みなさんこんばんは!
SDM生活ももう1か月が過ぎました…あとたったの23か月。
毎日目一杯過ごさなきゃと思う今日この頃です。
唐突ですが、SDMで学んでみて
「以前スカイツリーに登った時の違和感」の正体がなんとなくわかった気がするので記します。
約10か月前、会社の行事の一環でスカイツリーに登りました。
開業間もないスカイツリー。すごくいい眺めで、先輩方とはしゃいでいました。
初めての眺めですごく楽しかったのは間違いないのですが・・・・・・
楽しさと同時に「恐さ」も感じてしまいました。
・・・よくもまぁ人間はこんなものをつくったもんだ・・・と。
都市問題が云々とか欧州の街並みと日本の街並みを比べて云々ということではなく、
「誰が東京をこんな姿にすることを望んだのだろう?」という不思議な疑問が生まれました。
きっと一つ一つの建物は、商業施設にせよ、ビルにせよ、オフィスにせよ、マンションにせよ
「こんな施設があったらいいな」とか
「こんなビジネスを行いたい」とか
いろんな想いが詰まっているはず!
そのこと自体はとても魅力的なことのはずなのに・・・
それぞれが好き勝手想いをこめてつくったものの集合体である東京は
どう収束していくのだろう・・・。
あの時感じた「恐さ」は・・・
この、人間の手で膨れ上がらせた都市は、もう人間の手では
収束させられないのではないか・・・という「恐さ」だったのだと思います。
スカイツリーから見た発展した東京には全体感が感じられませんでした。
都市の機能や景観といった空間的な全体感ではなく、
どうやって興して、どう結びを迎えるのか?という時間的な全体感・・・
ふと思えば、小説も、音楽も、スポーツもすべて始まりと終わりがあります。
しかし、経済とか、開発とかいった類のもに「終わり」は想定されておらず、
無限にループしていくように感じます。
そのことに恐さを感じるのは僕だけでしょうか・・・?
・・・わかりにくい文章ですみません。
ただ、こんな問題も軽々越えていくのがSDMなのかもしれない!
とも感じています!
長谷川洋