※過去のお話です
初詣から一旦自宅にお互い帰り
昼過ぎから連絡を取ろうと
電話をかけたりしていました
ところがまったく繋がらず
夕方になって 電話がかかってきました
「おやじが 死んだ」
「なに?」
「朝 家に帰ったら
姉ちゃんが来てて 何かと思ったら
妹が朝家に帰って来たら おやじが台所で倒れてて
救急車呼んで 病院に連れてったんだけど
ダメだった」
「う・・・そ・・・・」
「団地で葬式やったりするから
2、3日連絡取れないと思う」
「え 私は手伝わなくていいの?」
「相談したんだけど
まだ籍は入ってないし
妊娠してるから 大変だろうから 来なくていいって」
「何か私ができることないの?」
「全部が終わったら 線香あげてあげてよ」
「うん わかった・・・」
電話で話している時のKは
淡々としていました
実感がなかったのだと思います
葬儀も無事終わり
団地へ行き お線香を手向けました
この時から 団地に住むのはKと妹
妹は私とKに気を使って
近いうちにアパートを借りて出て行くといいました
お金が貯まるまで待って欲しいと
ありがたいと思いました
それからは 私も団地に顔を出したりしていました
私が妊娠6ヶ月になったとき
悲しい出来事がまた起こりました
Kの仕事につきあって車で出かけた時に
道路に 段差があったのです
車が弾むほどの 段差が・・・・
その衝撃で おなかに痛みが走りました
でも そのときだけで
何も起こらなかったのに
3時間後くらいに 下腹部に激痛が走り
病院へ駆け込みました
検診を受けていた 産婦人科です
もともとお腹が張りやすかったので
それの 酷いやつなのかと思っていたら
「子どもが下りて来ちゃってるね・・・
何か無理した?」
「いいえ あ!さっき車で出かけている時に
道路に段差があって 車がジャンプしました」
「原因はそれかもしれないね・・・・」
「どうなっちゃうんですか?」
「このまま お産するしかないかもしれない」
「え?だってまだ6ヶ月ですよ?」
「そうだね どういう形になるかわからないけど
このまま様子をみるしかないね」
街の小さな産婦人科だったため
病院の先生としては
今から大きな病院に移送したとしても
だめであろうと 判断されたのかもしれません
直に陣痛が始まり
お腹の子は 助けてあげることができませんでした
あまりの早い展開について行けず
呆然としていると
先生が色々話しかけてくれていました
でも 何も覚えていません
「先生 男の子でしたか?女の子でしたか?」
「男の子だったよ」
それを聞くのが精一杯で
あとの事は 覚えていません
入院している間の事も覚えていません
ただ 出産された方が回りにたくさんいる中
自分だけは違うんだという悲しい現実を
一人で受け止めていたことを覚えています
退院する時に 先生に言われたこと
『子宮頚管無力症』の疑いがある
もしまた妊娠することがあれば
6ヶ月に入って直に 手術をしたほうがいいかもしれない
それと 赤ちゃんがどうなったのか
どこに埋葬されたのかを教えてくれました
退院してまずしたことは
そのお寺に行きました
赤ちゃんに会いに 謝りにいきました
Kのお父さんが無くなって
1ヶ月と少し過ぎた時の出来事です
絶対に忘れない
忘れられない
抱っこすらしてあげられなかった長男
私の不注意で何もしてあげられなかった
ごめんなさいしか 言えない
君の弟は 高校生になるよ
きっと見守ってくれてるよね