27日午前、猫氏を見送り。
お花と病気中も自分で食べる時は
大好きだった缶詰のごはん、おやつ、
カツオのお刺身、チーズ、カニカマを
一緒に棺にいれて
1時間後、御骨拾いをした。
かかりつけの先生が歴代のコたちを
送って来たと言う葬儀社さんにお願いした。
建物や設備は古い年季を感じる場所だったけど
それほど長い年月、見送りをされてきた
会社なのだろう。
驚くほど良心的な価格で専用の火葬炉を
持ってるいい会社だった。
少し前愛知の業者が火葬の際に
ゴミを日常的に燃やしてたニュースを
みたあとだった
丁重に扱ってくださり
大切な1度しかない見送りの時を
満足な気持ちで送り出せたのは有難かった。
ふた晩私の枕元に猫氏はいて
今は御骨となって家にいる。
猫って、いるような居ないような、
存在感を上手く薄めながらも
しっかり「いる」ことを意識させてくれる存在。
だからまだそんな感覚でいる。
ずーっと私は猫氏の執事のままでいるんだろうな。
色んな人からお悔やみをいただき
涙が溢れて強い虚無感に襲われるのは
「それほど幸せな時間を猫氏が与えてくれたから」
今はそう感じてる。
2年前に愛犬を亡くした人が
「うちのコ寂しがり屋だから、お空で
仲良くしてやってくれたら´`*」
そう言ってくれた。
「そっちで寂しくないように、猫氏が行くから
出迎えてやってくれたら嬉しい」
そうお願いした。
今も人の優しさをもたらしてくれる猫氏。
そう考えたら、少し前向きになれる気がする。
喪ったつらさは、
それ以上に幸せな時間だったから。
無償の愛を感じて来たけれど
「今無償の愛の本当の意味を知った」
無償の愛の元には、人の優しい気持ちが集まる。
ありがたいこと。