浜松の普済寺と北山稲荷・・・パワースポット | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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遠州浜松発、懐かし探しの近場のお散歩
ヤフブロ時代の過去記事

 
静岡県浜松市中区広沢
 
浜松の東照宮の後、今度はそこから東にあるもう一つのパワースポットへ・・・
 
奥山線廃線跡亀山トンネルをくぐります。
 
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亀山トンネルをくぐってすぐ階段の右手から入って行きました。通常は階段を上って行った方が良いのですが・・・探検がてら、ちょと近道してしまいました。
 
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実際には裏のお墓の方から入ってしまいましたが、先ずは正面から!
 
遠州における曹洞宗の古刹「普済寺」(ふさいじ)です。
 
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普済寺(ふさいじ)
遠州における曹洞宗の古刹で、天竜川以西の曹洞宗寺院は普済寺の流れをくんでいるものが多い。
1427(正長元)年の開創といわれ、最初は現在の中区寺島町に、華蔵義曇(けぞうぎどん)和尚によって開山されたとされる。しかし何度かの洪水にあい、1432(永享4)年に現在の地に移転し、「広沢山(こうたくざん)普済寺」となった。
三方ケ原の戦いでは徳川家康によって焼かれたが、後に家康が七堂伽藍を再建。この伽藍も明治時代に火事で焼失してしまった。
江戸初期に建立された山門、また旗本気賀近藤氏の陣屋門を移築した参道入り口の総門、境内にある江戸中期建立の石橋(雲夢橋うんぼうきょう)などは見ごたえがある。
(浜松情報BOOKより)
 
 
旗本気賀近藤氏の陣屋門を移築した参道入り口の総門
 
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江戸初期に建立された山門
 
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普済寺境内
 
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手間へにある石橋が江戸中期建立の「雲夢橋」(うんぼうきょう)
 
雲夢橋の欄干には建立した岡崎の石工たちの名が刻まれているそうです。(岡崎さんのFacebookより)
 
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普済寺本堂
 
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今では鉄筋で作られてるようです。
三方ケ原の戦いで家康に焼かれてしまった理由とは・・・三方ヶ原合戦当時、浜松城が炎上したかのように見せかけるため、戦略上家康の命令で火が放たれたとか・・・
その後明治の時の火災、昭和の戦火で焼失と・・・で、今では鉄筋になったのかと。
 
で、本堂左手に赤い鳥居が・・・
 
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北山稲荷です。
豊川稲荷と同じく神社お稲荷さんでなく、お寺お稲荷さんなのです。
 
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先ずはお賽銭を入れて「オン シラバッタ ニリ ウン ソワカ」と唱えてお願い事を・・・
 
以前ブログのお知り合いの方より情報を頂きようやくここへ訪れることが出来ました。
お稲荷さん入り口横に置いたあった、「北山稲荷普済寺の由来」の書によりますと・・・
 
「・・・徳川家康が三方原合戦の折いったんは敗走しましたが、吒枳尼天(ダキニシンテン)の御加護を受けて勝戦とすることが出来た事に深く感謝し、江戸城に千代田稲荷として祭祀したと伝えられております。日本三大稲荷の一つと言われる豊川稲荷北山稲荷を分祀したものです。」と記されていました。
 
まさしく浜松のパワースポットかと!!
 
新しい拝殿の横に赤い鳥居が続いてます・・・
 
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石段を上り、途中「百度石」が・・・
 
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奥には小さな祠?が・・・奥の院なのか??
やはりここでもお賽銭でお祈りいたしました。
 
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パワー頂けると嬉しいです!
 
この後暫し奥山線廃線跡を歩いてから帰りました。
 
おまけ・・・
普済寺の門前の酒屋さんの自販機です。
黄桜河童が嬉しかったんで撮ってみました。
 
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