左からミュウ、ボヤジ、ケンケン、ココ

 

保護して下さった方のお宅にて最後の集合写真(2003年)

 

 

ご縁あって、私の家族となった

ミュウとボヤジのチビチビ時代

名前は保護主さんが付けて下さっていて

最初、ボヤジは「ぼや次」という表記だった

 

読み方「音」は変わらないけれど

「ボヤジ」

素敵な旅(猫生)を、という想いで

"Bon Voyage" の Voyageと表記を変更した

 

 

ミュウは、そのままミュウ

ローマ字表記でMiu、後にコレは「ミウ」という読みに気づき、Mewに変更した

Bartholomew(バーソロミュー)の Mew

 

バーソロミューは、海賊黄金期の最後にして最大のカリスマ海賊と言われている

 

Yossy, Mew, Voyage 猫海賊団

と、一人ワクワクしてみたり(´ω`)

 

 

名前をつける事で「個」を楽しみ

小さな「個」の集まりも楽しめる

 

集合体から個へ

個から集合体へ

 

 

【名前というモノ】

 

ペンネーム、ハンドルネーム、ニックネーム、芸名、本名、

どれもその「個」を表すモノであり

面白い事にその「音」や「文字」「表記」によって少なからずそのイメージが付いてくる(湧いてくる)

 

 

そのイメージもエネルギーである

 

 

人ぞれぞれに持つそれに対するイメージから

多くの人が同じ様に抱くイメージまで

それが良い悪いでも無いけれど

ただ、興味深い事であるのは確か

 

 

先日、

自分に還る為にの中でも綴った事

様々なモノが、様々な場面で、カテゴリー分けされるこの世の中で

名前というモノは

個を特定する一つのモノであり

個別化する為のラベルであり

その「モノ」を表す一つのモノ

 

 

それが全てではないというコト

 

 

「私」という存在は

◯◯という名前でいるけれど

本来、名前というモノは無くても良いのかもしれない

 

私は誰?

誰でもなく

何でも良い

 

だけど

 

この世界で生きる為に

必要となる名前の存在

その名前もエネルギーであるから

「音」(読み)「文字」(漢字含めて表記)

にこだわる、一つの楽しみとして

 

私の名前の漢字の組み合わせは、珍しいのか、難しいのか、小学校入学から大学卒業まで、フリガナをふっていない場合、一回で読めた人はいない気がする

 

新学期が始まり、新しいクラスで、新しい先生、全員の名前が一人づつ呼ばれる時、ある意味楽しみでもあり、不安でもあり、

 

ちゃんと読まれる?読まれない?

 

あ、やっぱ読めない...

と、特に小学校低学年の時には気にしている私がいた

 

慣れてしまったけど、今でも少なくはない

 

 

色々な読み方が出来

色々な可能性があり

だれも私を読めない

それも何だか面白い

と、「今」は感じる

 

 

最近特に、

◯◯会社の□□の△△です。

というのを見聞きすると、超絶苦しく感じる私

まぁ、それが「社会」なのだけど

まぁ、それも「個」の自由だけど

 

 

私的には

◯◯という名前で

この肉体という借り物(乗り物)を着て

今、ココに存在し

地球を体験する意識エネルギーである

と理解した上で、どう楽しもうかなと

 

 

宇宙とは意識エネルギーの集合体

 

 

【ヤドカリである事】

 

人も猫も全てのモノはヤドカリであると

ヤドカリとは「宿」を借りるというコト

ナカミである存在(意識)は移り変わる

(この場合、貝のヤドカリとは別の話)

ヤドカリのナカミもヤドカリであるから

 

意識は一つであり

それがそれぞれの宿(肉体)を着て

それぞれに活動、経験し、役を終え

宿を出て、また、一つの意識に戻る

進化するための手段であるという事

 

 

宿なしでは体験、体感できない事を

この地球で体験する為、感じる為に

5感と感情を使ってこの瞬間を味わう為に

 

 

どんな経験もどんな感情も

すべて貴重な人間意識体験

 

この地球遊園地で遊ぶコト

 

 

宿(肉体)が自分ではなく

自分が宿に入っており、それもごく一部

自分の世界そのものがすべて「自分」

ここにある空気も、目の前の猫も、木も

 

肉体は、超極細のペン先にすぎない

 

 

【生まれるというコト】

 

Yossyのプクプク時代

 

私はある時この世に生まれる事を決めた

 

父と母の、2番目の「子」(個)として

この日この時に生まれる事を決めて来た

 

兄がいる、そして、後に弟も生まれる

兄も弟も「自分」であり

「私」を体験するために

 

女という性別で

この宿を借りて

こういう経験を

こういうトキに

こういうヒトと

こういうコトを

 

全て自分で決めて来た

決めて来たとも言えるし

「今」決めているとも言える

 

 

全てこの宿でしかできない経験

この宿でしか感じられないコト

 

 

本当の自分は全て知っている

 

 

母に抱かれるYossyとオンザ眉毛の兄と

 

もし、父と母が出会わなかったら?

