉は、責任転嫁して訴えることか?
したことは制裁に値するものであり。
妥当な罰である、ここからマイナスの信用をひっくり返すことは容易ではないが。
俺達がついているから。
だから向き合え。
どうしても辛いなら学校を変わればいい。
そこで仕切り直して立ち直れ。
そう教えてやるのではなく。
叱り方がわるい?
責任転嫁も良いところではないのか。
悪いのは周りを騙して虚栄心から実力を詐称したことに尽きる。
どんな理由をつけてもこの訴訟は八つ当たりにしかみえない。
これを叱らない教師がおかしいし?
カンニングがバレた時点でクラスの全員には見られているわけだ。
現行犯なのだから。
どうやっても批判は免れない。
むしろ叱らないでなあなあにすれば全員がやりだすだろう?
そして遺書に本人が書いているように。
そう見られて生きていたくない。
最後まで虚栄心を捨てられてないと告白をしている。
受け止めてない、したことを。
向き合ってない。
何よりもこの訴訟をあげたことで、死した子を親自身が金という代価に変えようとした。
なんと情けない。
親が子が死した後にその死に対して責任転嫁する。
こんな親だからまあ、こういう風になるよなと思わせることをしたのが情けない。
なんで、その罰が与えられたときに、なぜ親としてやるべきことをやらなかった?
やり直せるのだと教えてやらなかった?
社会罰など生きていれば何時でも食らう。
親が死んだあとにも食らうのに。
耐えうるだけのものを導いてやらなかったのは?誰なんだろうな?
そこまで教師に求めるのはあまりにも甘えていると俺は思う。
恥をかく、当たり前だ。
不正をしたのだから。
不正をしたものが暴かれるのは当然であり、そう思われるのも仕方のないことだ。
それが嫌ならやらなければ良かった。
知らなかったのではない。
カンニングが悪いことだというのを理解しないやつがどこにいる?
むしろ学校側はカンニングをする前から、カンニングはよくないと再三言ってるわけだ。
生徒にやるなよ?と警告をあたえている。
それを無視しやったのは本人の選択肢だ。
だからもちろんその批判も世間評価も本人が受け取るべきものなのではないのか?
副校長はやってから突然悪いことだと教えたのではなく。
その前からやるな!それは卑怯なことだから!
と教えていた。
それのどこが悪いんだ?
それを教えないということのほうがおかしいだろうに?
俺の意見は一部の人からは死者に鞭打つ意見だと言われるだろうな。
でも俺は、この訴えは違うと思う。
何の非もない無辜の被害者が訴えてるのならわかる。
けれどこれは違う。
やることをやらかしておいて?
叱られたことを苦にして死にましたから教師が悪い?
死ぬほど嫌なら何故やった。
安直に。
考えもせず。
やることだけをやらかして。
叱られたら
暴いたほうが悪い
暴き方が悪い?
暴かれたくないなら最初から批判されるようなことをするな!
と、俺は思うけどな。
この記事を見て?
万愛に食って掛かった鬼滅の群れを思い出した。
トレパクと言われたくないなら言われるような出し方をするな!
盗作と言われたくないのなら言われるようなものを作るな!
それこそあの盗作女は3年もの時間をかけても未だに理解をしない低能をさらす。
万愛さんが暴いたせいで、鬼滅から仲間外れにされた?
違うだろう?
お前が嫌われたのは。
お前のその様が見るに耐えないほどおぞましく、お前は仲間に二枚舌を使った。
恐ろしい二面性を垣間見て誰がそんな人間を愛するというのだろう?
万愛はそれまでにも、メッセや記事でも、それはだめだと警告を与え続けてきていた。
それは仲間すら巻き添えにする。
やってはならないことで批判を浴びる。
万愛はずっとあの界隈にもL○MI自身にもだめだと伝え続けていた。
それを無視したのば誰だ?
集団にあぐらをかいて。
いじめはする、作品へのリスペクトもない、それは批判も浴びるだろう?
しかも警告を受けてないんじゃない。
万愛はL○MIに半年にも渡り、それはやってはならないと繰り返した。
ここまでは良いここからはダメ、ディスになる。
無礼になる。
りん○おに対しても、記事で表してた。
トレパクはダメだ出し方の問題だ。
再三繰り返した。
りん○おだとは書かずに一般リファレンスとして。
それを、りん○おはすり替えた。
万愛はトレスを批判している。
だから皆で模写ナカーマ祭りをやろう!
