「すみれ組幻想」は前から書いてみたかったテーマです。
先日、他所様にコメントした文章(未反映)をほぼそのまま使い回して記事化してみました。
未だにある「Toshlが救われたのはYOSHIKIのお陰」という主張への反論に役立ちそうだったからで、特定の方に宛てた記事ではありません。
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初めまして。猫巻と申します。
コメントを失礼致します。
Toshlさんがどうしてメンバーに助けを求めなかったのかということですが、洗脳の被害者が他人を頼るのは非常にハードルが高いです。
ToshlさんもHOHから逃亡したにも拘わらず、2009年10月26日にMASAYAに送った決別状では、ひたすら謝罪していた記憶があります。
どこまでも自らの問題であり、自分が悪いと思い込まされていたのですね。
ストックホルム症候群や学習性無力感とも関係があるでしょう。
Toshlさんの場合は一度逃亡に失敗しているので、尚更ですね。
そして、メンバーは長年に亘って疎遠だった相手です。
確かにToshlさんには優しく接してくれたようですが(特にHEATHさん)、事情を知っていて良心のある人なら大体はそうしたでしょうし、Toshlさんが何でも打ち明けられるような間柄ではなかったのでしょう。
ファンは思い入れがあるので、メンバー間の絆を強調する声が多いですが、彼らは解散前から仕事以外では殆ど会うこともなかったようです。
(『ROCKIN'ON JAPAN VOL.151』 1998年6月号のHIDEさんインタビューより)
批判できるかは別として、詩旅時代のToshlさんを助けるために具体的な行動を起こした訳でもありません。
お互いにそこまで親しくないのは、今も変わらないでしょう。
脱会後につきまして。
YOSHIKIさんが「取りあえずロスに来いよ」と言ったという話はToshlさんの過去インタビューに出てきましたが、「代理人からの連絡があり、X JAPANのマネージメント会社からミュージックビデオ撮影のためにロサンゼルスに来てくれという打診が」(『洗脳』p.225より)あっての訪米でしたね。
dさんの記述とは違い、『洗脳』の243ページにはこう書かれていますので、YOSHIKIさんは空港に迎えには行っていないようです。
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二〇〇九年十二月三十一日午後、僕は成田空港にいた。まだ癒えぬ思いとトラブルを抱えての出発となった。
青い空、乾いた風、車の排気ガス、背高のっぽに一直線に伸びるパームツリー、やはりロスは何も変わらなかった。
翌日、ノースハリウッドにあるYOSHIKIのスタジオに行った。
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次のページに、全ての撮影を終えた翌日、ToshlさんとYOSHIKIさんが待ち合わせして食事を取った後、同じ車で話しながらYOSHIKIさんの家に向かったという記述はありますが。
長文の上に反論のような内容で大変心苦しいのですが、この先は次の記事のコメント欄に続きます。
(こちらも次の記事のコメントも、ご返信はなさらなくて大丈夫です)
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前回の記事のコメントから続きます。
YOSHIKIさんにも、Toshlさんに戻ってきてほしい気持ちがなかったとは言いませんが、それが再結成の主な理由だったかは疑問です。
再結成の黒幕はX JAPAN制作運営管理委員会(以下、旧運営)ですが、主要メンバーである真下幸孝氏はYOSHIKIさんの元側近で、HIDEさんの葬儀委員長も務めた人物です。
GLAYの元所属事務所「アンリミテッド」社長でもあり、搾取したお金がYOSHIKIさんに流れていたのではとの記事もありますが、ここでは詳しく触れません(ソースはサイゾーですが、2人の確執は事実でしたね)。
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なお、10月21日に放映されたNHK『SONGS』では、YOSHIKIとGLAYのメンバーが再会を果たす場面も放映された。かつての独立劇の”わだかまり”を解くという演出だったが、業界では「アンリミテッドグループの収益の一部はYOSHIKIに流れていた」との見方も根強い。さらには現在、前述のM氏とYOSHIKIがX JAPANの復活興行をめぐってモメているとの情報もあり、三者間の恩讐劇が結末を迎えるのはもう少し先のようだ。
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【YOSHIKIも参戦!? 「GLAY×元所属事務所」法廷バトルの行方】
「日刊サイゾー」(2009年10月31日 11:00)
旧友の小室哲哉さんもToshlさんと連動していて、再結成への外堀が埋められていきました。
また、Toshlさんは幹部ではなく末端の会員でしたから、何かあっても自分の責任は問われにくいという判断もあったのかもしれません。
(YOSHIKIさんの大親友のマリリン・マンソンさんも、以前から何度も訴訟を起こされ、悪い噂があった人ですが、YOSHIKIさんは進んで一緒に仕事してましたね)
