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昨年の、
ガス燈朗読会Vol.9「宮沢賢治の1923年」について。〈 回遊展in八幡第19回(2022年9月24、25日開催)参加 〉
今回は、
宮澤賢治の童話、詩、短歌で構成した2時間の朗読会でした。
演目は
童話「サガレンと八月」
童話「イギリス海岸」
詩「オホーツク挽歌」ほか。
1923年7月31日から8月12日の間、
宮澤賢治は、生徒の就職を頼みに、
花巻→青森→函館→旭川→稚内→大泊→豊原→栄浜→鈴谷平原→花巻
のルートで、鉄道と連絡船を乗り継ぎながら旅行していました。
その間、賢治は長篇詩「青森挽歌」を含む10篇の詩を書いています。
全集のページにすると約60㌻でしょうか。
青森に向かう汽車の中で、詩「青森挽歌」と、詩「青森挽歌三」(8.1記)を。
稚内から船に乗って宗谷海峡を渡る時に、詩「宗谷挽歌」(8.2記)を。
詩「オホーツク挽歌」が書かれたのが、8月4日、ということなので、
この詩はやはり、サハリンの栄浜から海を見て書いたものなのだろうと、
するとやはり、「サガレンと八月」は、この時期に、この風景の中で書かれたものかな?
という発想が今回にはあって、詩と童話との組み合わせを決めました。
実はこの前年の1922年11月に、宮澤賢治は妹のとし子さんを亡くしています。
名作詩「永訣の朝」が書かれたのは、1922年11月27日。
とし子さんへの忘れがたい思いを抱えて、翌年の夏、サハリンへと旅立つ宮沢賢治の旅を追って、月島での朗読会にこの旅の詩を並べて朗読したのが、2019年の夏。
その時には、この旅の詩から受ける印象だけで朗読しました。
「サガレン~」「イギリス海岸」と重ねて朗読することで何があらわれるか。
おりしも1923年はソビエト連邦が成立し、新時代を迎えた年であり、
この時、賢治が中学時代に立ち寄ったという盛岡ハリストス教会がどんな状況だったか、
地元の人間ではない賢治ファンは知る由もありませんが、
エッセイ風でありながら、童話「イギリス海岸」と、ずっとおっしゃってらした谷口秀子先生の「イギリス海岸」を聞きながら、
この物語はやはり、この汽車旅で仕上げられたものかもしれない、と、
確かなことはわかりませんが、
この故郷の風景と自分たちの楽しかった野外授業の思い出を、
素晴らしい童話の一風景として書き残しておきたかったのかな、と、
思うようになりました。
大勢の方が翻訳に挑んでらして…
リルケの仕事を紹介することは、
大きな山々に挑むのと同じぐらいの作業なのだな、と、
茅野蕭々はじめ、志村ふくみ、生野幸吉、高安国世、長谷川四郎、片山敏彦、の翻訳で、今、読んでいます。
リルケの人生の、何に焦点を当てるか、によって、膨大な原詩から選ぶ詩が決まってくるのですねきっと。
リルケ関連の周辺の資料を読むうちに、
宮沢賢治の最初の詩集『心象スケッチ 春と修羅』のタイトルが、
ロダンの仕事を称揚するリルケの講演記録から取られたのだ、と、思うようになりました。
高村光太郎がロダンに傾倒していたことは有名ですが、高村光太郎は戦争中、宮沢賢治の父に世話になり、花巻でアトリエを構えていたそうです。
『智恵子抄』にも、その頃の話が詩として描かれています。
高校生の頃、ごく薄いリルケ詩集の文庫本を持ち歩いてました。
中学だったかな?
友人たちと交換ノートに詩を書き合って、国語の先生に見せたり。
懐かしい思い出です。
前回のロダンの本の紹介で、お名前だけ出しましたが、アルセニーエフ作『デルスウ・ウザーラ』の翻訳や、『シベリヤ物語』の著者として有名な方。なのだそうです。
初読は、日本文学全集…だったか。
だいぶ前に読んで、キューブリックの映画に似てるかも、と。
色々読んだけど、
本の紹介がいちばん面白かった。です。
良書の紹介、というのは、
読んでいて楽しいものなのですが、
この方の本の紹介は、
本当に、好きで好きでどうしようもない本を紹介する、それも一気に大量に!
と言った感じで、
紹介される側にもその幸福感が伝わる…
という、他に類のないもののように思いました。
映画にもかなり詳しい方なのだと思います。
https://bookmeter.com/books/9088509
全集1の感想も書いてます。
こちらは、作者ご本人の解説を読みながら、書いた順番と文体の変化を追ってゆく感じで読めれば、良いと思います。
朗読題材として、いろいろと読んでいます。
目で読んで気に入ったら、
声に出してみる。
なんとかなりそうだと思ったら、
稽古場に持ってゆく。
稽古の冒頭に、
漱石のエッセイを、しばらくの間朗読していたのですが、(語尾が!!)
この本に偶然ぶち当たって、
その高揚力に惹かれて、
朗詠練習のために使うようになりました。
こういう文章って、
朗詠していると背筋が伸びるんですよね。
しかも、フランスの古い文化、大聖堂の建築様式にも興味が湧いて来る。
この前、ノートルダム大聖堂が焼けてしまったニュースを聞きましたが、
歴史的建造物には、作った時代、修復した時代にそれぞれ関わってきた作り手の、国やその地域を代表する聖堂に必要とされる芸術観が反映されている、ということなので、その時代の歴史そのものが目に見えないどこかに消えて見えなくなってしまった、ということなのだろう、と、それはとても残念な事だと思います。
今の時代の美観にはそぐわなくとも、そこから学ぶべきものがある、と信じて、大切にしている人たちがいることの重さを、少しは考えた方がいいのだな、と、ロダンの遺言書を読んで思いました。
この本も、若い頃のリルケがロダンの弟子だったことも、長谷川四郎さんという作家さんのエッセイで読んで知りました。ロダンは彫刻家で、リルケは詩人で劇作家ですが、
読んでみたロダンの言葉があまりにも詩的なので、リルケはロダンの言葉からもかなりの影響を受けたのかもしれない、と、感じました。
どこか宮沢賢治の詩に、ロダンの言葉と似たような熱情と熱狂を感じる時があります。
リルケの詩は今でも好きです。
発見次第、書き直しています。
きりがないですが…
もともと、あまり、聞きたい朗読、というものはなかったのですが、
宮沢賢治朗読は、今は、谷口秀子さんの朗読だけ聞いています。
月島の宮沢賢治朗読会の演目を月ごとにまとめてその時のお話をメモに取ったノートが消えました。今日のことです。どこかで売られているかもしれません。見かけたらご一報ください。
外見は黒い薄い少し硬めの表紙でB5です。
花巻訛りによる宮沢賢治朗読会の演目を全部転記してあります。







