わーーーガーンガーンガーン驚き
放置にも程がある……
皆様ご無沙汰しております。
ねこすけです。
娘の記事を最後にして
随分と間があいてしまいましたガーンナントマー

そうそう
長女は昨年の8月2日(パンツの日)に
入籍をいたしましたおねがい
なんだかんだとそこから7ヶ月
たまに顔を出してくれたり
仕事で車の運転にも慣れたようで
私が助手席に座るなんてこともあります爆笑
次女も忙しい………にも程があるほど
仕事してます。
🌑ラックと呼んでしまいたいけれど
それでも楽しいと言われると
うう~んあせるあせると思いながらも
見守るしかないのかぁ……
と歯がゆくもなったりしています。
次女もちょいちょい帰ってきてくれて
週末は家族でゲームをしたりしていました。

ねこすけは
昨年の8月末から同居の父が入院をし
3週間後に退院
そこから介護生活が本格化しました。
要介護1だったのに
要介護4へステップアップ!!
バルーン(尿道カテーテル)
を入れての退院だったので
様々な生活形態が変わりました。
ベッド上から動くことがかなり困難で
自分でお箸やスプーンは持てず
3食全て母が食べさせたり
トロミがないと誤嚥がひどくなるので
ごくごく水分を摂りたくても
それができないストレスがちょいちょい
トイレもバルーンがあるし
立てないし…なので
そちらのケアは全てねこすけが担当
病院に連れていくにも
うちの車に乗せることが困難になり
介護タクシーを利用するレベルとなり
ケアマネさんからの助言もあって
訪問診療に来てもらうことになり
その流れで訪問看護さんも依頼
訪問マッサージ、訪問リハビリ
訪問入浴、訪問歯科
ありとあらゆるサービスをお願いして
私も仕事を続けながら
母と共に父の介護生活を送っていました。
この文章だと
こりゃまた大変だったのでは??
と思われますが
沢山の方の協力のもと
母も私も父自身も
びっくりするほど心が穏やかで
大変さはあれど
全てを明るい方に捉えて
とにかく笑いが絶えない毎日でした。
父がちょっとしたことでも
『ありがとう』
と言ってくれたことも大きかった…
『ごめん』じゃなくていいよ
母も私も何年も言っていましたが
なかなか切り替えられなかった父が
この頃から『ありがとう』と
小さなことに対しても
言ってくれていたんです…。
これは本当に大きな支えでした。
私は父に対して
いつまでも反抗期みたいなところが
実はあったのですが
(もちろんそうなる理由があった)
この介護の時間を境に
全てが取っ払われた気がしました。
とにかく濃密濃厚な時間が流れました。
しかし今年の1月下旬
父が高熱を出して
自宅への往診ではどうにもならない
それくらいの容態に陥りました。
この頃はオミクロン株により
医療現場が混乱している状態で
入院もままならない…
実際、父が救急車で運ばれた先の病院では
もっと重篤な患者にベッドを使いたいと
帰されたほどでした。
翌日介護タクシーで
かかりつけの総合病院に向かい
また一から検査をあれこれ受けて
奇跡的にその時に個室が空いたとのことで
即入院となりました。
この時の血液の炎症数値は35
いつ亡くなってもおかしくなかった
と言われました…
結局父は誤嚥性肺炎での高熱でした。
良くなり悪くなりを繰り返し
何度か先生に呼ばれ
特別に面会させてもらったり
ちょくちょく手紙を持っていったり
そこからの40日は長かった…
そして
先生からの配慮もあり
ついに父が退院してきました。
言葉を発するにも体力を使う
それくらいのレベルでした。
でもやはり
穏やかな時間が流れました。
弱いながらも父は私たちの声に反応し
泊まりにきた娘達と顔を合わせて
簡単な会話に反応することができたりして
本当に本当に
あたたかく
優しく
触れ合いながら
そして
2022年3月11日午前8時47分
母と私に見守られながら
父は穏やかに旅立ちました。
89歳
あと1週間で90歳でした。
歩行困難や思い通りに身体が動かせない
ジレンマに日々苛まれていただろうに
たまに愚痴るけど
愚痴り方が可愛くて
なんかクスッと笑ってしまって
笑い事じゃないよーって
もぉーって顔をしかめる
その父がまた可愛くて…
そんな父の命の終わりを
この目で
見届けました。
やっとブログに書けました。

こんなにも長いブログを最後まで
読んでくださった皆さん
ありがとうございました。
ねこすけは元気です。
命と向き合うことの多かったこの数年
これから先の自分の人生
感謝の思いを忘れることなく
過ごしていきたいと思っています。