先日の漢検1級の結果がきました。

…200点満点中84点!

うーん・・・残念というか、今の自分の実力通りでした。

まだまだ全然、勉強が足りないようです。

不合格とか記載せずに「あと76点で合格です」と書いてくれる優しさ、ありがとう(涙)

高い壁を感じたけど、我ながらファインプレーだったのが、「栃麺棒(トチメンボウ)」が書けたこと!

夏目漱石の「吾輩は猫である」に出てきたのは覚えているんですが、いざカタカナで出題されると漢字が浮かんでこない。

でも、小説を一生懸命思い返してみると、確か料理人の麺棒だったような・・・。

麺棒→木製→トチの木?→栃木県のトチ?→栃麺棒

・・とぎりぎりで思い当たり、正解でしたキラキラ

準一級の時に続き、漱石読者にとってはちょっとラッキーな問題が出ました。

 

半分もとれなくて残念ですが、また次の受験に向けて勉強しています。

次は6月に受ける予定です。

応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。

 

さて、今、絵画教室でブグローの少女像の模写を、ソフトパステルでチャンレンジ中です。

ブグローは、私もエレナ先生の所に通うまで知らなかったのですが、それはそれは可愛らしい天使や女性・子どもを描く19世紀の画家です。

ブグローの名前は知らなくても、何となく絵はご存知の方も多いかもしれません。

 

1回目↓

2回目↓

3回目↓

ソフトパステルとはいえ、模写は勉強になります。

日本人とは違う眼窩のくぼみ、何気なく描かれているようで複雑な色づくり。

実は輪郭はトレースしているのですが、それでもあどけなさがなかなか出せずに、修正、修正です!

当時の絵具事情なども踏まえて、大変丁寧に教えていただいて、本当に楽しい時間です。

清らかであどけない感じを出せると良いなぁ。

あと1回で仕上げる予定です。

 

~11月の読書日記~

 

 
 
 

食堂かたつむり(小川糸/ポプラ社)

10年以上も前に一読したきりの小説。

以前読んだときに喰らった衝撃を、私は今回どう捉えるのか?

主人公・倫子・・・冒頭から、インド人の同棲彼氏に家財道具一切と共に蒸発されてしまうという展開!

ショックのあまり喋れなくなってしまい、失意の中、あまり良い感情を持っていない実家のある地元へ帰る。

・・いきなり主人公の情報が渋滞中ですよね。

倫子は料理が好きで、数々の料理店で修業してきたことに誇りをもっているようです。

飛び出したきり戻っていなかった地元は、さびれた温泉街を抱える、人口5千人足らずの村。

しかし、豊かな自然や牧場、養豚場・・・恵まれた良質な食材の豊富さに、倫子は注目します。

クセが凄いお母さん・ルリ子とは、どこか相容れないものの、援助を得て、倫子はこの地元で、ささやかながらこだわりの料理店をオープンさせることで、人生の再起をはかる。

再起をはかる、とか、誇りを持つなんて書くと、凄く強い女性っぽく感じてしまうけど、とてもナイーブで人見知りな女の子なんです。

私だったら、愛情も信頼も裏切られて、全財産持っていかれたら、途方に暮れてとりあえず役所に駆け込むかな。

 

読んでいて楽しいのが、こだわりの食堂づくりと、食品を例えに用いた文章表現です。

あめ色に色褪せた栗の木のテーブル・・・トルコブルーのペンキで染めた古道具屋の椅子・・・大正時代の手拭きガラスのシャンデリア・・・新品ではなくて、人のぬくもりを長年蓄積した年代物に、倫子は惹かれているんだな。

「生みたての卵の黄身みたいなツルンとした太陽」

「地球をそのまま巨大なはちみつのビンに沈めたみたいな夕焼け」

何という、想像力をかきたてる表現なんでしょう!

 

唯一無二の食堂、その名も「食堂かたつむり」がオープンし、1日たった1組、綿密に練られたメニューが提供される、ザ・こだわりが少しずつ評判を呼んでいく。

客達は、それぞれ抱えている事情があるが、倫子の料理がまるで魔法のように解決してしまう。

たとえば、高校生の初恋デートに振る舞われたスープは、恋が成就する「ジュテーム・スープ」と名付けられ、食堂かたつむりの看板メニューの一つに。

人生を死んだように暮らしている老女は、まるで生まれ変わったかのように人生を取り戻す。

そう、話が進むにつれ、物語は倫子の人生から、客それぞれの人生にスポットが当てられていくのです。

中でも私は、認知症のおじいちゃんを囲んで、家族みんなでお子様ランチを食べたシーンにグッときました。

「今夜は満月。おじいさんはぽっかりと口を開けたまま、どこでもない宇宙の片隅をぼんやり見つめていた」

・・・恋が実ったり、瀕死のウサギを生き返らせたり、倫子の料理は数々の奇蹟を起こしてきたが、おじいさんの認知症が急に改善するような奇跡は起きなかった。

それでも、おじいさんが施設に入所する前に、家族みんなで涙ぐみながらお子様ランチを食べるという光景に、これこそ家族愛という奇跡を見た気がして感動したんです。

 

さて、倫子の実家では、母ルリ子が、エルメスという豚を大変可愛がって飼っていました。

もう、ここからは物語の佳境、大ネタバレになるのでご了承くださいませ。

ルリ子は、作中では理不尽なくらい倫子に冷たく接する様子もあるんですが、実は、余命幾ばくも無い病身だということが明かされます。

冷たい態度の裏に、深い愛情があったことも驚きですが、死を目前にして最愛の男性と結婚式を挙げ、そこでエルメスを食べてしまうというのです!