もちろん今の「私」という形では存在していない

けど、コレは考える事すら意味の無いコト

 

出会わなかったらきっと別の何かとして、どこかで存在しているでしょう、それは、今、この記事を呼んでいる「誰か」かもしれないし(その場合、この記事は存在しないけど)猫かもしれないし、宿を持たないエネルギーのままかもしれない

いずれにしても、「猫」は存在する(存在させる)

 

 

その意味の無い事をあえて考えてみるのが人間の面白さなのかもしれない

 

 

【成長するというコト】

 

成長とは宿(肉体)の成長だけでなく

意識の成長でもある

 

意識の成長と共に

色々な事に気づき

少しずつ自分のペースで

「自分」に還るという道

 

 

人生は長い短いでは計れず

その人が、経験する事全て

経験し終えるまで、続く道

 

その人も「自分」であり

自分の代わりにその宿で

経験してくれている存在

 

 

様々な出会いがあり

様々な出来事があり

様々な事を体験する

 

 

その様々な全てが

「自分」へのガイドであり

時に軌道修正されたり、サポートされたり

どんな事も、どんな人も、「自分」の為に

イヤな役もイイ役も引き受けてくれている

 

 

いわば、自分人生劇場の役者である

 

 

一人一人が「主役」の人生

一人一人が「自分」の人生

 

どんなストーリーで楽しむか

いつでも「今」を意識する事

「自分」を意識的に生きる事

 

自分で自分を苦しめるのも

自分で自分を楽しませるのも

すべて、すべて「自分」体験

 

3歳のYossy(ピアノを弾き始めた頃)皆、オンザ眉毛

 

「母」は

大病から多くのコトを学び

奇跡と呼ばれる事も体験し

生活改善、性格改善と共に

自分という意識改革の道へ

 

 

大病も小病も違いはなく

意識改革へのガイダンス

すべてがメッセンジャー

 

 

病は気から、という様に

病気は自分次第で変化し

どんな病気も共存できる

その気になれば、完治も

という事に気づいていた

 

余命半年宣告から13年

この世での役目を終え、

「自分」を生ききった後

62歳で大いなる意識へ

戻って行った

 

この世の去り方もお見事、と

母の生き様から学ぶ事は多い

 

その「母」も「私」であり

 

全てが「自分」だと知る時

 

今迄感じた事のない『愛』に包まれる

 

 

「死」とは決して恐れる事ではなく

全てのモノが最期に経験するコト

宿を脱ぎ捨て、大いなる意識へと還る時

真の意味での『全てが自分』を体験する

 

そんな気がする

 

 

全てのモノが、唯一無二の存在であるのは

「個」である事を楽しみ、味わうため

 

 

◯◯という名前も

自分を生きる為に

大切なモノであり

 

想いというエネルギー

文字というエネルギー

音というエネルギーで

創られるその「モノ」

 

 

Yossy, Mew, Voyage 猫海賊団

結成から今夏で14年

 

大航海の途中にゃん

 

 

旅は仲間がいる方が

きっと何倍も楽しい

 

その仲間も全て「自分」

素敵な自分を発見する事

素敵な自分と共に歩む事

 

 

あなたの側にいる猫も

あなた自身にゃのです

 

誰もが猫と会話ができ、

誰もが猫の気持ちが分かり

誰もが猫と通じ合える

何も特別な事ではなく

 

 

猫に限らず意識ある全てと

 

 

猫は猫ではなく

猫の形をした、猫のヤドカリ

あなたと同じ意識エネルギー

 

出来ない時、分からない時、

自分で「自分」を見失っている時

 

 

愛する誰かや愛する猫が亡くなる時

とてつもない悲しみに襲われる

悲し過ぎて理解不能な時もある

悲し過ぎて涙が出ない時もある

 

何事も無理をせず自分のペースで

 

すべて、ココでしか味わえない

「愛」を経験する為

 

歓びを感じる時には歓びを

悲しい時には悲しみに浸る

その感情も自分自身であり

 

全ては『愛』であると知る為

 

 

感覚があるって素晴らしい

感情があるって素晴らしい

生きているって素晴らしい

 

 

宿を脱いで見えないエネルギーになっても

いつも自分とつながっている存在という事

 

ただ、自分とは別の形で存在してくれた事が

こんなに愛おしいという事を全身で味わう為

時間の長短に関わらず、様々な事を共有し、

様々な感情に出会い、様々な自分を知る為に

 

 

ぜんぶ、ぜんぶ「愛」

 

 

*先日、93歳の誕生日を迎えた祖母が、この懐かしい写真達を送ってくれました。おばあちゃん、お誕生日おめでとう♡

在りし日の「母」はおばあちゃんにとっては「娘」

在りし日の「母」の「娘」は「私」いろんな「役」

 

 

毎日誰かの誕生日

毎日自分の誕生日

 

毎日がありがたい

 

特別であり

特別でない

 

全てが生まれる今

 

 

にゃん


いつか銀河に帰る日まで

 

猫に
マタタビ♡

 

 

*最後まで読んで下さりありがとうございます♡

今まで私が歩んで来た道、経験を通しての気づき、

私なりに今の私の言葉で自分を理解する為に書いたモノです。

私が何かに気づかされる時、ココでの他者(全てのモノ)は未知の自分からのメッセージという感覚でいます。

日常の中でも、ネット上でも、気づかされる事はとても多く、とても面白いセカイだなぁ、と感じています。