4/19 旦那が遠方からなんとか三連休を取ってきてくれた。つい2週間前くらいに実家へ義父と送り届けてくれたのにもっともっと長い間会ってないような気がした。
旦那もショックを受けていて少し痩せた様だった。すぐに来れなくて、何も出来なくてごめんと何度も謝られた。
それ以上に1番マメの近くにいた私がもっとマメに気をつけていれば…何をどうしたらよかったんだろうと悲しいのと悔しいのと申し訳ないのと。
旦那と色々話をした。
旦那が来たことに少し安堵し、マメに会わせる前に死産届の記入やネットにあった命名書の記入をし院内のコンビニにコピーしに行った。視界に子どもや妊婦が入る度に辛くなる。
エレベーター待ちに妊婦……この人も私と同じ病棟に戻るのだろうか。
この人は何も悪くないと思ってるけど見たくない。一緒の空間にいたくなかった。耐えきれなかった……7階なのに階段で行こうと旦那を引っ張り上に登る。
情けないが2階で苦しくなって中々登れず途中からエレベーターに乗った。
気持ちだけでなくこんなに筋力も落ちているものかと余計に苦しくなった。
その晩は助産師さんに部屋にマメを連れてきてもらって朝まで3人で過ごした。
2人で義父に似てるね、足の形は旦那に似てる、指は私似てるかななんて話しながらケータイに写真を撮っていく。とても可愛い、可愛くて泣けてくる。
棺やおくるみは母親と妹が手作りして準備してくれていたのでそれ以外、旦那にはやりたい事を大まかに伝えていた。
・命名書の作成とマメに名前をちゃんと教えてあげること。
・マメへ手紙を書いて文字が読めないだろうから読んであげる
・折り紙を柩に入れてあげる
・抱っこしてあげる
・セルカ棒を使って3人で写真をとること等
旦那は服を1着買ってあげたいと言っていたので翌日実家へ行く前に買いに行くことにした。
マメのベットの横でマメへの手紙を書いた……本当はずっと起きていたかったが今まで眠たいと思わなかったのに疲れがきて数時間眠りまた折り紙を折り始める。
旦那は手裏剣と鶴を1羽折っていたので、中くらいの鶴と一回り小さい鶴を折り家族3人でさびしくないように……
マメの身体がなるべく痛まないように部屋には冷房を入れていた。正直とても寒かった。
旦那は少し離れた簡易ベッドに寝ていたが旦那を呼びシングルのベッドに2人で横になりマメのベッドを横付けして川の字になって朝まで過ごした。手を伸ばしてマメに触れて掠れた小さい声で何回か子守唄も歌ってみた。
少しはマメによろこんでもらえることができたんだろうか?
悲しいけど幸せだった。ずっとこのままがよかった。翌日の火葬するのがとても嫌だった。
追記
その日の夜に先生が旦那に経緯等説明してくれた。
私も先生に質問し丁寧に答えてくれた。
どうしたら気づいてあげられたのか、気づいて外に出してあげたら生きられたのか等
「胎動が無いと気づくのは早い方だった」「胎動が止まる前にも変化に気づいて何度も来てくれた」
「外に出して処置をしても生きられるか…生きていても重度の障害が残る可能性が高かった」と。
なんとも言えない複雑な気持ちになった。
同席していた助産師さんも以前1人死産されていた様で話をしてくれた。明るく接してくれる彼女も以前辛い思いをしていると思わなかった。「苦しいけど何か絶対意味がある」と。
そう思いたいし思えるようになりたい