静岡鉄道秋葉線④・・・大正時代の鳥瞰図 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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少し前、こんなのも手に入れてしまいました・・・

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静岡鉄道秋葉線の前身の静岡電気鉄道秋葉線案内鳥瞰図です。

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なかなかお目にかかれないものだったのでちょっと無理して競ってポチしちゃいました。

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鳥瞰図
鳥瞰図(ちょうかんず、英: bird's eye view)は、地図の技法および図法の一種で、上空から斜めに見下ろしたような形式のものをいう。飛ぶ鳥の目からみたように見える、というのが鳥瞰の語義。建物や山などが立体的に描かれる。俯瞰図、パノラマ図ともいう。(Wikiより)

「大正」の文字に萌え萌えです!\(^o\) (/o^)/

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静岡鉄道秋葉線
森町をはじめとする周智郡各地で生産される茶や果物などの農産物を東海道本線の駅へ輸送する目的で、1902年(明治35年)に秋葉馬車鉄道により軌間762mmの馬車鉄道線として開業した。
また1911年(明治44年)には袋井市内にある可睡斎への参拝客輸送を目的として、可睡口 - 可睡(かすい)間の支線も開業させた。
第一次世界大戦による好景気を受けて馬車鉄道による輸送力に限界を生じ、輸送力増強のため電化を計画したが、小資本と大戦終結後の不況により自社では実現できず、1923年(大正12年)に静岡電気鉄道に吸収合併されたのち電化と1067mm軌間への改軌を実施した。
1943年(昭和18年)に戦時統制の国策により静岡鉄道が成立し、同社の一路線となった。1945年(昭和20年)には可睡支線が休止となる(その後再開せず)。
太平洋戦争終戦直後の食糧不足の時期には沿線の農村に向かう買出し客が殺到し、電車の屋根にまで乗客が乗るほどであったが、1950年代以降はモータリゼーションにより輸送量が減少した。このため静岡鉄道では1962年に秋葉線を廃止し、自社バスに転換したが、同社のバス事業の分社化に伴い、現在は秋葉バスサービスが代替路線を運行している。
(Wikiより)

この鳥瞰図をもとに・・・だいぶ前(2011年)に秋葉線廃線跡巡りで撮って来た写真、何故かお蔵入りになってしまっていたのを初公開です。

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静岡電気鉄道秋葉線起点の袋井駅前から・・・静岡鉄道駿遠線になる前の中遠鉄道が載ってます。
静岡鉄道秋葉線の時は新袋井駅です。今のJR袋井駅の前辺りにあったのか・・・
ちんちん電車石松電車で親しまれた路面電車です。

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この冊子この本を参考に探っていきます。

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先ずはJR袋井駅をちょっと覗きます。
2011年に撮った駅舎なので今のとは違います。

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現在はこれです。2014年に橋上駅舎に建て替えられました。(Wikiより拝借)

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構内プラットホームをよく観ると・・・

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下の方に煉瓦積みが観えます!(今現在はどうなっているのやら?)
隣の磐田駅に残ってる煉瓦積みのプラットホームと煉瓦と同じものかと・・・明治22年(1889年)

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袋井駅を出て北に秋葉線廃線跡を探ります。

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おまけ・・・駅前の水飲み場の猫さん

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駅前にはこのような建物も・・・

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レトロ感満載の煉瓦造りの建物のスルガ銀行(旧駿河銀行)・・・
建っていた場所は変わったようですが秋葉線が走っていた当時そのままを似せて建てなおしたようです。

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駅前を北に進みます・・・秋葉線跡は南北の広い通りから曲がってこちらに入ってきたかと・・・

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そして原野谷川にぶつかります・・・

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ここに原野谷川橋梁が掛かっていたそうです。(点線部)向こう岸に電車道が・・・

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矢印の所です。

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1975年の航空写真に原野谷川橋梁がしっかり写ってました。
駅前の広い通りから曲がって橋梁を渡ってるのが伺えます。

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原野谷川橋梁を渡る石松電車

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地図の原野谷川橋梁の右手に新しく出来た歩行者専用?の圓橋(まどかはし)を渡って向こう岸に・・・

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上の向こう岸の画像の矢印の所に観えた錆びたトタン屋根が観えます・・・

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ここが秋葉線廃線跡のようです・・・つづく・・・