ここが・・・10年前に読んだとき、衝撃だった・・・10年経っても衝撃でした。

お肉屋さんの肉ならよくて、可愛がっている豚はだめなのか?という、痛い所を突くこの感じ!

ルリ子は、死と結婚という、人生最大のピークを二つともぶつけてきたばかりか、可愛がっている豚の“飼育”ではなく、おいしく料理して食すことを託すんだよね。

食べることと殺すことの意識があまりに乖離している現代だから、タブーを見せつけられているようで辛い。

自分だったら名前までつけて可愛がっている豚を食べられないかも・・・。

 

母娘としてうまく交流できなかった二人を、エルメスが壮絶な形で結び付けた担い手のように思えてきました。

 

倫子が再び、どん底の精神状態に陥ったのも、このような辛い別れを経験したら想像に難くない。

それでも私たちは、かたつむりのように、ゆっくりゆっくり明るい方へ歩んでいく倫子の姿を見ることができるのです。

 

 

 

斜陽(太宰治)

若い時に読んでみようとして挫折した(!)作品です。

「朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母様が」・・・

有名な冒頭の一行だけで、おお?何やら上流階級な話か?と匂わせます。

しかし正確には、“かつて”上流階級だった一家が描かれています。

時は戦後間もない混乱の日本、身分制度がリセットしたり農地改革なんてのもあったりして、貴族(←貴族と書いているけど、時代的には華族や地主だろうか)は没落の一途をたどる。

主人公、かず子もそんな、時代の転換期の貴族の家に生まれた女性。

病弱な母、酒や麻薬に溺れる戦争帰りの弟・直治・・頼りの父は既に亡くなっている様子で、暗澹たる様子だ。

斜陽は、一つには没落する上流階級をテーマにしている。

太宰治の実家も、青森の大地主である名家だったが、段々と勢いが傾いて行った。

その実家の没落という背景プラス、太田静子というモデルを得て、この作品が書きあがったという。

かず子が恋する小説家・上原二郎・・・これはもう、太宰自身がモデルなんだろうけど、体裁的なモデルであって、本音の部分は直治なのかもしれない。

作品を読むと、上原二郎のどこに恋する要素があったんだ?と思うんだけど、これも戦争の混乱かな。

かつての貴族が何とか資産を切り売りしてその日その日を凌いでいく、その中で少女のような母と世間知らずなまま、ままごとのような生活を続けるかず子に、読者は刹那的な何かを感じる。

かず子、母、直治、上原・・・四人の行く手は、見事に陰と陽に分かれる気がする。

チーム女性陣は、か弱く見えるが、芯は強い。

生活苦と病身にありながら、「ママは最後の貴族さ」と言われるような、浮世離れした穢れ無さを死ぬまで失わなかった。

かず子は、悩み苦しみながらも、恋の革命家?として、弟にも上原にも一歩抜きんでる。

一方チーム男性陣はどうだろう?

直治は、放蕩者っぽい荒み方、乱暴な言葉を使って強がっているが、貴族にも平民にもなりきれない、弱い自分のまま自死。

上原二郎は、「しくじった。惚れちゃった・・・」という、寒気のする(笑)気障なセリフを吐くし、かず子が惚れちゃうんだから、まあ魅力的なんだろう。でも、妻子が電灯の無い家で凍えていても、酒場に大金を落としていく、駄目っぷり・・・。

かず子は、私ははじめ、金銭的に上原に頼りたかっただけなのかな?と思っていましたが、子供まで身籠ってしまうんだよね。

もちろん、上原が責任をとるということは無いし期待もしてないんだけど、一人で産んで、いつか「あなたの奥さんに抱かせるんです」という、謎の希望をもつ。

・・そして現実、太田静子は太宰治の娘を身籠り、女手一つで育てる。

それが、現在、小説家として活躍されている太田治子さん。

えー!?斜陽は・・・太宰治は・・そこまで昔のことじゃないんだと、何だか改めて新鮮に読んだ気持ちです。

華族や、戦後のアンダーグラウンドがいまいちピンとこないけど、若い時に読めなかったのを、さくっと読めたのは、進歩だ。

 

良い一日をジンジャーブレッドマントナカイクリスマスツリー