猫の手舎

猫の手舎

手作り絵本製作

今日は、猫の手舎のオールスタッフの紹介イラストを変更手直ししてご案内させて頂きます。
スタッフ全員、「LOVE&PEACE」の缶バッチを付けています。皆様もぜひ胸にこの缶バッチを付けて、世界平和を願ってお祈りしませんか?
興味のある方は、猫の手舎ホームページ「https:nekonotesha.com」へどうぞ!
猫の手舎

今日のみすゞさんの詩は「明るい家」です。
現実とはかけ離れた世界、でも心の中にしっかりと作られた世界です。
みすゞさんの信念が満ち溢れていると言ってもいいかと思います。
私も同じく自分にしかない世界を持っています。

やはり、それは色彩も家具、調度品がバランス良く配置され、きわめて居心地がいいものです。
私は生きていてそれが最も大切なものであると思っています。
お金を掛けたり、贅沢をするということとはかけ離れた問題です。
でもそれは時々納得ゆかない部分があると、一晩中でも悩み抜いて朝を迎えたりすることもあります。
それは私にとって必然なのです。(澪)

みすゞさんの本日の詩とイラストはこちらです。

昨日は夫と吉祥寺に行ってウインドショッピングを楽しみました。
行く前に東伏見という所のリサイクルショップに寄ってお喋りをしましたが、狭い店内に品物が所狭しと並べられて、その中で店主の淹れてくれた珈琲をいただきながら品定めをしました。
私の目に止まったのは昔、子供の頃使ったセルロイドの筆箱。本物のセルロイドかは定かではありませんが"(確かに安くてニセモノっぽい)懐かしくて買い求めました。
子供時代の文房具ってみな懐かしいものですよね。下敷きというものも、今の子供達は使っているのかなあ?

モノは買わない、増やさない主義の最近の私ですが、筆箱はつい買ってしまいました。
筆は入れてなかったのに筆箱と言っていましたね。今はペンケースとでも言っているのかも。
シューズボックスも下駄箱と言っていました。私の子供時代は確かに下駄をまだはいていましたから。
でも学校へは靴で行っていましたけどね。
クリスマスプレゼントにビロードの赤い足袋が入っていた時代です

年を取るはずです。古き良き時代が恋しい私です。(澪)

 

本日のみすゞさんの詩とイラストはこちらです。

今日のみすゞさんの詩は「お勘定」と言っても、食事の後のあの「おかんじょう!」とは違います。
色々な数を数えることなんですね。
學校までの歩数が567歩でその間に電信柱が9本ある。実際、いまでもそれらの電柱は今も9本残っている。
って、どこかで読んだか聞いたかしたような気がします。

みすゞさんは文学だけでなく、科学者にでもなれそうな知識をたくさんの読書の中から学んでいたようですね。
当時のみすゞさんに会ってみたいと心から思います。
私が絵を描いて、みすゞさんが童話を書く、そんなことができたならとてもうれしいです。(澪)

本日のみすゞさんの詩とイラストはこちらです。

今日のみすゞさんのお話はかんざしということですが、当時(大正時代?)では大切な品のひとつでした。
しかし、それが子供から見たら遊び道具の一つになったりします。
遊び道具といっても子供からすれば、それはそれで宝物でもあります。

大人の価値観と子供の価値観とは当然異なりますが、ここかんざしと言うことになれば、どちらから見ても宝物に該当します。
でもそれを壊してしまったら、もう子供には責任は取れません。
ただただ黙って知らんぷりするしかありません。
だれも知らないのだから自分も知らないことに‥‥。(澪)

本日のみすゞさんの詩とイラストはこちらです。

「電燈のかげ」というタイトルですが、楽しいはずの遠足なのになぜこのような感情がうかんできたのでしょうか?
みすゞさんに関して言うならば、彼女は子供らしくみんなでキャキャと騒ぐようなタイプではなかったようです。
頭が良くて、いわゆるクラスの委員長を続けてきた、そしていじめなど決してしない心優しい人でした。
それだけに人知れず悩みを抱えていたのかも知れません。

私の様にぼんくら人間からしたら、才能豊かな人は感情の起伏も多々あったのではないでしょうか?
私は母が作ってくれた大きな大きなおむすびをほおばりながら、楽しく遠足を満喫してきました。
運動会なども、足が早くスターのような存在でしたから、楽しくてしかたありませんでした。
秀才でなかったことが私の大きな取柄で、音楽と体育はいつでもトップでした。
みすゞさんはまるでその逆だったようですね。(澪)

本日のみすゞさんの詩とイラストはこちらです。

今日のみすゞさんの詩のタイトルは「お菓子賈ひ」です。
みすゞさんは明治末期の生まれですが、昭和時代に育った私は、駄菓子屋さんの思い出は沢山あります。
最近、また当時の駄菓子を店頭に並べているお店をチラホラ見ることがあります。
でもやはり昔の頃のものとは違います。現代のものはイミテイションぽい感じで、うすっぺらです。
当時の駄菓子は、子供にとっては宝のようにキラキラ輝いた存在でした。
なにを買うか真剣に悩んだりもしました。


私がよく足を運んだ駄菓子屋さんで、「じいさんばあさん」と言うお店がありました。
それは決して本当の店名ではなく、ただおじいさんとおばあさんがお店をしていただけなのでしょうが、
子供はそのように呼んでいた訳です。
子供たちは自由な発想で、ニックネームや遊びをいろいろと考えつくものです。
昔の子供たちは現代の様に与えられたゲームに没頭するようなことはなく、自身で考えながら遊びを作り出していたような気がします。(澪)

本日のみすゞさんの詩とイラストはこちらです。

みすゞさんの今日の詩は「仲なほり」
この詩の途中に、4行の削除された部分があるのだそうだ。
それがこちら

きのふ、おとつひ、さおとつひ、
ものもいはずに、ゐたけれど、
なにかふしぎな、なつかしい
霞のなかに、とけてゐた。

ちょっと理屈っぽくなっていたのを、友だち同士にはそんな理屈はいらないということなのでしょう。

どんなことも許し合える、それが友だち、本当の友だち。
私も、そんなことが多々ありました。
そう、子供の喧嘩ってたわいのないものです。
親友といえる仲の友だちなら尚更です。口をきかなくなったとしても、何故か心が寂しくて何もかも忘れて口をきいている。
わだかまりが消えて元の仲に゙‥‥。
大人になると何故か元に戻るのは難しい部分があります。
そんな時、子供の頃のことを思い出して欲しいものです。(澪)

本日のみすゞさんの詩とイラストはこちらです。