今日の朝方、夢っぽい感じでメッセージがあったので、
それを携帯にメモしました。
 
文字が見えたわけでもなく、夢のストーリーで誰かが言ったわけでもなく
声が聞こえたわけでもなく、うとうとでもなく
眠りが浅くなったような状態でこのメッセージで目を覚ました感じです
 
「ミケランジェロのようにはならない」
 
 
 
 
 
眠かったけど、メモにしるし、
ミケランジェロって聞いた事ある感じだけど何かわからないと思いました。
外国の土地名かとも思って、馴染みのない名前だったので、
眠かったけど、携帯でネット検索しました。
 
ミケランジェロとは芸術家の名前で、以下の画像の
「最後の審判」を描いた人だとわかりました。
 
最後の審判
 
 
 
中央の男性は、説明を読むとイエスキリストを描いているそうです。
 
 
この後に、また寝たのですが、
また、同じような感じでメッセージがあったのに、
眠くて、大したことないいいやと思ってメモしなかったので
起きた後は忘れていました。
 
以前からうとうとや夢でメッセージがあっても
眠いのと、メッセージを聞いても大したことないと結構な頻度で思ってしまい、
メモすることをせず起きた後は忘れています。
それがすごい悔やまれます。
眠さの戦いと、大したことないと思わないようにしなくてはならないと思っているのですが。
 
このメッセージはどどんな意味が込められているか考えていました。
ミケランジェロは、有名な彫刻「ダビデ像」などもありますし、
聖書関連の芸術品が多い事をネットで知りました。
 
このメッセージは、
ミケランジェロが作った多くの聖書的な芸術品に込められている思想には、
現実はならないということでしょうか??(たとえば最後の審判)
 
 
それとも、わたしが、ミケランジェロのような芸術家(ピアノが上手くなる)
のようにはならないということでしょうか。(この解釈は可能性は低そうです)
 
私にはこのメッセージは、主のように思えてなりません。
 
今日のメッセージは、まさに以下の過去記事のメッセージの受け取り状況と
かなり似ています。
読み返したらさらに似てるって思いました。
夢に近かったメッセージと書いてます。文字が見えたとは書いてません。
そして、この時も、もう一回メッセージがあったけど眠くてメモせず忘れたと書いてます。
 
****過去記事ここから
 

 

今日の朝方、夢に近かかったメッセージ。

わたしは、眠くて迷いましたが、起きあがり携帯をとりメールのところに

忘れないようにそのメッセージを打ちました。

記しておかなければ、忘れてました。

そのメッセージは、

 

「カルデア(ヤ?)に(は?)、衣あたえられた光輝くものをみなさい」

 

このようなメッセージでした。

 

 

 

<中略>

 

 

このメッセージを、携帯のメールに書き記した後

また寝ていたら、またメッセージがあって、

起きてまたそのメッセージを書き記せばよかったのですが、

眠くて寝てしまいそれをせず、起きたときはもう一つは、

何のメッセージだったか忘れていました。。。

 

 
****過去記事ここまで

 

 

 

今朝のこのメッセージの後、
大阪で大きな地震が起きました。
 
わたしは、それもあって、昨日聖書で朗読した箇所を思い出しました。
ただいま朗読箇所は「申命記」です。(反対側の後ろの書物から朗読してます。)
 
その中のモーセが歌った歌を昨日の夜朗読しました。
この歌は、主がモーセに「書き記せ」と言われた歌です。
 
私は、この朗読を夕方読み返したとき
すっかり、忘れていることがありました。
聖書を朗読しながら、「書き記せ」という箇所があったなら付箋を貼り、ブログに記したほうがいいのではないかと
思っていたからです。
なのに、すっかり忘れて付箋もはりませんでした。
 
 
この歌はイスラエルにむけた歌で、
これからイスラエル人はほかの神々のほうに向かいそして仕え、主の契約を破るようになるので、
多くのわざわいと苦難が彼にふりかかり、
そのとき、この歌をイスラエル人に対して証しする歌となっています。
 
このぶろぐにこの歌を以下にかきしるします。
 
 
 

申命記31.19-22(新改訳)


今、次の歌を書きしるし、それをイスラエル人に教え、彼らの口にそれを置け。
この歌をイスラエル人に対するわたしのあかしとするためである。

 

わたしが、彼らの先祖に誓った乳と蜜の流れる地に、彼らを導き入れるなら、
彼らは食べて満ち足り、肥え太り、そして、ほかの神々のほうに向かい、
これに仕えて、わたしを侮り、わたしの契約を破る。

 

多くのわざわいと苦難が彼に降りかかるとき、この歌が彼らに対してあかしをする。
彼らの子孫の口からそれが忘れられることはないからである。
わたしが誓った地に彼らを導き入れる以前から、彼らが今たくらんでいる計画を、
わたしは知っているからである。」

 

モーセは、その日、この歌を書きしるして、イスラエル人に教えた。

 

 

申命記31.30


モーセは、イスラエルの前集会に聞こえるように、
次の歌のことばを終わりまで唱えた。

 

 

 

申命記32.1-43

天よ。耳を傾けよ。私は語ろう。
地よ。聞け。私の口のことばを。

 

わたしのおしえは、雨のように下り、
わたしのことばは、露のようにしたたる。
若草の上の小雨のように。
青草の上の夕立のように。

 

私が主の御名を告げ知らせるのだから、
栄光を私たちの神に帰せよ。

 

主は岩、そのみわざは完全。
まことに、主の道はみな正しい。

主は真実の神で、偽りがなく、
正しい方、直ぐな方である。

 

主をそこない、
その汚れで、主の子らではない、
よこしまで曲がった世代。

 

