#ギイタク
パラレル
早朝、自分と同じくらいありそうな高さのキャンバスに、託生は向き合って、朝の陽が昇る瞬間を凝視していた。
朱、赤、紅、桃、紫、藍、青、そして馴染みのスカイブルー。
水彩のパレットに、目まぐるしく混ぜ合わせて、現実の色を作り上げる。
そうしている間に、陽は昇ってしまう。
陽が登り切ると、空は単一の色を成す。
託生は辛うじてキャンバスに納められた、何色かを眺めながら、首を傾げる。
これで合ってたのかな?
という表情で。
そんな夜明けを、何日も繰り返すのを、ギイはこっそり眺めていた。
キャンバスに向かう真剣な横顔が、いつもの可愛い託生と違って、すごく綺麗だったから。
目が離せなかった。
「ねぇ崎くん、
空って、赤橙黄緑青藍紫の順に明るくなるんじゃないんだね」
あんな質問(詰問か?)をしたのに、託生は、自分に話しかけてくれる人は、いい人に違いない、という不思議な思い込みの元、ギイを仲良しと思っているようだった。
「赤橙黄…そりゃ、可視光線の見える順だろ」
「かしこうせん?」
「虹?」
託生が、ああ、とうなずく。
オイ、美術部。
あー、でも可視光線は化学か。
託生の成績は、よく祠堂に受かったな、というレベルだ。
でも、託生のキャンバスに載せられる色達は、全部透明感があって、それはとても綺麗だった。
何故かすごく切なくもあったけど。
ただ、託生の見詰める先はいつも空で、朝焼けか、夕焼け。
今のところ空しか描く気がしないと、託生は言う。
『尚』のいる場所?
結局、いくつか話を総合したら、『尚』は元々が病弱で、更に無理をして、亡くなったらしい。
多分。
雲の上、だとか、もう会えない、だとか。
そういうワードが並べられる。
でも、まだ託生の中には、『尚』が生きている。
託生の目は『尚』を追う。
どれだけ人生を占めていたのだろう。
幼かった頃、言葉が拙い託生は、よくクレヨンで、色を作っていたらしい。
「こんなことがあったの」
と、紫と黒と藍を混ぜたり。
水色に黄緑を重ねたり。
感情がいつの間にか色になった。
その名残りで、絵を描いているらしい。
クレヨンは混ざりにくいので、水を合わせれば濃淡もグラデーションも作れる水彩画が、託生に一番しっくりくる。
何かをあらわそうと、何かを伝えたいと、言葉が出てこない託生は、キャンバスに向かう。
段々と色だけじゃない、その日の気分まで、絵に載るようになってきた。
意外と感情豊かで、ハマる託生をギイは楽しく眺めていた。
託生は見ていてもいいと言ったけど、ただ色に入り込むと、ギイの存在を忘れることもしばしばだった。
ギイは、静かな二人きりの時間が好きだったし、託生は時々ギイの眼差しを確認するように振り返っていた。
ギイが笑い掛ければ、託生も表情を緩めた。
微かに笑う託生は、とても可愛かった。
昔の思い出で、託生を追って祠堂へ来たけど、今の託生はまた、ギイを惹き寄せた。
朝を迎える時間を繰り返す間、何度も託生はキャンバスに向かい、次第に頭に焼き付いたのか、美術室に籠もるようになった。
美術室は、残念ながら部員以外は禁制だったから、託生には程なくして会えなくなった。
会えなくなったら、会いたくなった。
移動教室の時に、何度かすれ違ったけど、託生はちゃんと気付いてギイへ会釈した。
そのくらいしか、会えなくなった。
会いたい。
託生に会いたい。
教室で、廊下から誰か呼んでいると、クラスの子から言われた。
教室のドアから少しだけ、顔を覗かせて、託生はギイに会釈した。
ギイが近付くと、託生が屈んでくれとジェスチャーする。
託生が耳元に手の平を当てる。
「絵をね、描き上げたんだけど、
どうやったら崎くんに見てもらえる?
