いやぁ、ほんと

 

やりたくないことは

ムリしてやらなくて

いいんだね

 

・・・という出来事が

ありました

 

 

「いやなんだけど

 私がやらなくては・・・」

という思い込みがあって

それについて

勝手に責任を感じたり

罪悪感を感じたり

していたことがあって

 

でも

 

よくよく考えてみたら

関係者は複数人居て

私だけが背負わなくても

良い案件で

 

ふと見れば

他の関係者は

別に何も感じていない様子で

 

あれ?もしかして

そんなに大したことじゃ

ないのかも?

 

と考え直して

 

私が勝手に

大げさに捉えて

勝手に問題や悩みを

作り上げて

怯えていただけだ

 

と気づき

 

本音ではやりたくないけど

やらざるを得ない場合は

やるとして

とりあえず

やるつもりの

事前の準備はやめておこう

 

と放置

 

 いつもならここで

 やる準備をしてしまうので

 自分では危機管理のつもりが

 周囲から

 「やりたいんだ」と

 誤解されていたのかもしれない

 

責任を分散させるために

夫さんに状況を話しておいたら

 

なんと

頼んだわけじゃないのに

私の代わりに

夫さんがやってくれた

 

のです

 

私にとっては

抵抗感半端ないことでも

夫さんには

どうってことないこと

だったみたい

 

夫さんに話してよかった

 

自分が思うほど

周りは気にしていない

 

のですよね

 

私には重大なことでも

他の人はそれほどでもない

 

逆もしかり

 

夫さんが

のらりくらりと

避けていることが

私にはどうってことなくて

代わりにやるパターンだって

あるのです

 

同じ状況下にあっても

苦しい人と

楽しんでいる人がいて

 

どちらを選ぶかは

”自分の法律”に

基づいているだけ

 

以前はね

自分がどうしようどうしようって

なっている時に

気楽に考えている人がいたら

もっと真剣に考えろって

腹が立ったりしていたけど

 

今ならわかる

 

気楽な人がいたら

「気楽にしていいんだ」って

気づけばいいんだって

 

そんな真剣に

自分を追い込まなくたって

いいんだって

 

自分だけ苦しいのって

おかしいじゃん

だったらそれ

苦しむような案件じゃ

ないんだって

 

つきつめると

私の場合

苦しいのは

「いい人に見せよう」と

しているからでした

 

つまり

本当の私は

「いい人」じゃない

 

ムリして「いい人」するから

辛くなるので

 

もうやめていいや

 

「いい人」じゃなくなることは

責められるのも

嫌われるのも

悪口言われるのも

想定内になるので

無駄な悪あがきは

やめよう

 

もう、それでいいじゃん

 

昔は

人から責められるのが

「苦」だったけど

今は

自分が自分でいられない方が

本当の「苦」だったんだな

と感じます

 

私は楽に生きるのだ

 

つまり

もっともっと

「いい人」じゃなくなるのだ

 

「うん」