熱海七湯めぐり「風呂の湯・水の湯」「佐治郎の湯・目の湯」「河原湯」・・・熱海⑨ | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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遠州浜松発、懐かし探しの近場のお散歩
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静岡県熱海市

熱海ネタも最終回です!長い間お付き合い頂きありがとうございました。

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熱海七湯めぐり、「清左衛門の湯」次は・・・
元の通りに戻って広い坂を下った所にある「風呂の湯・水の湯(ふろのゆ・みずのゆ)へ。なかなか急な坂の途中矢印の所です。

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種類の違う温泉が二つ並んで湧いていたようです。

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風呂の湯・水の湯
『風呂の湯』は、昔の坂町高砂屋(大木円蔵)の庭から湧き出ていました。今の福島屋旅館の西側です。この湯は外傷に良いといわれ、また、湯気の噴き出しが盛んで饅頭を蒸したり、酒を温めたりして販売をしていました。『風呂の湯』の1.5メートルほど東のところに塩分のない温泉も湧き出ていました。温度も低かったので「熱海史誌」には、淡白無味常水を温めるもののごとしとし、故に『水の湯』と名付くと記されています。 江戸時代には、『目の湯』をのぞいたものを七湯としていましたが、明治期になり、『水の湯』をのぞいたものを七湯と呼ぶようになったようです。
(熱海市ホムペより)

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次は午前中に行った銀座通りへ・・・
坂を下りきったところ銀座通り沿いにありました!
「佐治郎の湯・目の湯(さじろうのゆ・めのゆ)

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喫茶店ボンネットさんへ行った時にこの前を通ったんですが全然気付かず・・・

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佐治郎の湯・目の湯
昔の仲町、今の銀座町にあった医王寺の門前にあり、佐治郎という者の邸内にあったことから『佐治郎の湯』といわれました。また、この源泉は明治の頃は上杉助七という者の邸宅にあり、のち「新かど旅館」の所有になったので「新かどの湯」ともいわれていました。この湯は、塩分が少なく真湯に近いことから、火傷や眼病にもよく効くといわれ、別名を『目の湯』ともいいました。
(熱海市ホムペより)

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いよいよ熱海七湯めぐり最後の一つへ・・・
銀座通りを抜け大通りへ・・・角に古い建物の熱海商工会議所が・・・

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ここを左に曲がった所に・・・「河原湯(かわらゆ)がありました。

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この大通りをずっと行くと前回熱海入りした時に行ったお宮の松があります。

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河原湯
このあたりは当時、東浜とよばれ道もなく、石のごろごろした河原で、温泉が絶えず豊富に湧き出ている村人の入浴場でした。湯治客は大湯の源泉が主に使われ、ほかの源泉も限られた家のみが使用出来るお湯で、熱海村の村民や近郷の人達が自由に入浴できるのは、この『河原湯』だけでした。寛文6年(1666年)小田原城主稲葉美濃守が、村民のために浴室を設けて、その屋根を瓦葺としたため「瓦湯」と称したとも言われています。この湯は冷え性や神経痛やリューマチなどに効能があり、塩分が多く、人が入ると透明な湯が白く濁るほどであったといいます。
(熱海市ホムペより)

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これで熱海七湯めぐりコンプリートです!

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七湯の他にも通り沿いで見つけた源泉?。こんなのがあちこちに湧いているようです。

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向こうに人が立っている所に最初に訪れた「豆相人車鉄道熱海駅跡」があります。すぐ横にあった「長寿の湯」

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おまけ・・・ここまでで見つけた消火栓

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いろいろな発見があり楽しい熱海でした・・・
・・・が、本来の目的は弟嫁のお見舞い・・・無事に手術も終わっていたんでだいぶ寄り道してしまいました。で、ちょっと反省です。

帰りは弟の車で自宅に・・・

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久しぶりに弟とのドライブでした。

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そそ、お陰様で先日無事に弟嫁が退院してきました、ご心配お掛けしました。
リハビリ頑張ったそうで早目のご帰還となりました。良かったです。