自分の感覚が

一般的に言われていることと違っているとき

どこかに

自分の感覚と同じ人はいないかと

探してしまう

 

例えば、神社

 

私は神社に惹かれない

スピ系の人がよく言う「呼ばれる」もない

 

むしろ

「来なくていい」を感じる

 

拒絶、とも違う

 

どちらかというと「必要ない」だ

 

意味は解らない

行く必要がある人はどんな人で

必要ない人はどんな人なんだろう

 

いや、でも、お礼に行くとかしなくていいの?

って思うんだけど

なぜか頭に飛来する感覚は

 

「いや、世話になってないし」

 

そんなこと思っていいのかな?

みんな、氏神様とか産土神様とかあるんじゃないの?

 

「それ、日本だけだし」

 

でも、日本人ですよ?

日本を選んで生まれてきたんですよ?

 

「そんなのカンケーねぇー」

 

なに、その小島よしお(笑)

 

「自分の感覚で生きたらいい」

 

今までは自分を信用できなかったので

自分が見習っている人の意見と違うとか

一般的な情報と違うとかすると

自分を却下し

誰かの意見を優先させて

振り回されていた

 

ようやく自分が見えて来た今になってみると

信用できなかった自分の感覚が

実は一番確かだということに気がつく

 

誰かの感覚はその誰かに合っている感覚

私の感覚は私に合っている感覚

そしてその感覚は変化していくもの

 

常に”今”の感覚でいいんだよね

 

違和感があれば他によりしっくりくる答えがある

それだけのこと

 

それだけのこと