私の母は昭和4年生まれ。誕生日が来たら95歳になります。

母の郷里の特養に入れたので、そこで過ごしていますが一緒に入居していた兄弟姉妹も先に向こう側に旅立ったので、少し寂しいかもしれません。※それもわかっていないかも。。。

コロナが流行る少し前に院内で感染したインフルエンザで高熱が続き、嚥下反射が低下し食事は鼻からチューブで摂っていて、ほぼ動けなくなりました。

 

この映画『PLAN 75』は高齢者対策として、国が75歳以上の高齢者に安楽死する権利(通称・プラン75)を認めた世界です。

主人公の未亡人ミチ(倍賞千恵子)は夫に先立たれて一人暮らしをしながら、元気にホテルの清掃員をして暮らす78歳。ところが高齢を理由に解雇されてしまいます。次の仕事は中々見つからない。生活保護を受けるか悩みますが、保護を受けて迄永らえるのか悩みます。

そう長くない先に病気や老衰で動けなくなり、他の人に迷惑をかけるくらいなら_と、PLAN75を申請するのです。

自治体の職員ヒロム(磯村勇斗)はPLAN75の申請受付等の窓口業務をしています。建物に立てられている幟は生命保険か何かのように、明るく清潔なイメージで、ヒロムも同様に穏やかな対応をしています。そんなヒロムの元に20年以上も交流のなかった叔父の幸夫が手続きにやってきます。

 

3人の立場が考えさせられるなって思いました。

①ミチは利用者本人(家族なし)

②ヒロムは行政担当者でありプラン申請者の家族

③幸夫は遠戚かも知れないけれど家族のいる利用者

 

今の私に一番近いのは①だけれど、息子たちは②、家族はいるけれど頼れない③

行政の指導で行われるPLAN75はきれいごとを言っているけれど現代の姨捨山ではないのか?

安楽死、生活保護、高齢者に賃貸物件を貸さない等々、問題は山積みです。

 

私の周りでも「寝たきりになるくらいなら、私は選びたい」ということも最近よく聴きます。

ちゃんと意思表示できるときに伝えてくれた場合でも、託された家族には負担があります。

ミチは最後に生きながらえることを選びますが、行政は翻意した人に対してちゃんとケアするのかとか、しっぺ返し的なことがないのか不安が残ります。

 

ヒロムは自分の仕事に対して後ろめたい気持ちがあります。窓口に来る人たちの安楽死を請け負う訳ですから、割り切れません。彼自身も親兄弟がなく、ゆくゆくはこのサービスを受ける側に回るのか_という葛藤があります。そんな時に現れる血縁者。ヒロムは叔父と交流を持ちたいと思いますが、叔父はプランの実行を心待ちにしています。※叔父が安楽死を待ち望む理由は語られません。

 

私の母が認知症を発症して特養に入って10年が経ちます。

『PLAN 75』が提起する問題は母の事から⇒私の事にシフトしてきています。

私はこのサービスが施行されたら、うけるかなぁ。

この映画は良い映画とかいう訳ではなくて、未来の自分の老いに対して『選択』を考えさせる映画だと思います。

 

倍賞千恵子さんは『フーテンの寅さん』のさくら役等で昭和の明るくて気さくで健気な女性というイメージのままです。そんな彼女だからこそ、この映画で報われるべき人が報われて欲しいという気持ちが湧きます。

 

結構、引きずる人は引きずってしまいそうなので(苦笑)、元気な時に見ておいてくださいませ。