毒親のことを学んでいるうちに、健全な親ならこう子供に接するんだということを知り衝撃を受けた。
痛烈に違いを感じた。
毒親は
・主語が親
いい親は
・主語が子供
で子育てをする。
もっと言うなら、
毒親は
・支配して子供を奴隷として育てる
いい親は
・子供の人格を尊重し対等に接する
うちは、まさにコントロールと支配で、親に意見するなというメッセージの中で育ち、親を労り親のために尽くす従順な子供はいい子扱いされ大切にされる。でも、自分の意思で考え親が思う通りの言動をしなかったり、意見してくる子供には人格否定して罰を与えた。
そして、精神を病んだり不登校になったり、レールから離脱すると異質扱いされもっと酷い目にあった。
子供がどんなに心から【助けて】とメッセージを出していても、それには気づかないどころか【おまえがおかしい。おまえが弱いからだ。気にしすぎだ。考えすぎだ。おまえが悪い。キチガイだ。同じように育ててなぜおまえだけがこうなる】と更に追い詰め、【私達はおまえにこんな酷い仕打ちをされて可愛そう】と本気で思い込み、「おまえが普通だったらこんなに苦しまないのに」「おまえのせいでお母さん(おばあちゃん)大変なんだよ。ストレスが酷いんだよ。」と問題を子供(周り)のせいにする。
私達に意見してくるな、親の都合の悪いことは言うな、やるな、親の私達を苦しませるな。親の私達を癒やせ、満足させろ。
そういう無自覚に発せられるメッセージに、私達はズタボロに傷つけられ、体の傷はないけれど心がズタズタで、血だらけになっていった。
いい親は、子供も一人前の人間として尊重し、家族会議を開いて模造紙に意見や気持ち、問題点などを自由に書いてもらい、それに対して意見を言ったり押し付けるのではなく気づきを与えるらしい。受け止めるらしい。
子供の状況や気持ちを考えずに「勉強しろ」「宿題したの?まだやってないの?早くやれ」とか言わないらしい。
この子はこうだから、と決めつけたり色眼鏡で見ないらしい。これが出来ないあなたは劣ってると本人や周りに言ったり呪いをかけないらしい。
私、どれもこれもやられてたよ。
やろうと思った矢先に「宿題したの?勉強したの?」とか言われるとやる気なくなるんだよね。腹が立つんだよね。
んで、「今やろうと思ってたのにうるさいなぁ!」とでも言おうものなら何倍返しにもなってかえってくる。「お母さん(おばあちゃん)にそんな言い方するんじゃないよ!お母さん(おばあちゃん)はあんたの為を思って言ってるんだからな。それにお母さん(おばあちゃん)がいなけりゃこのうちはやっていけないんだからな。」などと母親と祖母の二人から責められて逃げ場がなくなり追い詰められる。
もうそのやり取り終わらせたくて黙っても、尚もしつこくネチネチと責め立ててきたりした。
本当に辛かったし、嫌だったし、今思い出しても腹が立つ。
一人に対して二人で責めてくるなんてフェアじゃない、卑怯だよ。
言われてる方は逃げ場がないじゃない。
子供一人で大人二人に勝てるわけないじゃない。
今考えたら、立派ないじめだよ…(泣)
こんなこともあった。
母親がカボチャが好きじゃないからって、カボチャを分けてくれようとした母の知人の前で「うちはみんなカボチャが好きじゃないから〜」と言って断っちゃうの。
私が慌てて「私カボチャ好きだよ!」と口を挟むと「あ、そうなの?(言ってるだけ)」と。
母はカボチャは貰わなかった。
自分がカボチャが嫌いなら家族全員が嫌いだと思い込んでる。
自分と子供が別の人間だと思えてないんだろうな、子供は自分の一部だと考えてるんだろうな。
子供時代の私は、母や祖母の理不尽でおかしい言動にモヤモヤし嫌だったけど上手く言語化できずに飲み込むしかなかった。
そんなことがあっても、母は同じようなことを繰り返した。
自分の思うことや好き嫌いは子供も同じと思ってるか、そうでないとわかっているとしとも子供の意思や意見なんて関係なかったのだろう。
