数年前、私がまだ幼かった頃はアメーバピグ全盛期だった。

もちろん黒歴史ではあるがブログも少しだけ運営していたことがある(探そうと思えば多分探せるけど思い出すのはやめておこう) 。

1人で石を蹴りながら、ちょうどいい枝を引きずりながら当時は女の子の中では全く居なかった黒いランドセルを背負って帰路についていた。入学前の幼い私が好きな色を選んでいいと言われた時にまっさきに決めた黒のランドセル。もちろん他にいい色あるよとは言われていたが私はこれがいいと言って聞かなかったらしい。好きな色を選んでいいと言った手前、完全に反対はせずに4月。

黒いランドセルを背負った女の子が爆誕した。

それに纏わる話はまたどこかでしよう。

閑話休題。

鍵っ子(表現が古いか?)だった私は百均の伸びるキーチェーンに家の鍵をつけていたのでみよんと伸ばしてがちゃがちゃと鍵を開けて、誰もいない家に向かって「ただいまー!」と健気に投げかけていた。当時にしては防犯対策がしっかりしている。

靴を脱ぎ捨ててランドセルを放り、すぐに母が持っていたノートパソコンを開いた。当時はまだChromeなどがなかった気がするのでeのローマ字に土星の輪を斜めにしたようなアイコンをタッチパッド(マウスなんてものは学校のパソコンにしかないものだと思っていた)でぺぺと叩いてインターネットの海に飛び込んでいた。

友達と通学路でばいばーいと手を振っても、家に帰ったらピグライフで会う、なんてことを良くしていた。

五分で収穫ができるいちごを大量に植えて周りをウロウロすることで収穫の時間を潰していたことをよく覚えている。あと謎にポルチーニ茸を採取するイベントのことも覚えている。私はポルチーニ茸という言葉をピグライフから学んだ。


さて 、インターネットというものが同世代よりも身近にあった私は当然のようにローマ字の吸収が早かった。

4年生から学び始めるローマ字を、私は2年先取りして習得していた。

現にローマ字打ちに慣れすぎていて、逆にフリック入力がずっとなれないままだ。

今この文章も絶賛ローマ字打ち。いえーい✌️

現代っ子は逆にフリック入力に慣れすぎていてキーボードが打てないという話をどこかで聞いたが、私はその逆である。

どうにかしてフリック入力に慣れようとしてもスマホ触りたてほやほや人間のようになるのでもう諦めた。 私はずっとローマ字打ち人間で生きていく。

そんな事がありながら迎えた4年生。皆がローマ字の下敷きを睨みつけながらキーボードをたどたどしく人差し指で打ち込んでいく中、私は下敷きなぞ見ずにたったかたったか長ったらしい文章を打ち込んでいた。

ローマ字の練習用にパソコンにダウンロードされていた、名前は忘れてしまったけれど今で言う寿司打のようなソフトで無双していた。

こいつは分かる人間だ、と思って貰えたのか

「ちっちゃいつってどうやったら出るの?」

「ビックリマークってどうやったらいいの?」

聞かれまくった。

私はパソコン室の英雄だった。当時だけね。

ただパソコン室の椅子は回るタイプの椅子だったから 隣の子に教える時に体重がどちらかに傾くことがあった。

それで私はバランスを崩して椅子から落ちたことがあり、その音が大きかったせいか担任に怒鳴られたことを聞かれまくったことと同じように覚えている。その授業が終わった後に私以外の皆が教室へ帰され、私はパソコン室に残されてどういう状況だったのか担任へ説明させられた。滑稽だった。どうして椅子から落ちただけで怒鳴られて落ちた時の再現までさせられてるんだろうと。

未だに落ちたあとの静寂を思い出すとゾワッとする。