昭和20年6月23日

組織的な沖縄戦は牛島将校の自害をもって

終焉しました。

しかし、それはあくまでも「日本軍」としての

戦いであって、

一般市民は、敗北を知らされないまま

米軍の捕虜になることを拒み

自ら命を落としていきます。

また、かの将校が最後の一人まで戦うようにと

「命令」を残していったがために

むだな抵抗を繰り返したあげく

尊い命を落とした人も多数います。


そう、今日はオキナワ「慰霊の日」


北谷や恩納村のリゾートのイメージが強い

沖縄ではありますが、

南部戦跡もまた、沖縄の1つの顔です。


私は、仕事柄、2~3年に一度沖縄に行き、

そのたびに平和祈念資料館とひめゆり資料館を見学し、

ガマ(自然壕・・戦時には野戦病院として使われた)に

入るのですが、

戦争体験者が少なくなり、

63年前の悲惨な出来事を語っていただくことも

難しくなりました。

確実に戦争体験は風化しています。

けれど、去年ガマを案内してくださったガイドさん

(この方は戦争体験者ではないのだけれど)

今の日本は60数年前の日本が歩いてきた道を

また辿っているようだと、この国の未来を憂えていました。


すぐに、日本が戦争を始めるとは思えないけれど、

人間というのは欲深く愚かな生きものなので

いつまた、過ちを犯さないとも限りません。

日の丸・君が代を否定はしませんが、

それらが、単なる国のシンボル・国家としてではなく

それ以外の「意味」を持ったとき、(持たされたとき)

わたしたちは、知らず知らずのうちに誤った道を

進んでしまうのだろう、と考えます。


終戦記念日はおろか、終戦の年さえ知らない子どもたちが

増えています。

ひめゆりの方のお話を聞いて「気持ち悪い」という感想しか

持たない高校生も多いです。

でも、現実に、そういう出来事があったことから

目をつぶってはいけないと、思うのです。


「島唄」(THE BOOM)は恋の歌ではありません。

戦争によって引き裂かれた友情の歌です。

63年目のオキナワに思いを寄せて

「島唄」を聴いてみようと思います。