母は何も学ばないんだな、と子供ながらに思っていた。
あと、「うちの子はみんな運動が苦手だからね〜」と私達子供の前や他人の前で何回か言われたことも、腹立たしい記憶として残っている。
私は、母や祖母から「〇〇(私)ははしっこい(すばしっこい)なあ、活発だな。」とか、「他の兄弟は運動音痴だけど、〇〇(私)は足が速いね。」みたいなことを度々言われていたし、自分でもそう思って密かに自信を持っていたのに。
それなのに、なんで間逆なことを言うのか、しかも本当は運動苦手だと思っていたのか…と混乱したし悲しくなった。
姉二人は運動が得意でないことを自覚しているらしく傷つかなかったと思うが、私は酷く自尊心を傷つけられた。
三人姉妹を一括にする発言は止めて欲しい。
型に嵌めた見方をして決めつけるのは止めて欲しい。
猛烈に悔しかった。
それから、私小さい時から母親に遊んでもらった記憶ないんだよね…。
どこかに連れて行ってもらった記憶はあるんだけど、一緒におままごとしたり、追いかけっ子したり、お絵描きしたり、とにかくそういうのしてもらったことないと思う。
姉が二人いたから、姉と遊んでなさい!って思ってたのかもしれないし、実際そうせざるを得なかった。
唯一、小学生の頃オセロに付き合ってもらえたことはあったんだけど、それもイヤイヤやってくれた感じで…。
印象的に覚えているのが、自分(母や祖母)達が負けそうとわかると、「もうばあちゃん(お母さん)負けだ〜」と言って、まだ最後まで終わってないのに諦めて試合放棄しようとするのが本当に嫌だったなあ。
これから巻き返せるかもしれないのに、なんで諦めるんだろう、なんで最後まで頑張る姿勢を見せてくれないんだろう、なんで前向きに粘り強く最後までやり遂げることが出来ないんだろう…。
子供ながらに不満だったし、悲しかったし、そんな姿見せないで欲しかった。
最後まで戦う姿勢を、私達子供のお手本になる姿を見せて欲しかった。
悲しかった。
でも、あの人達にとってはそんなことどうでもいいことだったんでしょうね。
だって、奴隷の為にやりたくもないオセロに付き合ってあげてるんだし、奴隷の気持ちとか、影響とか考える必要も意味もあの人たちにはなかったんだろうから。付き合ってやってるだけで自分たちは充分いい親だと思ってるんでしょうから。
もしくは、自分が弱いのが露見すると恥をかくから、または本気でやって負けると自尊心が深く傷つくから本気でやらないし、すぐに諦め、諦めたから負けるのは当然、私は本当は賢いし強いんだけど途中で諦めてわざと負けてやったんだと思うことによって自尊心を保っているのかのどちらかかと。
あの人たちは、遊んで欲しいと言っても、いつも家のことやらなくちゃだから、とか草むしりがあるからとか、用事があるからとかなんだかんだで私達より家事や仕事や雑用優先の人だった。
離婚してからは経済的にも乏しかったので仕事と家事優先になり余裕がないのもわかるけれど、子供の私は寂しかった。
私が学校で孤立し、寂しくて母に構ってほしくて沢山話しかけたり、遊んでと言っても「友達と遊んら?」とか「〇〇(私)は友達がいっぱいいるでしょ?」「お母さん庭の草刈りとか木の枝を切ったり家事があるから忙しいんだよ」とか言われて相手にしてくれなかったし、私の気持ちには寄り添ってくれなかった。
母が仕事で帰りが遅く、寂しくて母に泣きついたりダダをこねた時も、「おばあちゃんがいるからいいでしょ!ワガママ言って困らせるな」と言われ、祖母からは「ばあちゃんじゃいやか!お母さんが仕事するから食べて行けるんだし、ばあちゃんだって色々やってやってるのに」みたいなことを言われた。
そうじゃない。
正論かもしれないが、私は幼い頃は母を欲していた。甘えたかった。気持ちをわかって欲しかった。
母が働かないとこの家が成り立たないのはわかってる。仕方ないとわかってた。
