高校の時

図書室の司書の先生は

とても素敵な方だった

 

私の母と同年代の女性

 

「初めてこの学校に来た時

 黒い制服(学ラン)が

 怖くて怖くて・・・」

とおっしゃって

 

工業高校ですもん

ほぼ男子校

ガラも悪いしね

 

身体が小さく

お上品な先生には

怖いですよ、そりゃ

 

図書委員だったので

よく図書室に出入りして

いろいろお話していただいた

 

「私ね

 結婚式の直前で

 やっぱり結婚できませんって

 断っちゃったことがあるの」

なんて話も聞かせていただいたな

 

先生は仕事を

続けたかったのに

お相手は仕事をやめて

家庭に入ってほしいと

望んでいたらしく

 

年代が年代なので

それが当たり前みたいに

思われていた

女性の生き方

 

悩んで

迷って

答えが出たのは

直前だったと・・・

 

色々大変だったけど

それでよかったとも

おっしゃっていた

 

その後知り合った

年下の男性と結婚

 

照れ隠しに

愚痴めいたことを

お話していたけど

仲が良いことが

うかがえた

 

一度

街で偶然出会ったら

ご夫婦でいらしたのに

恥ずかしかったのか

「あなた、ちょっと向こうへ行ってて」

なんて

旦那さんを追い立てて

可愛らしい方だった

 

卒業してから数年後

お見合い話を

勧めてくれたことも

あったな・・・

(夫と付き合っていたのでお断りした)

 

 

先生はもうだいぶ前に

お亡くなりに

なったんだけど

 

その前の年まで

年賀状のやり取りを

していたのね

 

先生のは

エッセイのような文章が

小さい文字で印刷されている

独特の年賀状で

 

その年賀状が

その年

届かなかった

 

数ヶ月後

何気に開いた

新聞の訃報欄に

先生のお名前があった

 

あったけれど

最初はそうと気づかなかった

 

というのは

先生は普段

ご自分のお名前を

ひらがなで書かれていて

そういう名前だと

思っていたのだけど

訃報欄にあった文字は

漢字一文字で

一見、男性かなと

思えたから

 

気になって住所を確認したら

一致していた

旦那さんの名前とは違うことが

わかっていたので

先生なんだな、と思った

 

先生は

男性と間違われないよう

ひらがなを使っていたのだと

初めて知った

 

 

葬儀に参列させていただいた

 

普段、新聞の訃報欄を

マメに見るわけでもないのに

知ることができたというのは

教えていただいたのだな

ご挨拶させていただけるのだな

と思った

 

弔辞の際

数人の方が

泣きながら悔しがっていた

怒ってもいた

 

先生はご病気だったそうで

ご病気になってから

周囲との連絡を

一切絶ってしまったそうだ

 

お子さんの無かった先生は

若い人のお見合いに世話を焼いたり

何組か仲人もされたようで

そんな子供のような存在の方々にさえ

ご病気であることすら

頑なに教えなかったそうで

 

理由もわからず

お会いできないまま

今日を迎えてしまったことが

悔しいと

悲しいと

なぜなんですかと

むせび泣く男性の姿を

思い出して

 

いまだに私は

もらい泣きしてしまう

 

先生は

病気でやつれていく姿を

絶対見せたくなかったんだと

思う

 

その姿が

最後の思い出になるのが

嫌だったのだと思う