そんな旧運営には、HIDEさんの弟である松本裕士氏や、暴力団関係者のK(本人によれば、YOSHIKIさんとは97年から親しかったらしく、「YOSHIKIは兄貴分のような存在でした」 )、元暴力団員のT(後述の「24JAPAN」社長。2010年に事件を起こして逮捕)らも加わっていました。
YOSHIKIさんも、後になって失敗したと思ったかもしれませんが、未払いがあっても簡単に訴えられる相手ではありませんでした。
(実際、旧運営を訴えた後にはHIDEさん肖像権問題が発生)
【アート引っ越し淫行事件…指名手配された高野一男はX JAPANのTOSHIとHEASEの所属事務所社長(下)】(2010年7月27日)
※2021年12月29日現在、渡邉裕二氏のブログを含むholidayblog全体が読めなくなっており、復旧の兆しもないので、ウェイバックマシン(インターネットアーカイブ)にリンクしました。
YOSHIKIさんが、真下氏が社長のネクスターコーポレーション相手に裁判を起こした後、Toshlさんは(恐らく報復として)元の所属事務所24JAPANに訴えられました。
一般の方の傍聴記(裁判は2013年1月30日)によれば、X JAPANのお金はHOHにも碌に支払われていなかったようです。
(HOHに搾取されたせいでToshlさんの手にお金が渡らなかった、という話ではないはず)
ですから、YOSHIKIさんがToshlさんのために──旧運営とHOHの関係を考慮して我慢していたとは考えにくいですね。
被告尋問になって、トシ氏は平成20年3月から21年5月にかけて東京ドームを皮切りに香港、台湾などで行われたⅩ-JAPANの公演の出演料をギャラもろくにもらっていないうえ、公演の収支明細を再三にわたって明らかにするように要望したのに出してもらえなかった。途中で、暴力団との関係が明らかになって、要望するのを諦めた、と語った。また、平成22年1月に米ロサンゼルスで撮影されたパチンコSANKYOのプロモーションビデオの収録で原告に約5000万円の出演料が支払われた、と聞いているが、一銭もらっていない、とも語った。さらに、原告の事務所には住吉会の会長からの花が飾ってあったし、イベントのお客に明らかに暴力団と思われる人が招かれたりしていた、とも証言した。
最後に代理人から促されて、トシ氏は「マネージャーというのはタレントが主演するのに陰でサポートしたり、世話をsうる(ママ)のが本来の仕事であるのに、原告から舞台へ出るのにそうしたサポートを受けたり、身体面や健康についてのケアをしてもらったことは一切ない、精いっぱい歌を歌って疲れ切っても水を用意したり、足腰を労わったりするのはすべて自分でやってきた。原告はそうしたことを一切してくれなかった。50歳を前に身体がボロボロで、Ⅹ-JAPANの公演ももうないだろう」と心情を吐露していたのが注目された。
YOSHIKIさんがそこまでToshlさんを想っていたのであれば、自分が訴えたことでToshlさんが巻き込まれないように対処したのではないでしょうか。
また、当時の報道等からして、パチンコの仕事(暴力団絡み)は旧運営ではなくYOSHIKIさん主導だったはずですが、Toshlさんに出演料が支払われるための取り組みはあったのでしょうか。
何もしなかったと断定はしませんが、Toshlさんの「50歳を前に身体がボロボロで、Ⅹ-JAPANの公演ももうないだろう」という発言からして、YOSHIKIさんのフォローがあったようには見えません。
一方で、金沢の方々はこの時期のToshlさんを支えてくれたのでしょう。
下記はデイリースポーツ(2014年8月26日)でのToshlさんのインタビューです。
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「2010年の1月、ロサンゼルスでミュージックビデオの撮影があったんですが、その場で彼に対して自分は逃げ出してきたんだという話をしました。そしたらYOSHIKIも『自分も色んなことがあったんだよ』と」
(この撮影を最後にToshlは音楽を辞めようとも考えていたが、YOSHIKIのこの言葉で決意を新たにしたという)
「もしYOSHIKIがその時まだトラブルを抱えていたら、僕は(その後は)もしかしたら一緒にやらなかったかもしれない。彼も彼なりのことがあった、僕も僕なりのことがあった。なんか偶然なんですけれども、タイミングが一致して。2人とも自分の足で立ってまたやっていこうという時期が同じだったということですね」
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Toshlさん関係なく旧運営との対峙を決めており、そこに脱会が重なったといったところでしょうか。
先述のGLAYの裁判で、真下氏側が敗訴したことも関係がありそうです。
(余談ですが、真下氏はGLAYの代わりになる資金源が欲しくて、X JAPANの再結成に乗り出したのかもしれませんね)
次に、再結成前のYOSHIKIさんのToshlさんへの姿勢について、推察できる文章を2つ貼ります。
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―今のX JAPANをどのように表現しますか?