あと、崎くんと会いたい時は、どうしたらいいの?」
託生の可愛い申し出に、ギイは聞きながら表情を緩ませた。
すぐ横にあった託生の頬へ、かすめるように、キスをして
「授業終わって、消灯までの間に、オレの部屋をノックして。
お散歩でもしよう?」
笑い掛けたギイに、託生は恥ずかしそうにうつむいて、また耳元に手の平を当てる。
「お部屋の番号を、教えて。
僕はね…」
ちゃんと自分の部屋もギイに教えて
(ギイにはリサーチ済みだったけど。
でも、訪ねていいよ、という許可を託生はギイにくれたわけだ)
託生は、小学生がするように、手の平を
「バイバイ」
と振って
「またね」
は、ちゃんと言葉にした。
『またね、』は、託生の
『また会いたいよ、』だった。
くすぐったくて、ギイは授業中思わず笑ってしまった。
待ち合わせすら、自分でどうしたらいいか分からない託生が、よくギイの教室を訪ねられたな、と、ギイは後から感心した。
託生は、あまり自分を見てもらった事がないのか、自分を見詰め続けるギイが気になったようで、嬉しかったらしい。
まだ、そこには、『好き』も、ない感じだったけど、『どうにかして会いたい』と思ってくれた託生に、ギイはご満悦だった。
嬉しい。
純粋に嬉しい。
夕食後、律儀にも部屋をノックしに来た託生は、もうお風呂上がりで、シャンプーの香りをさせていた。
「あのね、絵は美術室にしか置けないから、市美展でしか、見てもらえないみたい」
ちょっと残念そうに、託生は言って、夜の芝生を歩く。
「崎くんて、有名人なんだね」
「何かと動き回るからな」
「生徒会とか、委員会とか、部活のヘルプとか。
あと、モテるー。
周りに聞いたの。
ファンがたくさんいたよ。
一緒にお散歩してたら、恨まれるかな?」
組み合わせが意外過ぎて、不思議がられるくらいだろ。
託生はまだそんなに目立ってない。
隣を歩く託生を見たら、こんなに可愛いのに。
ギイは知らずと微笑んだ。
晴れた夜空は、星がたくさん見える。
託生が、空を仰ぐ。
「祠堂は、空気がキレイだから、星たくさんだねー」
なんとなく視線を感じた託生は、空からギイへ目を下ろした。
「崎くん?」
「うん?せっかく託生から誘ってもらったから、託生を見てた」
託生が、うろたえる。
「えっとね、僕も崎くんに会いたかったんだけどね、実際会うと、なかなか顔見るの恥ずかしいね」
可愛いなぁ。
言葉にするのが必死だから、何の裏もない。
「出来上がった絵は、お兄ちゃん?」
「え?」
「空だろ?
お兄ちゃんのいるところだろ」
託生が首を振る。
「雲の上は描いてないから」
そして顔を上げてギイを見る。
「尚がいなくても、なんとか自分で、やっていくよ、って。決めれたから」
そうだな。
人に声を掛けるのも、ままならない託生が、ギイと会えるには、どうしたらいいんだろう、なんて頑張ってくれた。
託生がギイを見上げる。
「崎くんが見守ってくれたから。
ありがとう。
僕を見てくれる人もいるんだな、って。
ずっと、尚の手を離したら僕には誰もいなくなるんじゃないか、って不安だった」
託生は、本当に何の下心なしにギイの手を取った。
「崎くんには、勇気付けられた。
ありがとう」
笑う託生が可愛くて、ギイは取られた手を引いて、託生に唇を重ねた。
一瞬後に、しまった、と思ったけど、後の祭りだった。
せっかく託生の方から、近付こうとしてくれていたのに。
…性急過ぎた。
目の前には、びっくりを絵に描いたような託生。
ごめん。
純粋な気持ちを台無しにして
ごめん…。