アキネーターやったことありますか?

旦那さんとやってみたら、名前もヒントも出てこないという・・・笑い泣き

本人に分からないもの、当てようが無いよ。

むしろ私が、旦那さんの好きそうな人を推測していって、これじゃ自分こそがアキネーターみたいアセアセ

・・というわけで、コロナが一応落ち着いてきた今、3か月ぶりに通院のため会いました。

「メガネの部品交換したい」「時計の電池無くなった」「歯ブラシ買っておきたい」そして「久しぶりにお茶したい」爆笑コーヒー

・・・3か月分の困ったを色々解決しておきました。

 

~5月の読書日記~

「ホモ・デウス」(ユヴァル・ノア・ハラリ/河出書房新社)

 

「サピエンス全史」に続いて、チャレンジだった分厚さ!

・・・えーと、いきなり話逸れますが、私はこの本を読んで、「時空の旅人」というという1986年のアニメ映画を思い出しました。

これは、SF小説家、眉村卓の「とらえられたスクールバス」が原作です。

過去の歴史を変える為タイムトラベルしてきた未来少年アギノ・ジロと、現代の高校生たちが、一悶着起こすストーリーですが、注目はアギノ・ジロが語る未来です。

人類は平和で争いの無い、一見いいじゃん!と思えるような未来を手にしています。

しかし、その平和は管理されたもので、人類の失敗「核戦争による終末」の記憶を塗りつぶし、人々が「幸福であること」を義務付けられた世界なのです。

平和と幸福の影に気づいてしまった者は、管理局みたいなところに捕らわれ、強制的に洗脳を受けるんです。

・・・さて、この話を「ホモ・デウス」に繋げられるか、微妙ですが・・・笑い泣き

 

「3000年世紀の夜明けに、人類は目覚め・・・」という壮大な出だしで始まり、スケール感を醸し出す「ホモ・デウス」は

俯瞰して大きな視点から人類が描かれております。

人類の課題だった3点

飢饉、疫病、戦争。

これらが、不可避ではないものの確実に制御されてきた、というファクト。

奇しくも疫病というところで、今回のコロナにしても、大変なパニックを起こしているとはいえ、過去の疫病のデータを元に、打てる対策の手数は増えています。

飢饉・・テクノロジーと経済と政治の発展にともない、地球上で飢え死にする人は大きく減った。

現代、飢饉で亡くなる人より肥満で亡くなる人の方が多いという、悲しい皮肉。

マリー・アントワネットが「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」と言った・・・というのは史実ではなく、まさに情報操作なのだけれども、文字通り現在、カロリー摂りすぎている人と、健康食を先駆けて食べている人とでは、どっちがお金持ちなのか。

戦争・・世界経済が物基盤から知識基盤に。つまり、力ずくで奪えない「知識」により価値が見いだされてきたってこと。

また、核が抑止力になり、地球上のほとんどの地域で戦争は稀になった。武器をちらつかせていないと抑止できないところが、国家という虚構の弱さなんだけどね。

テロはどうか?著者曰く「テロは真の力にアクセス出来ない人々が採用した、弱さに端を発する戦略」・・・ばっさり!

 

飢饉、疫病、戦争の悲劇のために「神や聖人に祈る必要が無くなった」人類が、これから取り組むべき課題は?

これが、この本の主軸なのだと思いますが、人間は人間自身を神にアップグレードしホモ・サピエンスをホモ・デウスに!(ホモ=人類 デウス=神)というのが、次なる野望なのだと。

なんか、都市伝説の関さんが言ってたことみたい・・・。

ともかく、人類の新たなテーマが①不老不死②幸福の追求③神性の獲得

なんだって。

①不老不死ってそんな馬鹿な・・・って感じですが、まず寿命に関しては、伸びているのは事実ですよね、

昔は平均寿命が短かった・・と言われると、じゃあこのペースでいくと200歳も夢じゃない!?と思う(いや、思わないか爆笑アセアセ

「200歳まで生きるとなると、生活設計も変わってくるなぁ。」

・・じゃなくて、そもそも昔は自然寿命を全うできないくらい、飢饉、疫病、戦争がきつかったのですね。

それらを克服しつつある今、平均寿命が延びているのは当たり前。

それ以上も、具体的にテクノロジーの力で実現が近づいている。生物工学は、「意図的に遺伝子コードを書き換え、アップグレード版人体を実現」?サイボーグ、非有機体?・・・ここまでいくと、恐ろしい感じがしてくるのは私だけではないはず。

