先日、京橋のアーティゾン美術館に行って来ました。

初めてでしたが、入場予約制でゆったり観ることができ、何と作品の写真撮影もできるという有り難さ。

(※一部の作品除く)

秋晴れの心地よい日で、アート鑑賞も気持ちよいです。

 

まずは10月25日で会期終了となった、鴻池朋子さんという現代アートの方の展示。

「有吉君の正直散歩」で紹介されていたので、面白そうキラキラと思ったのが、予約のきっかけなのです。

↑ダイナミックに会場を使ったジオラマなど、枠に捉われない感じは、想像の斜め上をゆく感じでびっくりです!

↑幻想的な影が浮かび上がる・・・不思議なアート。

くるくる回転し続けるのを、ずっと見ていたくなる、静寂な空間でした。

 

↑衝撃の・・動物たちの毛皮ガーン

七夕みたいに、こう、くぐっていく途中で「あれ?足ついてる・・・」ゲッソリ・・・本物だってことに気付いた、鈍い私!

でも、みんな触っていたので、私も恐る恐る触ってみることにした。

けっこう硬め・・・オオカミや、鹿、熊・・・。みっしりと毛が密集していて、古代から毛皮が人類の防寒とされてきたのも頷ける。

害獣として駆除された生き物たちなんだって。

何でこれをブラーンとさせとくのがアートなんだ?可哀想だなぁ・・・とも思う一方、かつてこの毛皮をまとった肉体が、意思をもって動いていたことを感じると、これにまさる芸術は無いんじゃないかと思えてくる。

中原中也が「ほらほら、これがぼくの骨」と唄ったように、何も無い所からこんな精巧な物体ができて、魂が離れても存在するって、頭がしんしんするような神秘ですよね。

不思議と臭いは無い。

丁寧な処理をほどこすと、臭みは全くといっていいほど無いんだそうだ。

 

↑有吉君たちもすべっていた、滑り台。

ちょっと恥ずかしかったけど、私も一人で滑ってみた。

久しぶりなんですけど・・・滑り台なんて!!

躊躇している周りのみなさんも、私の後、続々と滑ってくれるんで良かった~。

 

↑階を移して、印象派コレクションとその一角の「印象派の女性画家たち」特集も観た。

ベルト・モリゾの母娘の絵は観たかったので、良かった。

上流階級な感じの服装だけど、どことなく淋しそうな気もします。

この時代、職業画家としての女性は少なかったそうで・・・。

 

他にもモネ、ルノワールなど人気画家の作品がたくさん、素晴らしいコレクションでした。

どうしても、千疋屋の前を素通りしがたく・・・。

フルーツたっぷりスイーツと紅茶のセットをいただきました。

 

サービスの使い捨てマスクケース。千疋屋だけにマスクメロン柄が可愛い!

この日の読書は「虞美人草」・・・さすが文豪・夏目先生、難読漢字オンパレード。

 

~9,10月の読書日記~

細雪(上) (新潮文庫)

 

細雪(中) (新潮文庫)

 

細雪 (下) (新潮文庫)

 

細雪(谷崎潤一郎/新潮文庫)

文庫本で上、中、下巻に分冊され、全部で900ページ程にもなる長編・・果たして最後まで読み通せるのか?と思ったけど、さらさらと流れるような華麗な文体と、セレブ一家に降りかかる様々な試練に「次はどうなる?」と期待膨らむ物語性のおかげで、最後まで飽きずに読了できました。

読み終わって、まず、作家としての谷崎潤一郎の体力に感心しました。

物語の中心は、大阪船場の豪商・蒔野家の美人四姉妹なんですよね。

4人そろえば、衆人の注目を集めるような輝かしい姉妹。

旧家、名家などと呼ばれる蒔野家も、昭和初期、戦争に向かう時代には没落・・・長女・鶴子と次女・幸子がそれぞれ、本家、分家として婿養子をとっていたので、微妙に体面を保ちつつ、それなりに優雅に暮らしている。

私がなぜ作家の体力に注目したかというと、単純にこれだけの分量を書くのも凄いけど、第二次世界大戦をはさんでの執筆だったという点。

「戦勢はますます我に不利・・・謂わば弾圧の中をとにかく細々と・・・」と言及しているように、主人公たちの贅沢な暮らし、背徳的な描写は時節柄、気軽に発表できるものではなかったらしい。