「奇跡」ですね。バンドが再結成するなんて夢にも思わなかった。Toshiとは、いつか死ぬ前にどこかでもう1度会うかな、くらいにしか思っていなかった。(略)
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【インタビューVol.51 ミュージシャン YOSHIKIさん】
「デイリーサン」(2016年10月21日 インタビュー日時:2016年9月20日)
https://www.dailysunny.com/2016/10/21/interview1021/
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(略)なお参考として、XJapanなどにリンクをはっていることについて、無許可であると批判をする人が少しだけありますが(たくさんはいません)、そもそもリンクに許可はいりませんし、真の友達なら、Toshiの現在に、もっと声をあげてほしいと思います。XJapanのメンバーの寡黙さも、非常に気になっています。
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【弁護士紀藤正樹のLINC】(新着情報 「UP04/04/26」)
感動を呼ぶのが好きなYOSHIKIさんですから、ずっとToshlさんを気にかけていたのなら、映画の宣伝のためにもそう言ったでしょう。
恩に着せたくなかったのなら、解散をToshlさんの洗脳のせいにしたり、Toshlさん救出のための再結成だったかのようにアピールしたりすることもなかったはずです。
『We Are X』でも、(LAでの再会時のToshlさんについて)「あの時って、まだ完全に戻ってきてなかったの?」、(Toshlさんが頻繁にMASAYAと守谷からの電話に出ていたことについて)「忙しいんだなと思ってた」という他人事的な反応に留まっていました。
再結成前のYOSHIKIさんが、Toshlさんを全く心配していなかったとは言いません。
ですが、当時Toshlさんを助けたがっていた方々のような気持ちがあったのなら、自らアクションを起こすなり、せめて実情を調べるなりしたのではないでしょうか。
また、再結成後も過酷なスケジュールで働かされていたToshlさんに、急に長時間のレコーディングを依頼し、2時間待たせた挙句にキャンセルしたり、翌々日に無理強いしたりしたでしょうか(その結果、HOHからの逃亡も失敗)。
不安に駆られていたとはいえ、「X JAPANが再結成していなかったら僕は首を2回切っていない」と、電話先のToshlさんが黙ってしまうくらい何度も言ったでしょうか。
(「X JAPANが再結成していなかったら~」は、2017年6月20日の記者会見での発言より。
もしToshlさん救出のための再結成だったというなら、Toshlさんの生還と自分の手術を天秤にかけたことになります)
「洗脳星」「洗脳の専門家」と執拗にネタにして、ファンにToshlさんのインスタを洗脳星で荒らすように指示する、本人不在のバラエティー番組で笑い話にするなどしたでしょうか。
(これについては、MeYouさんのブログのコメント欄に詳しく書きました。
NO.2、9、15、55で、MeYouさんの4も重要ですね。
今、Toshlさんファンで洗脳いじりをする方はまずいません)
※2023/8/13 追記
「umanità~猿にも人間性を~」はアカウントごと消えてしまい、アーカイブも残っていません。
ですが、この時のコメントは「洗脳いじり」シリーズに反映されています。
外部との接点が増えたなどの点で、再結成はToshlさんにプラスに働いたでしょうけれど、脱会のための必須条件だったとは言えません。
Toshlさんは再結成を命じられた時点で矛盾に気付き、その後、MASAYAと守谷がボロを出したことなどにより、自分の意思でHOHから逃亡しました。
2人は完全にToshlさんを舐めていましたし、紀藤弁護士や被害者の会の活動(彼らとの裁判でMASAYAは失態を見せた)を考えれば、仮に再結成していなくても脱会できていたとも言えそうです。
脱会後も洗脳の後遺症や陳述書の執筆などで苦しめられる中、X JAPANのワールドツアーやレコーディングはかなりの負担だったでしょう。
「Toshl:久しぶりの日本公演になります。 2010年の日産スタジアムでのライブやその後に続くワールドツアーなど一連のツアーがありましたけど、その時自分はまだこの本の執筆の前段階で、裁判のために陳述書を書かなければならなかったり、洗脳から脱出して間もない、精神的にも肉体的にも非常に不安定だった時期のライブでしたので、 単純にライブを楽しむことができないような状態でした。」
