
天は天のままに大地とつながり
天照皇太神の宣はく
あまてらしますすめおおがみののたまわく
(天照大御神様は仰いました)
人は則ち天下の神物なり
ひとはすなわちあめがしたのみたまものなり
(人はこの大地に在る 神々の依り代なのです)
須らく掌る静謐心は則神明の本主たり
すべからくしづまることをつかさどる こころは すなわち かみとかみとの もとのあるじたり
(なすべき事役目として平和を願う心 それは神の意志です)
心神を傷ましむること莫れ 是の故に
わがたましいをいたましることなかれ このゆえに
(神の依り代として在るその心の中の神々の意志を傷つけることのないように)
目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
めにもろもろの ふじょうをみてこころにもろもろのふじょうをみず
(その目に諸々の罪穢れを見ても、その心に諸々の罪穢れを見ずに)
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
みみにもろもろのふじょうをききて こころにもろもろのふじょうをきかず
(その耳に諸々の罪穢れを聞いても、その心に諸々の罪穢れを聞かずに)
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
はなにもろもろのふじょうをかぎて こころにもろもろのふじょうをかがず
(その鼻に諸々の罪穢れを嗅ぎても、その心に諸々の罪穢れを嗅がずに)
口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず
くちにもろもろのふじょうをいいて こころにもろもろのふじょうをいわず
(その口に諸々の罪穢れを言いても、その心に諸々の罪穢れを言わずに)
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
みにもろもろのふじょうをふれて こころにもろもろのふじょうをふれず
(その身に諸々の罪穢れが触れても、その心に諸々の罪穢れは触れずに)
意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず
こころにもろもろのふじょうをおもひて こころにもろもろのふじょうをおもはず
(その思考に諸々の罪穢れを思っても、その心に諸々の罪穢れは思わずに)
此の時に清く潔き偈あり
このときに きよく いさぎよき ことあり
(そうすればあなたの清さ潔さがあらわれます)
諸の法は影と像の如し 清く潔ければ
もろもろののりは かげとかたちのごとし きよくきよければ
(この世の法りは影も形もない幻想のようなもので 清く潔くあったなら)
仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず
かりにもけがるることなし ことをとらば うべからず
(万が一にも穢れることはなく 理屈で考えてもそれは理解はできないでしょう)
皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち
みなはなよりぞこのみとはなる わがみはすなわち
(みんな花のような美しいものから生まれました 私たちの)
六根清浄なり
ろくこんしょうじょうなり
(目、耳、鼻、口、心、意志は元より六根清浄なのです)
六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり
ろくこんしょうじょうなるがゆえに ごぞうのしんくんあんねいなり
(六根清浄であるから 心身は穏やかで平和なのです)
五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり
ごぞうのしんくんあんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり
(心身が穏やかで平和であるから 天地の神と同根なのです)
天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり
てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり
(天地の神と同根なので すべての存在の御霊と同体なのです)
万物の霊と同体なるが故に
ばんぶつのれいとどうたいなるがゆえに
(すべての存在の御霊と同体なので)
為す所の願いとして成就せずといふことなし
なすところのねがいとして じょうじゅせずということなし
(願うことで叶わないことはないのです)
無上霊宝 神道加持
むじょうれいほう しんどうかじ
人が祈るということは
その心に宿る神々と共に祈るということ。
この旅路でただ心から様々に祈りました。
共に神々に祈りを響かせ合えた女神たちにも
神々はたくさんのお導きを与えてくださいました。
また私たちは祈りを響かせ合うために
祈る為に様々な地へ参ります。
六根清浄の教えを抱きて。
またね






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