ハローヾ(@^▽^@)ノ愛しき皆様
女神の知砂です
女の子は女神していますか?
男の子はスーパーヒーローしていますか?
母の日には息子から一輪のカーネーションを頂きました。
ありがとう、息子よ、母は嬉しいです。
あ〜、さてさて。
喜怒哀楽ってありますやん?
(いきなりの関西弁)
これを豊かに表現する人ってのは美しいなと感じます。
喜びも怒りも哀しみも楽しみも、「あー、今そんな思いなんだな」と豊かに表現する人ってのは、
きちんと自分の感情と共に生きている氣がします。
「それを私は嬉しいと感じています」
「それを私は不愉快と感じています」
「それを私は哀しいと感じています」
「それを私は楽しいと感じています」
基本的にこれだけなのですがね。
なかなか、素直に出せない人が多くて、後から「あの時実は」とその時、その人以外に話す人が多くて、胸の中に溜めて溜めて爆発する。
それは相手に嫌われたくないという不安とか、
出してはいけないという思い込みとか、
周りとの調和を考え良い調和を乱さないためだったりとか、
いろんな理由があってそうするんだろうと思います。
別にそれが悪いわけではない。
時と場合に応じて合わせるというのは人間関係の中でとても大切な思いやりでもあるから。
ただ、我慢し過ぎて、溜め過ぎていたら、段々と自分の感情が自分でわからなくなってくるし、
感情を出すこと自体が悪いことのように感じてしまったりする。
そして周りはその感情を薄々は感じるけれど、「まぁ、いつものことよね」と、「ほっとけばまた元に戻るわ」と、無かったことにしたり、軽んじたりしがちになる。
これが私はつらいなぁといつも感じます。
だって、誰にとっても感情というのはあるもので、感じたことは嘘ではなく全身が反応してそうなっているのだもの。
決して「ない」訳でも「元に戻る」訳でもないから。
積み重なり、積み重なり、胸の中に残る。
そんな我慢をね、「普通」に「当たり前」になってる状態っておかしくないかな?って思う。
それを当たり前にしてしまえる人ほど、我慢を重ねてる人に対して怒りや哀しみを少しでも感じたら何倍にもしてぶつけてスッキリする。
こうなるのが通例になると、もうね、言い換えれば「私が不愉快なのは許さない、けどあなたが不愉快なのは知らない」
「私の不愉快は許されない、けどあなたの不愉快は許すしかない」の連続になる。
それも自然とそれが「普通」になってしまうから哀しい。
怒りの根源は悲しみとも云いますけどね。
喜怒哀楽の「怒」と「哀」の部分ってなかなか伝え難かったり、出し難かったりしますけど、出てしまう時はあっていいし、出してもいい。
感情に良し悪しはないし、自然と生まれるものなのだから。
出したからこそ学ぶことも、感じることもあり、理解し合えることもある。
ただ相手がその時きちんと向かい合ってくれたなら良いけれど、そうではなく自分の感情だけを正当化してきて理解「しようと」してくれないのならとても哀しい。
そしてまた諦めて、その一見正当な理由みたいな感情と言葉を受け入れてしまう側がまた飲み込む。
理解しようとしてくれたならまだ救いはあって、思いをたどたどしくとも伝えることができるけど、そうではないなら伝えることさえ拒絶される訳ですから。
諦めちゃう。
哀しいね、自分の心がきちんと反応してその感情を抱いたというのに、自分の心でそれを諦めて殺さなきゃならないなんてのは哀しい。
どんな心もね、ちゃんと生きてる。
だから、心を殺されていくのは哀しい。
私は人生の中のある程度の時間、心を殺したし、心を殺されたし、感情というものを失って、
この世界には何の色もなく、どんな色をつけようとも世界はモノクロの中にしか無かった。
二度とそんな世界に戻りたくはないなと思うけれど、一つ歯車が狂えば結構危うい所にいる氣もする。
だから、自分の心がきちんと反応して生まれる感情というものを大切にしたいなと強く思う。
そしてそんな感情というものを豊かに表現する人を見て「大切なことだな」と何度でも思う。