あなたがたはこのように主に恩を返すのか。
愚かで知恵のない民よ。
主はあなたを造った父ではないか。
主はあなたを造り上げ、
あなたを堅く建てるのではないか。

 

昔の日々を思い出し、
代々の年を思え。
あなたの父に問え。
彼はあなたに告げ知らせよう。
長老たちに問え。
彼らはあなたに話してくれよう。

 

「いと高き方が、国々に、
相続地を持たせ、
人の子らを、振り当てられたとき、
イスラエルの子らの数にしたがって、
国々の民の境を決められた。

 

主の割り当て分はご自分の民であるから、
ヤコブは主の相続地である。

 

主は荒野で、
獣のほえる荒地で彼を見つけ、
これをいだき、世話をして、
ご自分のひとみのように、
これを守られた。

 

鷲が巣のひなを呼びさまし、
そのひなの上を舞いかけり、
翼を広げてこれを取り、
羽に載せて行くように。

 

ただ主だけでこれを導き、
主とともに外国の民は、いなかった。

主はこれを、地の高い所に上らせ、
野の産物を食べさせた。
主は岩からの蜜と、
堅い岩からの油で、これを養い、

 

牛の凝乳と、羊の乳とを、
最良の子羊とともに、
バシャンのものである雄羊と、雄やぎとを、
小麦の最も良いものとともに、食べさせた。
あわ立つぶどうの血をあなたは飲んでいた。」

 

エシュルンは肥え太ったとき、足でけった。
あなたはむさぼり食って、肥え太った。

自分を造った神を捨て、
自分の救いの岩を軽んじた。

 

彼らは異なる神々で、
主のねたみを引き起こし、
忌みきらうべきことで、
主の怒りを燃えさせた。

 

神ではない悪霊どもに、
彼らはいけにえをささげた。
それらは彼らの知らなかった神々、
近ごろ出てきた新しい神々、
先祖が恐れもしなかった神々だ。

 

あなたは自分を生んだ岩をおろそかにし、
産みの苦しみをした神を忘れてしまった。

 

主は見て、彼らを退けられた。
主の息子と娘たちへの怒りのために。

 

主は言われた。
「わたしの顔を彼らに隠し、
彼らの終わりがどうなるかを見よう。
彼らは、ねじれた世代、
真実のない子らであるから。

 

彼らは、神でないもので、わたしのねたみを引き起こし、
彼らのむなしいもので、わたしの怒りを燃えさせた。

わたしも、民ではないもので、
彼らのねたみを引き起こし、

愚かな国民で、
彼らの怒りを燃えさせよう。

 

わたしの怒りで火は燃え上がり、
よみの底にまで燃えて行く。
地とその産物を焼き尽くし、
山々の基まで焼き払おう。

 

わざわいを彼らの上に積み重ね、
わたしの矢を彼らに向けて使い尽くそう。

 

飢えによる荒廃、災害いよる壊滅、
激しい悪疫、野獣のきば、
これらを、地のはう蛇の毒とともに、
彼らに送ろう。

 

外では剣が人を殺し、内には恐れがある。
若い男も若い女を乳飲み子も、
白髪の老人もともどもに。

 

わたしは彼らを粉々にし、
人々から彼らの記憶を消してしまおうと
考えたであろう。

 

もし、わたしの敵のののしりを
気づかっていないのだったら。
__彼らの仇が誤解して、
『われわれの手で勝ったのだ。
これはみな主がしたのではない』
と言うといけない。」

 

まことに、彼らは思慮の欠けた国民、
彼らのうちに、英知はない。

 

もしも、知恵があったなら、
彼らはこれを悟ったろうに。
自分の終わりもわきまえたろうに。

 

彼らの岩が、彼らを売らず、
主が、彼らを渡さなかったなら、
どうして、ひとりが千人を追い、
ふたりが万人を敗走させたろうか。

 

まことに彼らの岩は、私たちの岩には及ばない。
敵もこれを認めている。

 

ああ、彼らのぶどうの木は、
ソドムのぶどうの木から、
ゴモラのぶどう畑からのもの。
彼らのぶどうは毒ぶどう、
そのふさは苦みがある。

 

そのぶどう酒は蛇の毒、
コブラの恐ろしい毒である。

 

「これはわたしのもとにたくわえてあり、
わたしの倉に閉じ込めているではないか。

 

復讐と報いとは、わたしのもの、
それは、彼らの足がよろめくときのため。
彼らのわざわいの日は近く、
来るべきことが、すみやかに来るからだ。」

 

主は御民をかばい、
主のしもべらをあわれむ。
彼らの力が去って行き、

 

奴隷も、自由の者も、
いなくなるのを見られるときに。

 

主は言われる。
「彼らの神々は、どこにいるのか。
彼らが頼みとした岩はどこにあるのか。
彼らのいけにえの脂肪を食らい、
彼らの注ぎのぶどう酒を飲んだ者は
どこにいるのか。

 

彼らを立たせて、あなたがたを助けさせ、
あなたがたの盾とならせよ。

 

今、見よ。わたしこそ、それなのだ。
わたしのほかに神はいない。
わたしは殺し、また生かす。
わたしは傷つけ、またいやす。
わたしの手から救い出せる者はいない。

 

まことに、わたしは誓って言う。
『わたしは永遠に生きる。

 

わたしがきらめく剣をとぎ、
手にさばきを握るとき、
わたしは仇に復讐をし、
わたしは憎む者たちに報いよう。

 

わたしの矢を血に酔わせ、
わたしの剣に肉を食わせよう。
刺し殺された者や捕らわれた者の血を飲ませ、
髪を乱している敵の頭を食わせよう。』」

 

諸国の民よ。
御民のために喜び歌え。
主が、ご自分のしもべの血のかたきを討ち、
ご自分の仇に復讐をなし、
ご自分の民の地の贖いをされるから。