目を閉じて文字を見る事が最近減ったのですが、
今日のお昼眠くて、昼寝をしようとしていて目を閉じて
念力で何か景色とか見えるんだろうかとか思いながら、景色が見えたような自分の妄想のようなわからない感じに
なりましたが、それからうとうとしていたのか意識あったかわからないのですが、
目を閉じてたら、青と白の色の模様の物体が向うからこちらへ目の前を飛んでいくのがはっきり見えました。
その物体をわかりやすくいうなら、羽子板の羽根のようなバトミントンの羽根のようなもので、
クルクルと回りながら飛んでいました。私はそれを目ではっきりと追って見ました!
私の目の前をその物体は通り過ぎていきました。
最初、ミサイルみたいだと思ったけど、ミサイルもそういえばクルクル回って飛んでいるような気がします。
青と白色なのが印象的でした。
前回の記事で話題にした小山田圭吾について考えていたのですが、
愛は全世界共通とかよく言うけど、
笑いどころって人それぞれ違っていて国レベルでも違うし同じ日本人でも個人個人違うんだなと考えていたら、
小山田圭吾の笑いどころは、いじめをしてその人間を観察することが笑いどころであるんだと思いました。
笑いを求めて弱い人をいじめてるんだと思いました。それがだんだんエスカレートしていくと犯罪レベルになります。
年末年始の笑ってはいけないというダウンタウンの番組が面白いと思うか面白いと思わないか。
一種の小山田圭吾の性癖のような感じがします。
付き合ってる男性の笑いどころとか全然違うと気持ちが冷めてくるように
笑いどころって重要だよなと思いました。
と同時に、自分は絶対そうならないとは言えるのかというのも思いました。
「自分は絶対そういうことする人間ではない」と言い切る人間にはなりたくないです。
私は、このブログは書きたいことを全て書き終えたら無理に書いたりはしません。
書きたいとき書いてるだけですが、今は私の予想以上に記事を書いている状態です。
(誰かに読んでもらえてると思うと心がスッキリすることもあって、ブログを書いてるふしもあります。)
本当は、主の事について書いてもネット上の他人にマネされたりされてるので嫌なのでもう書きたくないと思うけど、
主が夢で教えて下さった、「兵士は自主的に」という言葉を思い出し、
自分が書けるところまで書こうと思っています。
ときどき、私は主に見捨てられたかも知れないと思う時があります。
特に、文字が見える事がない不思議な夢もない不思議な出来事もない通常通りの普通の生活をしているときは特に。
ブログの内容だって、酷い事書いてるかもしれません。
でも私はそれを恐れていません。
恐れていたら何もできません。
自分を信じているので、それでよいと思ってブログを書いています。
もしそれが神には罪となるならそれはそれで仕方ないと思っています。
私は、シオンの娘であり、ヤコブでありイスラエルであると思っています。
主がこのこと(前途)したことについては、
以下の聖句を残してくださっています。
これを読んで、自分自身元気づけたいと思っています。
普通の人は、シオンの娘とヤコブは別人だと解釈するでしょう。
私は、違うんです。最初に読んだときからすぐにわかりました。シオンの娘とイスラエル(ヤコブ)は同一人物だと。
それは、すぐに私のことが書いてあるとすぐに感じたからです。
イザヤ書49.14
シオンは言う。
主はわたしを見捨てられた
わたしの主はわたしを忘れられた、と。
女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。
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イザヤ書41.8-41.14
わたしの僕イスラエルよ。
わたしの選んだヤコブよ。
わたしの愛する友アブラハムの末よ。
わたしはあなたを固くとらえ
地の果て、その隅々から呼び出して言った。
あなたはわたしの僕
わたしはあなたを選び、決して見捨てない。
恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。
見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は皆
恥を受け、辱められ
争う者は滅ぼされ、無に等しくなる。
争いを仕掛ける者は捜しても見いだせず
戦いを挑む者は無に帰し、むなしくなる。
わたしは主、あなたの神。
あなたの右の手を固く取って言う
恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。
あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神
主は言われる。
恐れるな、虫けらのようなヤコブよ
イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。
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