どんな自分も尊ぶ心を育てようと生きる中でそんなことをたくさん思った。
心と共に生きるということは、自分の感情と共に生きるということで、どんな感情にも善悪を付けず、伝え方を学び、伝わり方を知り、共に心を分かち合って生きていくための大切な過程だと私は思っています。
人も心も成長するものだから、共に成長し合わないとズレます。
だから素直に伝えること、小さなズレや違いを話し合うことにジャッジメントを入れず確認し合う事はとても大切な事。
友達でも、家族でも、親戚でも、同僚でも、誰でも。
子供と接していたら心はちゃんと成長していくし、向かい合っていかないといけない事を常に感じます。
子供に対して親は良かれと思ってアレコレ言ったりしますけど、その中に「思い通りにしたい」があったらそれはただの支配、コントロールになる。
全然良くねーよってね、子供の心の成長からしたら。
これが男女のパートナーシップとなれば特に大切なことなんだろうなと思う。
まぁ、私には男女のパートナーシップを語る資格はまだ無いのかもしれないけど、パートナーシップを共に築き上げていく人ができたならこの辺はきちんとやっていきたいなと思ってます。
この世で血の繋がりがないけど一番心を共にし、信頼し合える人との間に感情の嘘を重ね合うほど哀しいものはないから。
人と人は出会い合い、別れ合い、学び合う。
何度もそんな過程を経て、変わらない自分、変わらない相手、変えられない何かを知って、
自分に合う合わない、相手に合う合わない、環境に合う合わないなどを感じて、大人になる。
そんな中で巡り巡って「この人がいい」と思った人でも合わなくなる事はある。
心なんて響き合わせていないと共鳴しあえないものだから。
男女の関係ではなくとも、大切なのは
相手と居る時の自分が好きかどうか。
これってとても大きな判断ポイントではないかなと。
相手を好きかどうかの前にね。
私は基本的に相手の未熟なところをどれだけ愛しく思えるかが重要だと思ってて、
自分の未熟さを愛してくれる人が誰より愛しくありがたいと思うタイプです。
だって、ええカッコ出来ませんもん。
超絶情けないし、超絶照れ屋だし、超絶弱虫だし、超絶根暗だし。笑
ま、相手の未熟さをどれだけ好きになれるかといえば、どれだけ自分の未熟さをどれだけ認めているかって所にたどり着くと思うけど、
未熟なもの同士だからこそ喜怒哀楽を表現しあい、その上でその感情諸共、未熟さ諸共、愛おしいと思いたいなと。
そこでやっぱり自分の根っこに繋がるんだな…と巡り巡ってまたそこに繋がって、結局はそこかい…と。笑
人と人は共に育て合うのではなく、育ち合うからいいんでしょうね。
私は残りの人生を喜怒哀楽を表現し合いながら、豊かに表現することを確かめ合いながら生きていける人たちと仲良くしたいなと思います。
きっとその方が私の人生も、共に過ごす人たちの人生も、豊かになるから。
我慢し合う、させ合う関係なんて苦しいもの。
そんな思いを私は周りに抱かせたくない。
なんかそんなことをタラタラと考えておりました。
もうそろそろ五月も半ばですね。
生きたいです、私は私の心と共に。
そしてこんなややこしいことタラタラと考える私を「ややこしいなー」と言いながらでも喜怒哀楽を表現し合いながら生きられる人たちと共に。
愛しいですやん、そんな人たちとの暮らしって。
きっと、めんどくさくて楽しい。
じゃ、この辺で久しぶりにこのパターンで締めます。
あなたも女神。
あなたもスーパーヒーロー。
あなたの喜怒哀楽は尊いものだ。
誰にも踏みにじらせるな。
誰にも踏みにじられることを許すな。
凛と在る美しさを掲げ
今を生きる豊かさを
自分自身に与える喜びを
共に称え合おう。
今日もあなたの笑顔と涙がとても綺麗な日でありますように
またね〜
✄---✄---✄---キリトリ---✄---✄---✄
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