ハローヾ(@^▽^@)ノ
女神の知砂ですドキドキ

女の子は女神していますか?
男の子はスーパーヒーローしていますか?

今日から一泊で岐阜へと。
岐阜のみなさまにお会いできることを心待ちにしています♪

あ〜、さてさて。

「今の悲しみの先にある喜び」と
「今の快楽の先にある苦しみ」があるとしたら
私は「今の悲しみの先にある喜び」を手にして
まだそれなりにあるはずの月日を重ねた方がいいと私は思う質です。

悲しみは癒すことができるけれど、苦しみから抜け出すのはなかなかに辛さを伴う。
それが目に見えているとしたら私は今の悲しみの中でどんな感情をぶつけられたとしても、
振り返れば「ああ、あの時の悲しみがあってよかった」と思うそんな未来を手渡したい。

因果なことをしているなぁと思う時がある。

「その時」の私はただの鬼にも見えることもあるだろうから。

今から書くことは「そんなことあるか」と思う人はその理屈で生きていただければ良いことなので、
私が人と人とのご縁を見て、ご縁を結んでいく神様の在り方を見て、感じたことを素直に書いてみようと思う。

ご縁という言葉を人はよく使うけれど、「縁」と「連」の違いがある。

人のご縁、男女のご縁は神様が結んでくださるものであり、人の作り出した人に都合が良いはずの人工知能が定めるものではない。
もはやこの知能も人の都合に良いだけものとはいえないのだけれど、まあそれは置いておく。

だから人と人が出会う時、生身同士で出会ったもの同士の方が深くなる。

そんな「人」と「人」が生身で出会う「時」というものがある。

誰かから「結ばれた」ご縁なら、それは「ご縁」であるけれど、
画面からのみ「繋がった」連なりなら、それは「連」でしかない。

連(れん)は恋(れん)に通じやすいからそういうサイトなどが生まれるのだろうし、
「愛(あい)」は「相(あい)」あってのものであり、その「相」は「生身」であるから、
人が介していたり、互いの目に見てわかりやすい行動がそこに伴うのだろうなと。

好きは感情であり、愛は行動である。
好きは軽くてもよいが、愛は軽くはない。

引き受ける心の幅と深さがあまりにも違う。

画面だけという無機質なフィルターを通さない生身という存在が持つ熱が伝わり合う出会い。

「この者とこの者を結びつけようか」
「いやはや、こちらのこの者の方が…」
「なんとなんと!それはよおございますな!」

…なんて、年に一度出雲に神様が集まりご縁を結んでいく。

「ご縁」は神様に結ばれるものであるけれど、「連」は神様には結ばれない。

この二つはとても似ているけれど、似ていて非なるものであって、
「結ばれるもの」と「連なるもの」の関係ではやはり深さも学びも変わってくる。

連なりは平面的なもので、「層」の厚さが全く違う。
感覚的なことを言葉にしているのでこんな言葉になっていますが、根源を誤って連なってしまうと何もかもがこんがらがるなぁと。

そこに「結ばれる」者が結ばれなくなったりする。
それは「その時」に必要な「ご縁」を遠ざけてしまう。

それを避けるために伴う痛みならば、まだ軽いうちに…と思う。

確かに痛いのだけれど。

そんな痛みを選択するかどうかの選択を否応なしに与えてしまうのだとすれば、
その時に生じる摩擦による傷を癒すための思いを私は引き受けると決めている。

「伝える者」としてたまには憎まれることもあるのは承知の上で伝えるしかできない。

ただもし憎まれても私のお役目は「そういうもの」なのだからどうしようもないし、
私を憎むことでその時心が楽になっていくのなら構わない。

その繋がった憎しみの先から癒しの波を送ることはできるから。
どれだけ憎まれたとしても、私はその人を嫌うことも憎むこともないから。

人としてそんな痛みを与えて平然としていられるほど私は強くない。
だから、与えてしまった痛みの分だけはともに背負う覚悟はいつもしています。

「連」で結ばれた方もいるでしょう。
もしかしたら心の奥底にある「疑」が「義」となるまでは、普通に出会った時より様々な苦労や乗り越えて来た葛藤があるかもしれません。
そこまで昇華するにはかなりの言葉にできぬ思いもあったかもしれません。
それでも信じ抜いたなら、それは「連」を連ねた上で生きている潔さがあると思います。
拭い去れぬままなのだとすれば、なぜ拭い去れぬのか見つめてみるのも良いかもしれないし、
目をそらし続けても、それはそれで人生の中での学びが与えられるので無駄ではありません。

「縁」であるならば、重ね合う葛藤も言葉も時を経れば素直なものになるでしょう。
2人でいて寂しいのではなく、2人だからこそ愛しいとなれる道が開かれるでしょう。
言葉を超えた思いを持ち合い、分かち合い、支え合うでしょう。

簡単に離れられぬ「縁」であるならば尚更に。
その人との「言葉を超えた思いのやりとり」が胸を満たすでしょう。

男女とはそもそも違う性別であり、生き物であるからこそ、深く交わし合う言葉、思い、肌の温もりが必要だと私は感じています。

容易く言葉や、思いや、肌を重ね合う「思い」は「軽い」。
「軽やか」と「軽い」の違いがわからぬのなら、わかる日まで日々を費やし経験を重ねればいい。

それもまた学びとなるのだから、ダメではない。

ただ、我が身を守ること、悲しい命の終わりを決断せねばならないこと、そんなことが起きぬようにだけは絶対にしていただきたいと願う。

私は男女の縁は神様が結ばれるご縁を大切にします。
同じ「目に見えぬ世界」だとしても「生身で出会う日が2人で決められる」のと「生身で出会う日が決められている」ものでは、
「互いの都合」「互いの欲」「互いの状況」など考慮されているいないがまったく違いますしね。

同性の場合は「連」出会っても分かち合えるものが多分にありますので、「縁」に等しい思いを持って大切にしております。
そこから始まった同性の友情は私が女でありお相手も女性であるので泡が繋がるように繋がれますから。

しかし、やはりSNSなどでも生身で出会ってから繋がった方と、そこからだけ繋がった方とは関わり方の深さが違います。

この違いがなんなのか。

私はこれからも見ていきたいなと思います。


今日もあなたの笑顔と涙がとても綺麗な日でありますようにキラキラ


またね〜ドキドキ

✄---✄---✄---キリトリ---✄---✄---✄


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