熊野の長藤・・・長藤まつり | ねこじゃらし・Kの懐かし処

ねこじゃらし・Kの懐かし処

遠州浜松発、懐かし探しの近場のお散歩
ヤフブロ時代の過去記事


静岡県磐田市池田

イメージ 1

行興寺熊野の長藤(ゆやのながふじ)を観に行ってきました。

イメージ 2

行興寺
時宗の寺。熊野(ゆや)御前にゆかりの深い寺として有名。通称「熊野寺」と言われている。熊野御前は生前、藤の花を堂側に植えて愛好したと伝承されている。熊野御前は謡曲熊野や平家物語にも登場する親孝行で有名な美女だったとか。
 現在の藤は樹齢800年といわれている。その特徴はふつうの藤と違い、先に花が咲き、葉は後から出て、花の長さは1メートル以上にもなる。国の天然記念物の指定を受けている。見頃は4月下旬から5月上旬ということで、ちょうどゴールデンウィークに楽しめる。(磐田のお宝見聞帳より)

イメージ 3

イメージ 7

観に来るのちょっと遅かったようで、終わりそうです・・・

イメージ 4 イメージ 5

熊野御前のお墓も奉られています。

イメージ 6

熊野御前(ゆやごぜん)
 平安の頃、池田の宿に、花のように美しく優しい熊野という娘がおりました。見付の国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は、やがて都へ上って行きました。
  宗盛と幸せな日々を送っていた熊野のもとに、ある日、母の病の報せが届きます。池田へ帰りたいという熊野の願いを、しかし宗盛は愛するあまり放しがたく、聞き入れてくれません。
  春、桜見物の席で、熊野は、「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」(都も離れがたいが、故郷で命を散らそうとしている母が心配です)と詠み、その心に打たれた宗盛はついに別れを決心するのでした。
  母娘は、再会を喜びましたが、母の命は長くありませんでした。まもなく愛する宗盛の戦死と平家滅亡を聞いた熊野は、尼となり静かに生涯を終えました。
  熊野が祈りを捧げた庵のあとの行興寺の庭には今も母のために熊野が植えた藤の花が、毎年長い花房をつけています。
 (豊田町発行「熊野御前」より)

当時の日本三大美人の一人
  熊野(ゆや)御前は、平安時代末期に池田荘の庄司の藤原重徳の娘として生まれ育ち、当時遠江国司だった平宗盛に見初められて都に上り、大変寵愛された女性。平家物語や謡曲などで広く知られている。
  「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」と熊野が詠んだ一首に感動し、病気の母を思う熊野に帰郷を許したと伝えられている。郷里池田で宗盛の死を知った熊野は尼になり、33歳の若さで生涯を閉じた。行興寺の境内に咲く藤は、生前に熊野が愛した藤の花ともいわれ、春には「池田・熊野の長藤まつり」で賑わいを見せている。
(磐田のお宝見聞帳より)

国指定天然記念物の熊野の長藤

イメージ 8 イメージ 9

見事な白藤も咲いてます!

イメージ 10

境内には天竜川を渡った渡船や昭和初期の帆掛け船が置いてありました。

イメージ 11 イメージ 12

イメージ 13

最長の長藤の押し花も飾られていました。182cmとは驚きです!

イメージ 14 イメージ 15

近くにあったマンホールの蓋

イメージ 16

この後、天竜川池田の渡し跡を観に行きました。