#BL



やり残したことがあるのに、

ひとり平和な気持ちに、

ならないで?



  朔也の、東京研修出張。

  空港に、羅奈が見送りに来たのは分かる。

  まぁ、響も、羅奈の付き添いかな?
  で、納得する。

  でも、

「何でお前まで来んだよ」

  不機嫌な朔也を物ともせず、三浦がニコニコ笑っている。

  もはや嫌がらせ?

「まあまあ、後から必要になるんですよ。私は」

「?」

  三浦は、響を眺めた。

「一条さん、響のことは邪魔扱いしないくせに」

「響はいいんだよ。羅奈が好きなんだから」


  搭乗のアナウンスが流れた。

  朔也が、トランクを引く。

「じゃ」

  片手を上げた朔也に、

  羅奈は、笑顔で手を振る。

「気をつけて」

  ゲートをくぐって、朔也は飛行機へと乗り込んで行った。

  朔也の姿が見えなくなるのを見送って、響が羅奈の頭を自分の胸に抱き寄せる。

  周りから羅奈の顔が見えないように。

  三浦が、響の行動に首を傾げた。

「響?」

「羅奈は、今から泣くの。
   一条さんの最後に残る羅奈の顔を、笑顔にしてあげるのに頑張ったんだから。
  ヒロ、オレ羅奈の車の運転するから、ヒロ一人で帰って」

「ほーら、だから私が呼ばれたんだ」

  響が、羅奈の頭を撫でる。

「戦国武将を、敵陣に送り出した後、姫が城に残されて泣くのは、定番だろ」

  羅奈は、声も出さずに泣いていた。

  その静かさが、朔也への想いをより痛く伝えていた。

  響は、羅奈を胸で泣かせながらも、まずは羅奈が東京へ行けそうな日を、頭の中のカレンダーで、予定を立てていた。

  そしてここ数日、あのマンションで羅奈が静か過ぎる空間を辛く感じるであろうことも。

  響が羅奈の背中を抱きしめる。

「羅奈、オレを呼べよ。
   オレ定時退社してるから、すぐ行く」

「え?大丈夫だよ」

  羅奈が涙をなんとか止めて、響を見上げる。

  強がる目が涙で潤んでいる。

  響は、静かな目で羅奈を見下ろした。

「いいから、まず3日目には呼べよ。
   てか、オレ行くからな」

「う、うん?」

  その時は、響の考えが羅奈には分からなかった。

  あんなに人のいない空間が静かになるということを。

  それが、あんなに耐え難いものであるということ。




  うるさいのは、耳に痛いけど。

  静かなのは、もっと耳に痛い。

  ひとりの空間は、こんなに圧迫感があるものかと。

  羅奈は、ひとり、ということに圧倒されていた。

  そして不在。

  見えてたものが、もう見えない。

  聞こえてた音が、もう聞こえない。

  手を伸ばせば触れていたのに、触れない。

  現実を突きつけられる。

  一人では、何をする気も起こらず。

  朝のコーヒーも、淹れないし、夕食も抜く。

  ただ意識を持っていたくなくて、ひとりの空間を見たくなくて、電気を消して眠った。

  暗闇だけは、何も見えなくて救いだった。




  3日目の夕方、ホントに響はマンションに来た。

  響が、羅奈を見て目を見開く。

「3日で、そこまでやつれる?」

  驚いた響に、羅奈が驚く。

「え?ちゃんと仕事行ってるよ?」

  響は、肩を落とした。

  …返事、ズレてるし。

「そりゃ、仕事はお前は行くだろうよ。
   てか、変わらないのは職場だけだもんな。救いだよな。
   一所懸命働きな。少しは紛れるよ。
  声、聞いてる?」

  持って来た荷物を、テーブルの上に置いている響を羅奈は眺めた。

「こえ?」

「電話してる?一条さん」

「え、ああ、かかってくるかな」

  響は、腕を組んだ。

「の割に浮上してねーなー」

  羅奈は、うつむいた。

「声聞きたくないんだ。電話止めて、ってお願いした」

  響は、どうして、と言いかけて止める。

  羅奈が、辛そうにしていたから。

「電話って、かかってきたら、必ず切る時が来るだろ?
   それが…出来ない。
   だから」

「そっか」

  じゃあ、羅奈が電話出来るまで、一条さんは我慢だな。

  一条さんは、羅奈の声くらい聞きたいだろうけど。でも、羅奈の気持ち最優先だからな、あの人は。

  せっかく最後に羅奈は笑って手を振ったのに、電話で泣かれては、たまらないだろう。

  響は、羅奈の頭に手を置いた。

「お前が、一日過ごした分、一条さんが戻ってくる日は近づいてくる」

「…うん」

「っても、遠いだろうからな、も少し近くで会って来い。
   チケット取ったし、ホテルも予約した。お前、仕事終わったらまっすぐ空港行け。東京直行便、ええとな、来月の初め…」