それでもなお、徹頭徹尾ぶれることのない、緻密なキャラ設定は、秀逸。太々しさすら感じる筆力だと思った。

芥川龍之介との文学論争で、芥川君には長編を書く体力が無い的なことを推論していたけど、それは書き上げる体力だけではなく、精神的な脆さのことも言っているのだと思う。

おっと、話が逸れてしまった。

・・・で、作品を格調高くしている要素の一つが「船場言葉」と呼ばれる、独特な方言だ。

「なんぼもろてますのん。」

「そうやわ。こいさんの言う通りやわ」

関西芸人さんの漫才の強さとは、きっと違うんだろうな、ゆっくりとして上品な・・思い出せないけど、ドラマや落語で聞いたことがあるかもしれません。

独特な呼び方も、最初は戸惑った(笑)

こいさん→「小娘(こいと)さん」その家の末娘の呼び方。作品内では四女・妙子

とうさん→「娘さん」お嬢さん

ごりょんさん→「御寮人さん」女将さん、奥様。」作品内では次女・幸子

・・喋りもゆっくりなら、やることなすことゆっくりなのが、上流階級流なのか、着物一つ選ぶにもああでもない、こうでもない笑い泣き

待ち合わせの時間が心配にならないの~!?速く、速く・・と、読んでるこっちがせかせかしちゃうんです。

物語の中核と言ってもよい三女・雪子の縁談についても、旧家のプライドと例のゆったり鷹揚っぷりが結びついて、なかなか進まない。

本人の雪子もおっとりとしていて、30歳過ぎても若いお嬢さんにしか見えない、可憐さ。

嫁に行きたいなら、応援してあげたいのに、いつも「はあ」とか「ええ」とか、曖昧な返事しかしなくて、どうしたいのかが分からない。

か弱そうな見た目とは裏腹に、体が丈夫で、面倒見の良い、素晴らしい長所があるのに、果てしなくはにかみ屋さんで、時には男性を怒らせてしまうくらい、おとなしい。

おとなしくて、自分を主張しないのが美徳とされたのは、もう古いと、谷崎潤一郎はさしこみたかったのかな?

一方、四女・妙子は職業婦人に憧れる、新世代女子ってところか。

人形作りが巧く、百貨店で出展して販売実績もあり、アトリエをもって弟子もいる。

洋裁で身を立てるために、海外で修行したいといった野望もあり、順風満帆でしたたかにも見えるが、男性遍歴にやや奔放なところがあり、少女のおもかげを残す若々しさに、一筋、淫靡な翳をあるのを雪子だけは鋭敏に気づいていたというくだりがある。

そんな妙子の、身分違いの恋も、作品の見どころの一つだ。

恋というほど甘やかには描かれおらず、“奥畑家の啓坊っちゃん”という、とんだかませ犬(!)もいたために、そんな恋愛がひそかに進行していたなんて気付かなかった。

ユーモアで周りを和ませる末娘らしいのびのびしたところもあっただけに、結末があんな形になってしまうのは悲しすぎた。

長女は遠方に住んでいるため、あまり出番はなく、次女・幸子がだいたい視点となっていることが多いので、主人公といって良いのかな。

幸子は、家庭も安定しており、人当たりよく、美貌際立つ女ざかりとして描かれている。

妹のお見合いの席にすら「地味にしてきて」と注文されるくらい、華やかだそうで。

妹たちの様々なトラブルと、本家のいらぬプライドとの板挟みになって、気苦労が絶えない幸子さんショボーン

 

戦争をはさんでの、執念の執筆、読者を釘付けにするキャラクターたちの、悲喜こもごも。

そして、最後に細雪の魅力、もう一つ。災害や闘病のリアルな描写を挙げておこう。

有名な洪水の場面は、本当に屋内にまでこんなに浸水してきたらどうしようと、怖くなるくらい臨場感がありました。

1938年、六甲山系を襲った豪雨が多くの被害をもたらした、阪神大水害というものがあった。

谷崎潤一郎自身、あまりにリアルな描写ゆえに、実体験かと聞かれることも多かったようだけど、実際は安全な場所におり、近くの小学校の生徒の作文には触発された旨、書いている。

また、登場人物が病気に罹ることも多々あり、家庭内でも「B足らん」といってビタミン注射を打ちまくるのが怖いんですけど~(-_-;)

軽い病気から、神経症、重篤な病まで、ちょくちょく登場する「櫛田医師」は、頼れる存在で、私もこんなかかりつけ医が欲しいなぁと思いました。

 

・・この記事、一度全部打った途端に、地震がきて、なぜかこのページ全部消えてしまうというハプニングが!

前に打った文章、思い出しつつキーボード叩いてます。なんだ、この時間(泣)

長かった細雪だけど、約2か月かけて読み通せて満足、満足。

 

良い1日をハロウィン