今更ですが、少々詳しく私の話をさせてもらいます。


私は両親の長女として生まれ、弟や近所の子供達と、毎日朝から外で遊び回っていました。

意味もなく走り回り、木登り、泥遊び、公園の遊具、子供が考えられる全ての物を遊びにしていました。

とにかく元気でヤンチャで、ガキ大将的存在でした。


小学生高学年になるにつれ、少しずつ友達に変化が出てきて、子供っぽい事したくない…なんて言われた事もありました。

それから、少しずつ意識して、中学生になる頃には、女の子らしく友達とおしゃべりやオシャレを楽しむようになりました。


子供の頃からずっと、私は常に元気で明るい、勉強も程々に出来る、友達から頼られる側の、しっかり者。

友達と同じ班になりたいからと、体育委員や文化委員もやりました。


それが私でした。


でも、いつからか、ツライ・カナシイ・クルシイ・タスケテ、それを言えなくなりました。

私が弱っていても、心で泣いていても、誰にも言えず、心の中でタスケテ…と、いつも小さく泣いていました。


親友と呼べる友達にも、クラスではしゃぐ友達にも、なぜか言えませんでした。


あんなにたくさん話して、はしゃいで、お買い物して、手紙とか回し合って、分かり合えてたはずなのに…

苦しい、と本気で意識した時には、マイナスの気持ちが大きくなり過ぎていて、改めて話すには重すぎて、ますます話せなくて…。


1人の時は病んでました。


本格的に精神科に通うようになったのは、息子が2歳くらいの時にパニック発作が出たからです。

リビングでのんびりしてた時に、急に死ぬ?死ぬの?って、そんな言葉で頭の中いっぱいになって、震えは止まらないし、怖くて怖くて仕方なかったです。


元旦那が帰って来て、変なんだけどって話しても、「貧血とかじゃない?寝たら?」って、それだけ…

ベッドのスプリングが揺れるくらい、私は恐怖で震えていました。

翌日、内科に行って、当時良く使われてた言葉“自律神経失調症”と言われました。


でもこんなに怖いものなの?と疑問を感じながら、会計を待っていると、看護師さんが走ってきて、「あのね、心配だなって思ってたら、精神科に行ってみたらいいよ。専門的に診てもらえるから。」って。

この一言で、精神科に行き、話をするとすぐに「それはパニック障害だよ。」と言われました。


本当に死ぬ程の恐怖、これにちゃんと病名があって、薬がある、ものすごくホッとしたのを覚えています。


他にも、“躁鬱病”と“睡眠障害”もあると言われました。

この時から、少しずつ薬を調整して、何とか心を安定させようと試行錯誤する日々でした。


今は安定していますが、最低限の薬がないと、パニック発作が出ますし、夜は全く寝れず、より大きい発作が出ます。

以前、一度飲み忘れて、ヒドイ思いをしました…。


こんな風になってはじめて、私はそんなに強くない、しっかり者でもないと思い知りました。

ツライ・カナシイ・クルシイ・タスケテ、そんな思いを一人では抱えきれませんでした。


今は大丈夫です、家族にも、友人にも、ちゃんと弱い自分も見せれます。

と言うか、一度ガッツリ弱さがありありと出てしまって、それを両親や友人に何年も支えてもらって、今更ちょっと言えない…とかはないです。


私は弱い、でも頑張る事も出来る、そしてツライ時は支えてくれる人達がいる。


離れていった友達たくさんいます。

仕方ないと思います。

でも、いつか会えたら、笑顔で会いたいなって思っています。


私は、とにかく両親の人柄に、ものすごく恵まれていて、幸せ者です!


そして、そんな心配や迷惑をかけまくってきた父が、印環細胞癌になりました。

まだ、全然親孝行出来ていません。

これから、本当にこれからやっと、頑張れるようになって来て、あまり心配かけずにやっていけるかな…と、そんな事を思っていた矢先に…


だからこそ、今、必死に自分にしっかりしろ!と何度も言い聞かせ、父が望むように生きよう、そして私に出来る事をやろう、と頑張っています。


心の中で子供みたいに泣きじゃくる小さな自分もいますが、一旦蓋をして、泣くよりも出来る事を探して、とりあえず千羽鶴をちゃんと形にして父に渡す事、それはやり遂げたいと思ってます。


私の父への想いの形。


目に見えて分かるように…

今日もチマチマ頑張ります!