#ギイタクif

記憶



とんでもない美形が、近づいてくる。

思わず僕の中で、何かが沸き上がる。

「あのっ」


振り向いた彼に、僕は目を細めた。

ああ、記憶失くしても、美形は美形だなぁ。

「?はい?」


僕は、掴みそうになる、彼の腕に伸ばしかけた手を止めた。

「僕、高校の時、一年だけ寮で同室だった…」


彼、ギイだけど、ギイじゃない…、は、ふわりと微笑んだ。

「ああ、『ギイ』を知ってる人だ?

 ごめんね、今、俺ポンコツ脳みそで」


彼、は、申し訳無さそうに頭を下げた。

「その節はお世話になりました。

 えー、と、仲良かったのかな?

 何か俺のこと教えてくれる?」


託生は戸惑う。


教えて、って、あんなこと教えるべきじゃないだろう。


あなたは、僕のことを好きでした、だなんて。

恋人同士でした、なんて。


だって、あなたはギイだけどギイじゃない。


今のあなたが、誰を好きになろうと、それは今のあなたが決めることだし。


強制することじゃ、ないし。


ギイが首を傾げる。

「どうしたの?

 何か俺、悪いこと言っちゃった?」


ギイは、何かちょっと優しい。

今までのと違う

多分、自分に負い目がある優しさ。


僕は首を振る。

「あ、いえ」


ギイは、かしかしと頭を掻いた。

「ああー、覚えてない時点で悪いことだよね。

 何か色々あったこと、俺全部忘れてんだもんね。

 …忘れられる、って、寂しいよね」


僕は、胸が、きゅっとしめつけられる。


愛した人だ。

全身全霊をもって、愛した人だ。


ギイ…。

「忘れる、のも寂しいでしょう?」


ギイは優しく笑った。

「ありがと。

 皆んなね、どうして忘れたの!

 って言うんだ。

 それはそうだなぁ、と思うんだけど…きみみたいに、俺が記憶なくて寂しいなんて考えてくれた人はいなかった。

 …大事な友達だったんだね、ギイ。

 いいな、大事にされてて、ギイ」


「あな、あなたも、ギイ、ですよ」

そうだ、記憶が無いからって、僕にとっては生きててくれたギイだ。


会いたくて、顔を見たくて、声を聞きたくて

触れたくて、たまらなかったギイだ。


「でもさぁ、きみのこと、なーんにも覚えてないの。それでも、ギイ?」


「生きていてくれました。

 それだけで、良かった、です」


あなたは、少し弱気に微笑む。

「そっか。ありがと。

 少なくともギイは、生きてて欲しいと思われる人だったんだ」


どんな気持ちだろうね。

暗闇の中で、足を前に進めなきゃいけないくらい、不安だろうね。


「そりゃもちろん」


「ねえ」


「あ、はい」


ギイが首を傾げる。

「俺、彼女、とかいなかったのかな。

 まずはいち早く、現れると思ってたんだけど。

 俺、あんまりそっち方面、素行良くなかった?」


「…いえ。

 とても、とてもモテたけど、誠実な人でしたから」


「きみ、俺の彼女とか知らない?

 一番俺のこと知ってるだろうから、聞こうと思ってたんだけど」


「彼女、さん、現れたら、また、お付き合いされるんですか?」


ギイが複雑そうな顔をする。

「うーん?その人次第?

 記憶ない俺って、何か違うかもしれないし、それじゃヤダって言われても仕方ないし。

 …うん、ダメかもね。全部忘れられてたら、悲しいよね。

 好き、って言ったことも、抱きしめたことも、それ以上も?なーんにも俺には無い」


それでもいいから、また、一緒にいて欲しい

とは言えなかった。


だって、記憶を無くしたらギイは

普通に女の子を好きかもしれないじゃないか。


男を、僕を好きだった、とか知ったら、ショックかもしれないじゃないか。


何より、自分にガッカリされたくない。


『え?俺、きみみたいな子を好きだったの?』

て。


僕のギイ、まで否定されたら泣いちゃう。

耐えらんない。


もちろん僕にガッカリされるのもショックだけど。

僕を好きだったギイにガッカリされたくない。


ギイはまじまじと僕を見た。

「あのさ」


僕は知らずにうつむいていた顔を上げる。

「あ、はい」

彼は病人。

優しくしてあげないと。

何も知らなくて、不安なはず。

心細いはず。


「カノジョ…てか、恋人、て、きみじゃないの?」

声をひそめたギイは、僕を気遣ったのか、ギイが聞かれたくなかったのか。


「え」

僕はすぐには反応が返せなかった。


何で?





春が

来たね。


きみと出会った

桜の春だよ。