②幸福・・著者が引用しているのは、古代哲学者エピクロスの「幸福こそ人生の唯一の目的」〜18世紀末イギリスの哲学者ベンサムの「最大多数の最大幸福」という言葉。

・・・はい、どっちも知りませんアセアセ

とにかく、幸福でいることはありがたいし、一部の人だけでなく、より多くの人がそうであれば望ましいですよね。

19世紀、20世紀は、ある意味、幸福であることは実現できた。

教育制度、医療制度、福祉・・・。

ただし、それは国を強くするためというのが実態だったと言える。

愛国心があり、頭の良い国民、健康でしっかり働く国民。

やだ、何か、そう言われると嫌な感じもしてくるけど・・・現代、ベンサムビジョンははるかに真剣に受け取られるようになった、と書いてあるよ。

GDPよりもGDH(国内総幸福キラキラ)が重要視。

平和と繁栄、長寿で人は幸せになれるはず・・・。

でも、おかしい。先進国ほど自殺率が高い、これまた皮肉だ。

・・・なにか、私たちは常々もやっとしてない?どこまでいったら満足するのか。

気になる顔のシミがとれたら、別のシミが気になるだろうし、成績が上がったたのに、もっと成績のいい人に敵わない。

そう、人間は満足しない生き物なのだ、

ホモサピエンスには、永続的な快感が必要なのではないか?

もっとも、これもテクノロジーや何やかや薬物で、どうにかなるのが怖いですけどね。

③不老不死(に近い体)、永続的な幸福・・まさに神のような力を手に入れたとして、その能力を何に使うか知れない人間だから、実は「神性」が最も重要。

神性とは何なのか、はっきりと私には分からないけれど、神性をもった人類・ホモ・デウスは、もはやそうでない人間を同じ人類とみなすのだろうか?

 

この本でよく出てくるワードに「アルゴリズム」と「人間至上主義」がある。

アルゴリズム体操~!しか知らんけど。

「人間至上主義」は、著者曰く、数世紀の間に世界を征服した新しい宗教という言い方。

人間の生命や個人個人の考え、幸福を尊重するもの・・と捉えてよいかな。

神様こそ絶対・・・という宗教から、人間至上主義への移行は進んでいるが、その分、拠り所が無く、人は底知れぬ不安にさいなまれている。

人間こそ至上の存在なら、なぜ人間は間違うのだろう?

著者はしつこいほどに、人間の情動とアルゴリズムについて突き付けてくる。

「魂」なるものは、形としてついに見つからなかった。“私”という唯一無二の人物が、感動したり怒ったりするのは、目に見えない魂のせいではなくて、神経がこう繋がって、こう作用して・・・と、パターンのあるアルゴリズムなんだって。

そんな、「実は全員がロボットでした〜」みたいなオチは、ちょっとショックなんですけど、だったら凄いテクノロジーが間違わずに人類を導くのも有りなんじゃないかと思ってしまった。AIとかのテクノロジーこそ、アルゴリズムだからね。

「神性」が一番大事というなら、この世の中で、いわゆる悪い人と善人っているわけで。

悪い人(←ほかに言い方が思いつかない)の言い分まで尊重しなくちゃいけないから、ややこしくなるんじゃないかな。

作者は最後に「テクノ人間至上主義とデータ教」と意味深な言葉を挙げている。

もうすでに、私などは、アナログなタイプであるにもかかわらず、あらゆる場面でスマホを頼りにしている。

作者の言葉を借りれば「全知全能の神の監視から切り離されては生きていけない」

 

ここで、冒頭に戻るけど、未来もし、人類が平和を手にしているのであれば、それは本当に個人も幸せ、他も幸せという究極の理想郷であってほしい。アギノ・ジロのように、わざわざ戦国時代まで戻って、歴史を覆そうとしなくても、幸福に気づけるような。

一部の人間がホモ・デウスとなって、圧倒的多数のサピエンスを管理するというなら、それも仕方ない。

著者は、牛や豚、鶏といった家畜が、「情動」「意識」を持っていると説明して、めちゃめちゃ罪悪感を抱かせ、管理されるとはこういうことだと残酷さを突き付ける。

でも、神性を持った者が、同じことを踏襲するだろうか?

 

落合陽一さんが、「ホモ・デウス」の読後感として、東洋思想への注目について述べていたが、もしかしたら時代は西洋的な競争から東洋的な調和を求めているのかも・・・。

 

この本は難しかった笑い泣き

「サピエンス全史」の時も感じたけど、日本語訳ならではの捏ねくり回した記述に、一文を何度読んでも理解できず、上下巻を読み通すだけでいっぱいいっぱいだった。

著者の膨大な知識からの引用も多いし、皮肉もちょいちょい出てくる。でも、その皮肉が高度すぎて、何言ってるか分からないときもある。

文化が違うという点を差し引いても、まあ、私の脳みそで理解できる範囲は限られているので、今できるだけアウトプットしてみた。

ユヴァルさんは、悲観させたくて書いてるわけじゃないというのは分かる。ただ、情報が壮大かつ膨大で、どうしたらいいの~!?というのが正直なところです。