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なんの話やぁ!笑
はい、旧ドイツ軍のSS(親衛隊)上級大将:ヨーゼフ:ディートリヒさんの話し!。( ̄ー+ ̄ ) ニヤリ
オイオイ!!
ページを閉じるんじゃ無い!
このおじさんやぁーーーん!
ここでははゼップ(Sepp:当時からの愛称)って呼ぶね。
写真はウィキペディアから借用でふ!
ゼップはずっとヒトラーの親衛隊で総統を直接護衛する、”ライプシュタンダルテ アドルフ ヒトラー”の司令官をやっていて、最後には第6SS装甲軍(当時の旧ドイツ軍で、一番強力な装甲軍の一つ!)の指揮官だったんよ!
ただ、ゼップ・・・・・・・一つ問題が有りまして、戦車だけでも500両以上(4個装甲師団)を有する軍の指揮官でありながら、士官学校は出て居ない・・・・どころか!!
軍事的には”素人”っぽい?
写真はライプシュタンダルテを閲兵する、ヒトラーとゼップ!写真はウィキペディアから借用
友軍の指揮官はおろか、終戦後に米軍の捕虜に成った後の取り調べでも、「彼は何も知らない!一般的な軍事知識さえも!」と言われる始末!
まぁ・・・・・ね・・・・・。
降伏してきたギリシャ軍将校とゼップ
”彼”がヒトラーの親衛隊に入る前は、少しの兵隊経験(一次世界大戦)は有るけど、一般の警察官とガソリンスタンドの店員だったのよん。
ガソリンスタンド店員が一軍の将ですよ!
そんな人が指揮官で・・・・軍事作戦なんて・・・・
実は結構ちゃんとやってる!?
東部戦線でも西部戦線でも、ゼップの指揮する部隊は十分に働いたんですよ!<ある意味驚き!
そりゃ細かい作戦は、幕僚(参謀)が計画するでしょうが、智将マンシュタインが呆れるほど軍事を知らない彼が、最終判断をしてる部隊がです!
そして、ゼップは「総統命令」を無視する事も度々あり、(そんな事は”彼”の判断で無いと無理!)一歩間違えば、大変な結果(ヒトラー怖いぞぉぉぉ!)になるが、彼は何を根拠に判断したのか・・・・謎だわ!
そして、兵士からわ”パパゼップ”(ゼップのおやじ!的な感じ)と愛称で呼ばれ、葬儀には7000人ともいわれる人が集まるなど、人望は有ったんです!!
軍事的な知識は無い筈ですが、そこそこ正しい判断をしていた名指揮官!と言えるのでしょうね!
そうでなければ・・・そんなに人は集まりませんから。
そして大戦末期(1945年3月)、”彼”の第六SS装甲軍は、ヒトラーの命令でベルリンから遠く離れたハンガリーに投入され、”春の目覚め”作戦を実施するも、戦力差はどうしようも無く敗退!
この敗戦でヒトラーの怒りをかった訳だけど・・・・。
ベルリン戦線(ソ連が占領)に居れば間違い無く、”全滅”⇒”捕虜”(戦死)だった訳ですが!⇒戦後、ソ連軍は”ゼップ”を死刑にすると宣告してた!(米国に引き渡しを要求!)
ベルリンから遠く離れたハンガリーに居たおかげで、米軍に投降する事に成功しており、(戦後:1966年まで生存)・・・長年の功に報いて、ヒトラーが逃がしてくれた!?
なーーーんてのは、考えすぎでしょうかねぇ??
はい、これでおーーーわり!!
じゃ、バイにゃん!
=①ω①= 猫☆ミ