【X JAPAN Toshl 自伝『洗脳 地獄の12年からの生還』インタビュー】
「WWSチャンネル」(2014年8月22日)
それでもToshlさんが役割を果たして、YOSHIKIさんのやり方を擁護さえしていたのは、負い目もあったからなのかもしれません。
HOHだけではない有象無象に苦しめられていたToshlさんが、「恩義」やファンの願望に縛られずに自由になったのなら、とても良いことだと思います。
【追記】 d様
コメントはチェックされていなかったのですね。
ただ、私の文章をお読みになって「ヨシキさんが全ての元凶で、ヨシキさんはトシさんの心配などは全然していない」「ヨシキさんのすべての行動は自分の為、自分の名声と富を高めるためだけの行動で、ヨシキさんはトシさんを利用してきただけなんだと」と主張しているのだと解釈されたのなら、とても残念です。
そう受け止められることも想定して、「YOSHIKIさんにも、Toshlさんに戻ってきてほしい気持ちがなかったとは言いません」「再結成前のYOSHIKIさんが、Toshlさんを全く心配していなかったとは言いません」と書いておいたのですし、旧運営の問題まですべてYOSHIKIさんのせいだとは言っておりませんよね。
提示した根拠への反論ではなく、レッテル貼りで済ませてしまわれるのでしたら落胆します。
YOSHIKIさんはToshlさんに配慮して旧運営を訴えるのを我慢していた等、恐らく事実ではない箇所も訂正して下さらないのでしょうか。
(これはd様が依拠されているRさんにも言えることですが。
Toshlさんが紅に染まった夜の後のニコ生で、「Toshloveのために歌った」「トシラブのために頑張りました」と発言したという誤情報も未だに訂正されておらず、Toshlさん側の個人情報が分かる箇所もそのままです。
Rさんの資料には私も助けられたことがありますが、すみれ組幻想による強引すぎる解釈や、Toshlさん側に訴えられてもおかしくないような記事が多く、この方の影響でToshlさんが受けた被害は数え切れないでしょう)
【『We are X』『Red Swan』の嘘~「Blue verse」れいこさんへ】
【紅夜がX JAPANの未来を決めたのか?~れいこさんへ 《後編》】
【データベースを自負するならば公正な記事を~れいこさんへ 《追記》】
TAIJIさんの『伝説のバンド「X」の生と死―宇宙を翔ける友へ』は大分前に読みました。
私はX JAPANファンではありませんが、所謂「Toshlove」とも違うようです。
ただ、非がある事柄(非がないとする方もいるのでしょうけど)や現実を指摘するのは当然で、それを「一面的」「勧善懲悪の一元的な考え方」とするほうが、何かを庇うためのバイアスが働いているのではないでしょうか。
MASAYAにも良いところはあるのかもしれませんが、それを誇張して加害を矮小化するのは、公正とは言えないでしょう。
ハラスメントをする人(と書いたら反感を抱かれるかもしれませんが)は相手を選んでおり、嫌われ者どころか人気者であることは珍しくありません。
マリリン・マンソンさんも多くの人に擁護され、DVを訴えた女性達がバッシングされていますね。
d様はご自身の評価とは逆に、素直な方だとお見受けします(嫌味ではなく)。
「そういう事を書いて何になるのかなぁ、、、と思うのです」とのことですが、かつてはToshlさんがX JAPANの諸問題の元凶とされ、地道な検証や反論によって風向きが変わってきたという背景があります。
Toshlさんを非難する方々が、ご自分が信じる物語に基づいて「Toshlが救われたのはYOSHIKIのお陰なのに」と言い立てるのはいつものパターンです。
反論した方々も、Toshlさんを庇うために憶測でYOSHIKIさんを悪者にした訳ではありません。
今もYOSHIKIさんに魅力を感じている方がいることも、十分理解しているでしょう。
YOSHIKIさんのファンがどうするかはご本人達次第ですが、Toshlさんに責任転嫁するのはやめて頂きたいですね。
幼児でもないのに、非のない相手を傷つける言動を繰り返してばかりいる存在に寄り添うよりも、傷つけられた側のためにリソースを割きたいです。
そして、ToshlさんとYOSHIKIさんの「和解」は望んではおりません。
逆にお2人の和解を望む方々の一見優し気な言葉によって、またToshlさんが我慢させられる展開になることを懸念しています。