梅雨らしいどんより曇り空の一日、のんびりとPCの前でメルマガ書いたりしてます。

生きているだけでお腹が空くんですよね、息してるだけでもどこか体は動いている訳で。

それだけで、あぁ、今日も生きて息をしているんだなぁと思える幸せ者です。


しかし,息をしているだけでも幸せだと思っているこんなあほな私にも

梅雨空よろしくな心がどんよりする日はあるわけで。


しかも、わけもわからずテンション最低な感じの日とかありますです。


けど、それを無理にアゲアゲアップにはしないで

腐りそうなときはとことん腐るのもありとしてます。


体が疲れているのか、心がちょっと静かになりたいのか、

最初は判断がしがたいのが私の腐り始めの腐敗臭なので、

ず~・・・・んと、思い切りどこからか放たれる腐敗臭を嗅ぐしかありません。


この腐敗臭の出元はどこだ・・・って。

そしたら、だんだん、感じてくるんです。


『あ、体が疲れているだけか。心は鼻歌歌ってるがな・・・』・・・とか。


『あ、体は元気で外に行ってもいいよって言ってるけど、心が熟れ始めたドリアンだな・・・』・・・とか。


まぁ、私なりにわかるところがあるのです。


無駄に元気な時は、その辺歩き倒して放電してたりもします。

バランスよく、ど真ん中を保ちたいって感覚です。


体が疲れているだけなら、ひたすら寝て、疲れが取れるまで休めればOK。

一日中何もしない日が数日続いてあったって、怠けている訳ではありません。

休んでいるんです、ただそれだけの事に罪悪感なんか、イラネ♪

体が休まっても自分で「怠けてしまった」という何でかわからん罪悪感で

自分の心をサンドバッグにしてボッコボコにするどMさはありません。


心がドリアンな時は、そのドリアンが熟れてしまった「役に立たない冷蔵庫」を

心の中にみつけて、鼻が曲がる臭いなの覚悟でそのドアを開けて、

その臭いをひたすらにかいで「くっせ~・・・」と実感して体感しまくるだけです。

臭いになれて、ドリアンを食べてしまえたら、すっきり同化して胃の中で消化です。

(本当にドリアンを食す訳ではありませんからね・・・、竹田先生のおやつの時間じゃないんだから)


えぇ、よくわかんない説明してるな~って思ってるんですよ。


で、臭いままにドリアンほじってたら種が出てくるんです。


それを私は「本音」といっています。


「本音」が解れば、それだけでふっと楽になる時もあります。


『あぁ、そうだったんだ』っていう感じで。

そこから少しずつ、すべてが楽になっていく時もあります。


あ、ドリアンの種って、食べられるんですってね。

まったく日常生活には知らなくても支障ない知識でした、すいません。


なんていうか。

私独特な過程かもしれないけど、本音を出していくのに慣れていく過程をですね、

ちょっと、解りやすく言いたかったんですが・・・・・どうやら失敗した模様です。


おぇ・・おぇ・・・ってなりながら、本音までたどり着く事がおおいです。

私の中で発酵してたもんで、えげつない時もあります。


でも、そのドリアン、きっと私に食べられるのを待っていたんだなって思う時ばかりです。

自分の中でそのドリアン食べたぞっていう妙な自信になったりもします。


そしてドリアンを食べるのが癖になったりもします。


これを「感じ抜く」と表現してるやつです。


もっと心理的にわかりやすく言える頭があれば・・・


申し訳ない・・・・(_ _。)・・・・


今日は一日、心のドリアンを貪りたいと思います。



おぇ・・・・



*ちなみに私は本物のドリアンは食した事がありませんし、

体から本当にドリアン臭がするわけでもありませんので、

ドリアンそのものの味、香り等に関してのご質問等にはお答えできません、ご了承ください*


くさやのほうが良かったか・・・・(ソコジャナイトオモウ