模写とトレスでは画力に雲泥の差が出る。
そこを知らせずに、模写であるといい続けた。
検証されて晒されるまで、やめなかった。
そうじゃないだろう?
お前は描いてないものを描いたように出してる。
それが悪いと何度も何度も、万愛は今のうちに引いておけと、記事を出してやってた。
世間的にもトレパクがバレたものがどうなったのか。万愛はそれを教えなかったのか?
否だろう。
教えていた。
一般論のふりをしたり、本人にだけわかるように書いたり。気も遣っていた。
それに逆らい、やり続ければ、それはもう叩かれても仕方ない。
我慢にも限度がある。
万愛は鬼滅のファンなのだから。
そしてあまつさえ。
その群れはトレスを称賛し集まった群れは。
いじめを繰り返し、他人の作品に侮辱まで与えてた。
そんなものを見逃すのには限度がある。
それを無視して?
実際に叩かれて初めて慌てて反抗してみても遅すぎる。
多くの絵描きは指摘が来たらきちんと引く。
いくら言い訳をしても作品というものは多くを語っている。
叱られたら?
叱った万愛が悪いのか?
そもそも3月事変は万愛からはいってない。
噛みついたのはL○MIの側だ。
万愛のつぶやきに自分だと名乗りを上げた。
当時は解らなかったが。
コリ○パットが自分で後でゲロした。
自分が内通してL○MIに万愛が怒っていることを知らせたと。
L○MIは待ち構えていた。
その直前に万愛の怒りをかってL○MIは三行半を食らっていた。
疎遠な態度に切り替えられた。
そのことを恨んでいたのだろう。
故になんとかして一矢を報いたいものの、自分一人ではできなかったからなのだろう。
鬼滅の問題へとすり替えた。
あれはL○MI一人の問題なのに、鬼滅を批判されてるように見せかけようとした。
そしてりん○おも界隈とやらも、あの時すべきは沈黙ではなかった。
下げろ!頭を。
というべきは鬼滅界隈自身であるべきだった。
それもしなければ。
そりゃあ世間から
あの群れはアイツと同じ、そう言われても仕方ない。
世間とはそういうものだ。
ついててやるからやり直せ。
これだけで良かったはずだ。
そういうものを出さずに。
沈黙だけしてればやり過ごせる?
甘ったれにもほどがある。
3年たった今でも汚名は全く濯げていない。
りん○おはトレパク。
L○MIは盗作。
りん○おはいじめをやった。
無反省だ。
これが評価だ。
良いお手本がいるだろうに。
一度くらいはちゃんと見習ったらどうだろう?
同じ立場でやらかして。
そのことに対して人としての真価を見せた人は、鬼滅の中にもいるだろう?
頭を下げ。
自分の非を逃げずに受け止め。
反省し、今、大輪の花を咲かせている。
誰もが過去は知っているが。
それを乗り越えた人。
その時に人としての誠意を見せた人。
彼女をそう見る。
過去など消せるものか。
時間は巻き戻せない。
できるのはその傷を勲章に変える、これだけだ。
その過去込で、あの人は立派だったと言わせる。
これしかできないんだよ。
まさに明暗というやつであり。
人としての真価のあり方をよく見せてくれている。
片方は逃げ、ごまかし、何一つ濯げていない。
これは5年経っても10年経っても変わらない。
片方はその危難を、キチンと濯いで、その後の姿を世間にも見せた。
どちらが真に信用に値するのか、どちらがついていくべきリーダーなのかは、俺が言うまでもない。それは今の世間評価に現れている。
片方はのびのびと花を開かせ穏やかで。
片方は記事や描いた絵すら上げたり下げたりの被害者ぶりっ子を未だに繰り返す。
胸一つ張れない無様。
評価とは第三者が下し、それはもう変えられないのに。
片方は逃げ未だに燻り地に墜ちたままで。
片方は伸びやかに羽ばたく。
明らかに人間の資質の差なのだ。
本人がそれを勝ち取ったかどうか。
それだけだ。
いじめについてもそうだ。
裏切りのキウイのあとチャンスはあった。
本人がもう一回きちんと頭を下げ反省を示せば良かった。
けれど何をした?
