皆様、こんばんは。
どんどん感染者が増えて怖いですね。
私の会社でも何人か感染者が出てきました。
無症状の人が大半です。
近くの人が発症して、それを機会に濃厚接触者としてPCR検査をして、感染が分かったって感じです。
これだけ無症状の人が多いと、きっと、発表の何倍もの方が感染してるのでしょうね。
一切外食をしない私だって、通勤で15分程電車に乗るし、スーパーにも行くしで、知らないうちに感染してるかも知れないんですよね。
周囲に対しても疑心暗鬼になってしまう自分が怖いです。
そのうち集団免疫でこのコロナ禍は収束していくのでしょうか。
そう言えばひとつ。
アメンバー申請をして頂ける方が月に何人かいらっしゃるのですが、アメンバーになることが必要な、特殊な事情が無い限り、受け付けていません。
私はアメンバー記事は書かないので、読むには必要ないと思います。
もし必要だと言われる方がいらっしゃれば、理由を教えて頂ければ考慮いたします。
なんか上から目線で恐縮ですが、特段の理由なく申請しようと思われる方がいらっしゃれば、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
ただ私は、この拙いブログを読んで頂ける方にいつも感謝しています。
特に、長いこと飽きずに読んで頂いている方々が大好きです。
そんな方々のお陰で、書く力をもらっているんです。
ホント、いつもありがとうございます。
さて、続きです。
「泣いてない。」
そう言って強がりを言うナツです。
↓
父はホント準備の良い人で、頭には既にヘッドライトを付けていました。
そして背中には、薪を担ぐ時につかう「背負子(しょいこ)」を背負っていました。
背負子の薪を載せる部分は二本のフォークリフトの爪のようになっていて、それが少し上向きに付いています。
そこに乗れと言うので、大股開きで爪に両足をひっかけて、おんぶの体制になりました。
私が背負子を両手で握りしめるとすぐに、父は梯子を上ってさっと段差のところまで上がってくれました。そしてそのままロープを伝って、するすると土手の上まで上がってくれたのです。あっという間でした。
ロープの端っこは、軽トラの荷台に繋がれていました。
そうそう。
実家の町は田舎なので、父も2台ほど車を持っていました。通勤兼仕事用の乗用車と、農作業用の軽トラです。
田舎の人って多くの人が、一家に一台づつ軽トラを持っているんですよね。
車を運転する人の数、プラス軽トラ1台が、普通の家の車の所有台数でした。
父は一度家に帰ってちょっと着替えて、背負子とハシゴとロープを荷台に乗せて、軽トラで助けに来てくれたのでした。
荷物を載せるには軽トラは便利なんですよね。
ちなみにロープは、船の錨を降ろすのに使っていた太いロープを持って来ていたのでした。
父は釣り船を持っていたので、その船に使っていたロープみたいです。
「なっちゃん、大丈夫か?」
「う、うん・・・。」
私はすぐに軽トラの助手席に乗り込んで、父は車を走らせます。私はあまりの出来事に自分でもびっくりしていて、最初、何も話せずにいましたが、父が声を掛けてくれたので、心が落ち着いて少し話せるようになりました。
「父さん・・・。」
「何じゃ?」
「あ、アイトが私のいるところを教えてくれたの?」
「そうじゃ。わしが車を走らせとったら、急にその子が飛び出して来て、フロントガラスにペタっと張り付いてのぅ。そりゃぁ、たまげたわ。」
「うふふっ。アイトったら、勇敢なのね!」
「ホントじゃのぅ。フロントガラスに張り付いてガラスを叩きながら、すごい形相で何か言っとるから、たまげてのう。」
「それで?」
「ようと話を聞いてみようと車を停めて、その子を中に入れたんじゃ。そうしたら、お前が大変だって言うとるから。」
「うん。」
「よう話を聞いたら、あっちあっちって言うから、その子が指さす方向に車を走らせたんじゃ。」
「そうやって連れて来てくれたのね。」
「その子がおらんかったら、さすがのワシも、お前があんなところにおるとか、夢にも思わんかったわ。」
「アイトは命の恩人ね。アイト、ありがとう。」
「私は、いつものように私の肩に乗ったアイトに頬ずりしました。」
「なっちゃんは、私のお友達だからねー。」
こんな感じで、私の生涯最大?のピンチはクリアできたのでした。
続きます。
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