  内容が把握出来ず、羅奈が不思議そうに響を見る。

「え?」

「連休に、まず会って来い」

  羅奈が黙る。

  響は羅奈の頭を撫でて、顔を覗き込む。

「大丈夫。きっと、ああなんだ、こうやって会えるんだ、って安心する。
   ちゃんと帰って来れる。
   だって、また会えるから」

「あ、ああうん」

  響は、持って来た荷物を袋から出した。

「よし、メシ食お。あんまりやせてたら、一条さん心配するぞ。
   抱き心地悪っ、とか思われたくないだろー」

  からかわれて、羅奈はちょっと笑った。

  響は、どうせ羅奈が食事に気が向かなくなっているだろうと思って、デパ地下デリを買い揃えて来ていた。

「少し酔った方がいい?ワインあるよ」

「ううん、ごはんがいい」

「よしよし」

  響チョイスのデリは、色の組み合わせがキレイで美味しかった。

「人は目でも食事すんだよ」

  と、響は言って、相変わらずの大量をさくさくと食べてゆく。

  皿もカトラリーも使わず。

  付けてもらった、割り箸とプラスティックフォークに、スプーン。

  後片付けも無しに、全部ゴミ袋へ突っ込んで。

  唯一水を飲んだグラスだけ、それも響が洗ってくれた。

  羅奈に家事をさせないつもりらしい。


  そのまま響がバスルームに行ったと思ったら、どうも自動お湯張り設定をしてくれている。

「響、俺がするのに」

「いっから、一緒入ろ」

「は?」

「何が、は?なわけ?男同士いいじゃん」

  …フツウならね。

  固まる羅奈に、響が首を傾げる。

「何?恥ずかしいの?」

「…多少」

  響は、買い物袋をごそごそし始めた。

「分かった。入浴剤を、ミルキー系にしてやる」

  まあ、面倒見の良い事だ。


  自分の髪を先に洗って濡れて、それはまたカッコいい響は、羅奈に、
「洗ってやる」
と、楽しそうにシャンプーしてくれた。

  そこでやっと気付く。

  響は羅奈が言ったり、したりすることひとつひとつに、楽しそうに笑う。

  自分が、羅奈にする事も楽しそうに笑ってる。

  現に今、ドライヤーで髪を乾かしてくれながらも楽し気だ。

「お前の髪、柔ーい。気持ちいいー。
   今日は一緒寝ような」

「え?泊まってくの?」

「そ、一条さんのベッドでお前と一緒に。
   一条さんに、許可もらってるもーん」

  それもまた楽し気だ。

  美形が、羅奈に微笑んで、

「抱っこしてやるから、眠んな。
   オレ、中間報告しよ」

「報告?」

「一条さんに。
   オレ、安心しといて、って言ったんだ。
   羅奈はオレが見とくから、って」

  言いながら、スマホで朔也に電話してる。

「あ、やは!一条さーん?今日も、研修ゴクローサマ。
   今ねえ、羅奈とベッドの上❤️」

  誤解を招く、そのセリフに朔也が笑っている。

「ハイハイ、どうも」

「なぁんだよー。ヤキモチ妬いてやれよー」

「響にか?」

「羅奈にだろ。他の男と寝んなーって」

「文字通り寝るんだろ?」

「一条さんがOKするなら、することしたい!」

  電話の向こうが、吹き出す。

「OKしねーよ。すんなよ響」

「えー?じゃあさあ、羅奈から誘われたらアリ?」

「無し」

「えー、誘われたら断われるかなぁ?自信ないなぁ、羅奈可愛いし❤️
   一条さん断れた事ある?」

「何で響にそんな事教えなきゃいけないんだよ」

「あー、駄目だったんだ?完全敗北?」

「うるせーよ。羅奈出せよ」

「やーだよ」

「んじゃもう大人しく寝ろよ」

「はーい。またね!一条さん」

「ハイハイ、またな」

  響は、目で羅奈に、『代わる?』と尋ねる。

  珍しく羅奈がうなずいた。

「ちょっと待って、一条さん。羅奈が、話す」

「え?」

  響が、羅奈へスマホを渡してやる。

「朔也?」

「うん?」

  ああ、朔也の声だ。

  聞いても、響が横にいるから泣きたくはならないで済む。

「お疲れ様」

「うん」

「大丈夫?」

「お前もな」

「俺は大丈夫。響が構ってくれてる」

「そっか」

「うん。だから、大丈夫。
   来月初め、そっち行くし」

「来る?」

「うん。響が、チケット取ってくれた」

「会えるな」

「うん。だから、おやすみなさい」

「おやすみ。響に、ありがとうってよろしく」

  切ってスマホを返した途端に、響に抱きしめられた。

「え…」

「えらかったね」

  響の手が背中をよしよししてくれる。

  羅奈は、目を閉じた。

「ありがと。響」

「いんだよ。オレ、お前好きだから。一条さんのこともね」

  羅奈は、響に抱きしめられて眠りに就いた。

「羅奈」  

「ん」

  羅奈は、うとうとしながら、かろうじて返事をした。

「今度は、ウチ泊まりおいで。星空がキレイに見えるよ」

  羅奈は響を見上げる。

  星空よりキレイであろう響が、微笑んで羅奈を見下ろす。

「うん…」

  響が羅奈の髪に唇を埋める。

「可愛い、お前」

  響が、星より月より綺麗で勝っちゃうだろうね。

  つぶやいて羅奈は、響の胸に顔を埋めて目を閉じた。

  久しぶりに、安心して眠れそうだった。