周りに言い訳をさせた。
なんと無様だ。
リーダーとはそうじゃない。
仮に周りがやったのだとしても。
私が止めなかったのが悪く不快なさまを見せてすみませんでした。
リーダーが発すべき言葉それだけだ。
その資質がない。
その姿だけを露呈した。
それだけだったろうな。
あいつが汚名を濯ぐ機会は。
謝ったやつが舌の根も乾かないで繰り返すのは麻薬の再犯と同じ。更に悪く印象がつく。
それを放置したのは、本人の至らなさであり資質の無さだ。
それだけの人間ということだ。
そもそも祭りにしても。
正しく祝うそれだけで良かった。
己等がしたいからとしたい放題だけはしておいて?
それが不快だと周りから批判されたらアンチ?
ピザーラ櫻井といい。
鬼滅といい。
上の記事の人間と被る。
愚かでやらかした。
それは人なのだから誰にでもある。
でもその時にこそ。
人間の真価とは現れる。
それを真摯に反省し、潔い姿を見せ、再生へと努力したものはその過去の傷すら称賛に変えるチャンスは有る。
上の記事の親は何故。
そのことを子に教えなかったのだろう。
責任転嫁ばかり教えてきたのだろうなと思わざるを得ない。
今の有り様では。
そんな親の有り様を受け継いだから。
ピンチをチャンスに変えることができず。
弱さから逃げたと言われても、これは仕方ない。
理不尽をあびて鬱になったとか、ハラスメントから心的外傷を背負ったとかではない。
自分がやらかしている。
やらかしたときに、やらかしたその人が何を言っても世間はそれを庇わない。
できることは潔く頭を下げる、これだけだ。
その後にできることは、傷に向き合い立ち直る姿を見せることだけだ。
汚名を注げるチャンスは己の中にしかない。
きちんと謝り。
反省していると世間に告げ。
マイナスからのスタートに対して不平を言わずに耐える。
その姿を見せることができたなら。
人は必ず、あれは良い経験値になったと称賛する。
批判を引きずるのは逃げたからだ。
死んで汚名が濯げるか?
そのままの。
カンニングしたままの姿が残っているに過ぎない。
永遠に汚名を濯ぐ機会を捨てた。
濯げるのは生者の権利だ。
きちんと過去を悪かったと受け入れること。
そしてそのマイナスから逃げないことでしか汚名などは濯げない。
この訴えがたとえ何かの対価を得たとして。
この親は言われ続ける。
わが子の名誉を犠牲にして金を得たと。
こんな訴えで、子の名誉が濯げるか?
濯げるわけがないと思うのは俺だけなのか?
カンニングして挙げ句に死んだやつ。
これが世間評価になるのではないだろうか。
その記憶だけが彼の友人であった人に残るだけだろうに。
俺はこの親の意図がわからない。
何故死んだ子どもの平穏を守ってやらなかった?
もう何もかもに蓋をしたいから選んだのが死なのなら。
何故その遺志を継いでやらない?
そんなことを。
その子供は望んでいるのか?
違うのではないのか?
もう何にも触らないでくれ。
そう言って逃げ去っているのに。
その遺志すら汲んでやらないのか?
何故それがわからないのか。
もう既に機会は失われている。
金では買えないものが名誉だ。
そして信用だ。
それを買うことができるのは本人だけだ。
自死はたしかに悲劇だが?
教師が悪いのではない。
悪いのはあくまでも。
カンニングをした本人だ。
そして本人は汚名を濯ぐ機会を捨てた。
逃げても構わなかった、死ぬくらいなら家出でも何でもやりたければやれたろう。
一旦撤退は。
いくらしても構わなかった。
不利になった陣地を守り続けるより、拠点を変え、体制を立て直し、出直して仕切り直す。
ネット高校でも転校でも、なんとでもできたはずだ。
大検でもだ。
それで良かったのに。
とても残念だな。
何故それをあらかじめ叩き込んでやらなかった?
親としてベストを尽くしてどうにもならない理不尽で?この訴訟なのか?
そしてこれは本当にその子供が望んだ訴訟か?
