阪神大震災 大阪にて | 梅雨の晴れ間 -tetsuko's blog-

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1995年1月17日。

兵庫県に近い、大阪にて被災。

まだ子供だった。


成人の日。

ABC新人お笑いグランプリでやすともが優勝した次の日だった。


体験した事ないガタガタの揺れ。

長い。戦争始まった?と思った。

(まさか地震だったとは)


近所の人皆外に出る。

家族で薄暗い中祖父母宅へ。

(スープの冷めない距離に住んでる)


5:46

真冬

薄暗い

寒い


でも皆怖くて家屋に入れない。

停電。

近所の自家発電出来る会社が、灯りをつけてくれた。

ありがたい。

その灯りの傍で、近所の人同士固まる。


外が明るくなってきた。

7:00くらい。

祖父母の家の中にやっと入る。


ガラスの破片だらけ。

報道番組で、神戸が震源だとか。


子供ながらに、えらいことになってる…と記憶している。


自宅に戻り、うちの家の中もぐちゃぐちゃ。ピアノ動いてる。茶碗殆ど割れてる。


学校お休み。

(家具に閉じ込められてる人もいたみたい)


暫く夜中寝れない日が続く。

家族で交代で起きる。


自宅、ガスパイプに亀裂→ガス漏れ。

修繕に1ヶ月程かかる(業者は神戸の方を優先。当たり前。)


電気調理器具で調理。


道路や河川敷、至る所に亀裂。

近所の建物一部損壊。


道路は常に車渋滞。

スーパーやコンビニには食べ物(日持ちするもの。パンとか)があまりない。(みんな神戸へ送ってる。当たり前。)


たまに連れてってもらった神戸。

通院していた病院も神戸。


震災後2ヶ月で電車が(灘区くらいまで?)通じる。


通院してた病院へいく。

綺麗な神戸が、ボロボロになっていた。


大好きなパン屋さん

CD屋さん


病院の入口足元にも亀裂。

周辺の家(おもに海側)は崩壊、半壊。


馴染みある場所が予想を大きく越えた被災、心がずしんと重くなった。


それは、ある程度形だけ復興したように見えた、約8年後くらいまで。


(友人の心の傷は計り知れないが、新しく綺麗な家に招待されて少しだけ良かったなと思った)


2002年、ガガガSPの、長田でのフリーライブに行った。


部外者が勝手に安心していいのか分からなかったけど、みんなを呼んでくれた事が嬉しかった。


阪神大震災に対する大まかな振り返り。


毎年こんなん書いてるように思うけど、書かなくなったら終わりかなと思って書いた。