だけど、私の寂しい悲しい気持ちにただ寄り添って欲しかっただけなんだ。
わかって欲しかっただけなんだ。
共感してもらえてただ、「寂しいね、寂しい思いさせてゴメンね」とか言ってもらえるだけで、私の心はおさまったし、いつまでもビービー泣いたり反抗したり困らせることもなかったと思う。
気持ちをわかってもらえないから、私はいつまでも悔しくて寂しくて悲しくて泣いていたんだ。
ただ、それだけ。
気持ちを理解して欲しかった。
どんなに忙しくても、子供に向き合う気持ちや大切にする気持ちがあるならば、5分だけでもいいから一緒に遊んだり、話をまともに聞いたりしようとするはずだ。
でも、幼い頃そういうのはなかった。
楽しく遊んでもらった記憶がないしから、私も今子供とどう遊んだらいいかわからないと思う時がある。
おままごとが特に苦手。
子供のペースに合わせて遊ぶのが苦手。
子供に指示されたり命令されておままごとするのがものすごく嫌だと感じる。
(子供でなくても誰かに命令されるのは嫌だけど)
子供は楽しそうなんだけど、私は楽しいと思えないから笑顔になれない時がままある。
無表情。
無表情に関しては、今まで辛い時は感情を押し殺して感じなくすることでやり過ごしてきたことが多いから、無表情が板についてしまってるのかも。
でも、本当は悲しくて、心が痛くて、泣きたくて、辛いから、だから笑顔になれないんだと思う。
常に心に深い悲しみや怒りを抱えているから、そういう真っ黒くてドス黒い感情で埋め尽くされているから、そのことで支配されているから、だから…。
だから私は普段から無表情で笑顔になれないんだと思う。
子供と笑顔で遊んであげたいし、優しく包みこむようなお母さんになりたいのに、それが出来なくて苦しい。
自分がされてきてないから、出来ない。
どうしたらいいかわからない。
自分がされなかったことは相手にも出来ない。
だから仕方がないと自分を慰めるんだけど、やっぱり辛い。
私は、いいお母さんにはなれないのかな。
なりたくないのに毒親みたいになっちゃうのかな。
気づかないうちに、子供に嫌だった毒親みたいな事してしまって、何れ毒親と言われ捨てられるのかな。
これって見捨てられ不安なのかな?
娘には、長女だからと、もう6歳だからと、特に期待してしまう。
同性だからか娘に対しての目が厳しくなってしまう。息子は異性だからか、二人目でまだ小さいからか、可愛くて仕方がない。
娘に、一人でやれることは自分でやってとか、用事済ませたの?とか、まだやってないの?とか、子供チャレンジやろうよ、なんでやりたくないの?とかなんでやらないの?とか、つい口から出てしまう時がある。(最近は言わないように気をつけてる)
You Tubeやスマホゲームもなかなかやめないと語気が荒くなってしまう。
自分でもよくない、子供を傷つける、言ってはダメ!と思ってるのに、考えるより先に口から出てしまう。
これって、私の価値観押し付けてるってことかな?
口うるさい過干渉になっているんかな、自尊心を傷つけてるんかな、私がされて嫌だったことを子供にしてしまってないかな? 兄弟差別を無意識にしてやいないかな?
見つめ直したり反省すべき点は沢山ある。
けれど、いくら頭ではわかっていても、良い親のお手本がなかったからどうしたらいいかがわからない、実行出来ない。
でも、変えていかなくちゃ!
まずは自分が解毒して、ここまでの膿を出し切り、透き通った心に回復することから。
そして、健全な親ならこうするという方法を沢山インプットし、実行(アウトプット)する。
難しいけれど、苦しいけれど、スムーズには行かずに悩み苦しむとは思うけれど、少しずつやっていこう。
大丈夫、大丈夫。
落ち着いて!
あなたなら出来る!
大丈夫だよ。
気づいてここまでこれたんだもの、これから変われるよ。
自分を信じて。周りを信頼して。
娘、息子、旦那に毒の連鎖をしないために、自分自身も罪の上塗りをして後悔しないために…。