万愛がとある人のサポートについているのに後から関わったことがある。
親だから本人よりムキになっている。
当たりようがなくて当たりやすいところにあたってしまったその人を、俺は悪人とは思っていない。
この訴えを起こした親は多分。
その人と似た心境だったのかなとふと思った。
やるせなさをどこにもぶつけられなくて、悔しさをどうにもできずに。
この訴訟に挑んだのかもしれない。
万愛が守ろうとしたその人の子供は、冤罪の被害者だった。
何も悪くない。
だからこそその親である人は悔しさに囚われていた。
万愛達は証拠を集め開示させ、聞き取りをさせ、それを再構築して、冤罪だった、この子にはこの犯罪を犯す時間が存在しないと立証した。
そこで初めて。
学校は認めた。
最初から冤罪ではないかと思っていた。と。
言い訳も良いところだ。
万愛たちの記録を見るにつけ、学校が当初、蓋をしようとしたのは事実だ。
ろくに調べもしないで、冤罪をはらしもしないで、蓋をしようとした。
スクールカウンセラー一人も派遣せず、ろくな聞き取りも調査もしないで、生徒の疑惑にさらされる環境に戻れ戻れ登校しろと急かした。
精神論で片付けようとした。
万愛とちよさんは、まずその子を転校させる権利を勝ち取り、事件精査をやり直せと学校に迫り、事実を暴いて認めさせ。
その上で、明らかに犯人となりえるものが一人しか居ないと立証してみせた。
その上で、その子をそれ以上追求するな、学校にも
それをホームページに載せさせる確約までは取りつけ、それをゴールとしよう?とその親に告げた。
けれどその時に実母であった人はその悔しさを捨てきれなかったのだろう。
そしてそれが当たりやすいところへ当たるという形になった。
その人はそこで踏みとどまった。
けれどその人は万愛には公的に教師を罰したいと言い募っていたのだそうだ。
万愛はそれを止めていた。
子どもの名誉を取れ。
訴訟しても取れるのは30万にも満たぬはした金であり、訴訟費用は明らかに百万を超える。
時間もかかる。そして泥仕合になる。
そう言っていた記録がある。
学校を訴えたところで名誉は買えない。
名誉を回復させる。それがほんとうの意味での勝ちなのだと。
その子が、友人の前で、胸を張れる。
それが大事なのだと。
学校に子供の名誉を回復させ、落ち度があったと認めさせると。
万愛とちよさんはそれに奔走した。
教師の個人責任や自治体の責任を取るのではなく味方につけろ!と何度も言っていた記録はある。
そして自治体が今後に取り入れやすい、改革のためのプランを与えることが勝ちなのだと。
してくれたことには感謝を。
妥当なものしか要求はしてはならないことも伝えていた。
冤罪であったことを精査しなかった落ち度を責め立て、金にしたら、そこでもう名誉は買えなくなる!
そうじゃない。と、。
今後に役立てろ、金ではなく二度と自分たちの娘と同じ思いをどの子供にもさせてくれるなといえ、といい続けてた。
親としては、頭でそれが正解だと判っていても。
それでも悔しかったのだろう。
留まれなかったんだろう。
暴走しそうになり。
それが原因で万愛とちよさんは手を引いた。
止めるにはそれしかないという判断であったのは俺は見ていた。
それは子どもの希望じゃない親の妄執だと。
辛辣な言葉を吐いたちよさんに矛先が向いた。
それが手を引くきっかけだった。
彼女が相手を討ち取りたいと願っていたのは理解できないわけじゃない。
彼女の子供の場合は。
本当に冤罪で。
本当に子供は無辜で。
それは親なら相手を殺したくもなる。
それまで何ら問題のなかった学校生活から突然不幸へと落とされるのだから。
それでも。
今も事件は起きていないから。
彼女はとどまったのだろう。
万愛は彼女にこう言っていた。
その苦しみはいつか、花になるとおもう。
その我慢は、耐えて名誉を買ったんだと思うべきだ。
相手を許すことで。
永遠に勝ち逃げしろ。
もう相手が手を出せない不可侵へと。
今彼女の子供さんがどうなっているのかは俺達は手を引いたから確認はしていない。
けれどあれが冤罪であったこと。
冤罪にもかかわらず、争うのでは無く、やらかした子供にすら慈悲を見せたことは意味がある。
俺は万愛の言っていた言葉は間違っていないと思う。
何年かたったとき。
その怒りとやるせなさが時に癒やされた時。
多分、万愛達のいいたかったことは、その人に伝わるだろう。
聡い人だから。
万愛やちよさんが何を守ろうとして、止めたのか。
まったくの被害者であり、無辜であった万愛すら、金目当てだと言われたデマに苦しめられた。
万愛は訴訟の現実を知っているからこそ止めた。
無辜ならまだしも。
非がある者が訴えるとその反動は大きい。
訴訟を起こした親には、止める味方が居なかったのかな。
そう思うと可哀想だなと思う。