伊豆へ・・・重文 江川邸 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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遠州浜松発、懐かし探しの近場のお散歩
ヤフブロ時代の過去記事

 
静岡県伊豆の国市韮山韮山1番地
 
蛭ヶ島の次はそこから少し行った所の国指定重要文化財「江川邸」へ・・・
 
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「江川邸」(国指定史跡「韮山役所」の中にあり、国指定重要文化財)
主屋は単層入母屋造りの壮大な建物で、「小屋組づくり」と呼ばれる幾何学的な屋根裏の木組みは、今日でいう免震構造になっています。三和土の土間には立ち木をそのまま柱にしたと伝えられる「生き柱」や、日蓮直筆の「比伏せの護符」を納めた棟札箱が見られます。これまで一度も火災にあっていないことから、文書類・書画・武具を始めとする様々な品が残っており、その一部は屋内に展示されています。
江川家は42代・900年続く大和源氏の末裔で、江戸時代には旗本として11代273年間、天領伊豆の代官を務めました。歴代の代官はいずれも治安維持と民政に意を注ぎ、百姓一揆は一度も起きていません。特に36代江川太郎左衛門(坦庵)は名代官として知られ、海防の必要性から沿岸測量、韮山反射炉お台場の建設、わが国最初様式帆船建造種痘の実施、パン製造など多大な業績を残しました。邸内には「パン祖の碑」が立てられています。
(伊豆の国市観光協会ホムペより)
 
説明文見ただけでわくわくしてきます!
そして時代劇のロケ地にも・・・
 
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おっと!大河ドラマ「篤姫」の写真が・・・ここで撮影されたんですね!
 
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主屋へ・・・梁が見事に高く上まで組まれてます!
 
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このずっと上の方に弘法大師様直筆の「比伏せの護符」を納めた棟札箱が!!
 
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そして土間にはいろいろなものが・・・
 
アメリカ製の大砲
 
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日本で初めてパンが焼かれたパン焼き窯
 
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ここが発祥の・・・
「パンの日」
日本人ではじめて本格的にパン製造を行ったのは、伊豆韮山の代官であり、軍学者でもあった江川太郎左衛門です。
江川太郎左衛門の師に当たる高島秋帆の従者に、長崎のオランダ屋敷に料理方として勤め、製パン技術を覚えた作太郎という人がいました。そこで、作太郎を伊豆韮山の江川太郎左衛門宅に呼び寄せ、パン焼き窯を作り、1842年4月12日、記念すべき「兵糧パン」第1号が焼き上げられました。
この兵糧パンはまあまあの評判を得て、その後、大規模な製パン所で、大量のパンが作られるようになったのです。また、水戸や薩摩でも、同じようなパンが作られるようになりました。
4月12日が、いわば日本のパン発祥の日であることから、毎月12日は「パンの日」とされています。
(パン食普及協議会「パンのはなし」より)
 
 
この方↓が一番活躍して目立った江川家36代当主江川英龍(えがわ ひでたつ)さん。
 
江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。通称の太郎左衛門(たろうざえもん)、号の坦庵(たんあん)の呼び名で知られている。韮山では坦庵と書いて「たんなん」と読むことが多い。(Wikipediaより)
 
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こんなものも展示されてました・・・
 
「シャープス銃」手前「雷管式ゲべール銃」と銃で撃ち抜かれた的
 
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各藩の銃の名手がここ?で競ったとか・・・
 
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主屋から門の方を眺めた図・・・
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ここで有名な方々がお勉強を・・・
 
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WWW!「JIN-仁」もここで撮られたんです!医学館に使われたようです。
 
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敷地内の蔵には・・・
 
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韮山反射炉にまつわる物が!!
 
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有名な?!「パンの碑」
 
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隣にある韮山郷土資料館も見学できて見所満載な処でした。
 
いよいよお宿へ・・・
 
もう少しお付き合いの程・・・