今日の夢、
モデルの天然?滝沢カレンさんが出て来た。
この銭湯はわたしは凄く好きで毎日毎日いってるの
と何回も言っていたので逆に宣伝に聞こえた。
それから、なんとトランプ大統領が夢に出て来た。
女だらけの部屋でトランプ大統領は居づらいらしく
早く部屋から出たいそぶりをしていた。
わたしもその部屋にいた。(夢で招待でもされたのだろうか)
トランプ大統領は黄色っぽいコートを着ていた。
「OK!」といって部屋を出て行ったのが印象的だった。
わたしはその間、着替えをしながら窓から外をみると
人工の海があり、人が集まって来たねといいながら
その海にいった。
パンツをはこうとしてなぜか白い粉をパンツに振りかけ??
てたらパンツが海に流された。
でもそのパンツは男もののトランクスだった。
という変な夢を見ました。
その夢が終わった後だと思うのだけど
夢で文字を読んだ。けっこうはっきり私は夢で読んでいて
これなら起きたあと覚えてる、わたしは将来預言者になれるかもしれない
とも夢で思ってました。
起きた後は、文字の内容はほとんど忘れていましたが、
すこし覚えているのは、「○○と○○は私たちと一致」というような
レポート文書のようでした。
何かを分析しているような内容で、(わたしの分析レポートでも作ってるのか?)
私が書く文章ではないことは明らかです。ビジネス文書みたいな文章でした。
↓以下の前回書いた記事でまたまた補足させてください。
このタイトルも混乱しているので、コーランはイエスをメシアとしているという
タイトルにしてしまいました。
コーランはイエスをメシアとしているので、900人夢を見るの動画は秦氏側やらせ動画?秦氏とシーア派
どうしても、メシアと救世主というのがガチガチに
固定概念みたいなのから抜けなくて変な解釈になってますが、
前回の訂正するところはなく補足です。
以下のコーランの件です。
↓
コーラン イスラーン一家章40(45)-41(46)
そこで天使らは宣言した、「これマルヤム。かしこくもアッラー様の嬉しいお告げじゃ、
(お前は)神から発する御言葉(前出、神的ロゴスの意)を
(産みまつるであろう)。
その名はメシア。
マルヤムの子イーサー(マリアの子イエス)。
その御方は現世にても来世にても高きほまれを受け、神のお傍近き座につかれるであろう。
ゆりかごの中にあっても、また成人してからも人々に語りかけ、義しき人になられるであろう。」
と
↓
コーラン 食卓章79(75)
マルヤムの子救世主(メシア)はただの使徒に過ぎぬ(キリストの神性の否定)。
彼以前にも使徒は何人も出た。
また彼の母親もただの正直な女であったに過ぎぬ。
二人ともものを食う(普通の人間)であった。
見よ(マホメットに対するよびかけ)、こうして色々と神兆を説明して
やっても、よく見るがよい、彼らはああして背いて行く。
メシアは油そそがれた者という意味があることを前回書きました。
マルヤムの子救世主(メシア)はただの使徒に過ぎぬ。
彼以前にも使徒は何人も出た。
この部分がわたしが混乱してしまった部分です。
メシアであるイエスキリストはただの使徒に過ぎず
イエスの他にも使徒はいたということなので
イエスはただの使徒です!!
そしてコーランでは、イエスが産まれるときに天使は
その男の子の名前はメシアと言ってるのです。
それは、
創世記17-19
神は言われた。
「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。
その子をイサク(彼は笑う)と名づけなさい。
とか
創世記32.28-29
「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、
「ヤコブです」と答えると、その人は言った。
「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。
お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
※イスラエルの意味は、「神に勝つ者」
というふうに、(他にもたくさん例はあるのですが)
アッラーは、イエスキリストを「メシア(油注がれたもの」と名付けたんだと思います。
他の例をネットから拝借
↓
***
i.e.エサウ(毛深い)
コラ(丸坊主)。
ザカリアの名は(神が覚えてくださる)。
タマル(やしの木)
***
だからキリスト教のクリスチャンらが、
イエスキリストが唯一の救いぬしメシアですと言ってるのも
嘘ではないわけです。
これは前回のイスラム教徒900人が夢を見たというやらせ動画と一緒で
嘘はいってません。
コーランでは、アッラーはイエスをメシアと名付けたと書いてありますよね。
わたしは間違ってないですよね。
↓参考までにクリスチャンの文章
(万物の創造主がイエスであると書いてあるところは問題です!!)
***Michaelの文章ここから
手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。
***Michaelの文章ここまで
コーランのマンガでは終末はイエスが降りて来るらしいですが、
もしそうならただそれは終末のことであって、いまはコーランに書かれてあるようにイエスは
他の使徒と同様です。
救いぬしというよりただしくはイエスはメシアという名であって、
イエスは「油注がれたもの」という解釈をしなくてはならないと思います。
そうなると、「イエスキリスト」はどうやって名前を付けられたのでしょうか。
マタイによる福音書1.21
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい。
この子は自分の民の罪から救うからである。」
※主の天使が夢に現れて言った。
新約でも主の天使が「イエス」と名づけなさいと
言ったので名づけたようです。
↓こちら参照
***
名前の意味
まず「イエス」だが、これは古代イスラエルにおいて、神とその子孫であるイスラエルの民に繋がる名である。ヘブライ語で発音するとヨシュアあるいはイェホシュア(Yehoshua)となり、アラム語ではそれが短縮されイェシュア(Yeshua)となる。これがギリシア語でイイススと音訳され、日本でイエスとなるわけである。本来は「神(ヤハウェ)は救いなり」を意味し、ヘブライ人の名前としてはごくありふれた名前であった。よって、他の「イエス」という名の者と区別するために、ナザレが出身地であったことから特に「ナザレのイエス」と呼ばれることもあった。
「キリスト」は冒頭に記載したように救世主を意味する語である。これは古代ギリシア語からの転用であり、正しくはクリストス(Khristos)と発音する。本来はヘブライ語でマシーアハ(mashiah)と言い、「聖油を注がれしもの」、すなわち神聖で特別な存在という意味であり、これが救い主と意訳されるのである。つまり、一種の称号である。
神は救い、救世主、というこれらの二語からなる名前であるから、イエス・キリストとは非常に宗教的色彩のある呼び名といえよう。「救世主であるイエス」、「聖油を注がれしイエス」を意味するこの「イエス・キリスト」いう名は、イエスをこの世の救い主と考える立場からの呼称である。
****
マタイに書いてある「イエス」(ヨシュア)は、ギリシア語から日本語になって「イエス」になった。
本来は、「神(ヤハウェ)は救いなり」という意味でヘブライ人の名前としては
ごくありふれた名前。
コーランと新約の違いは、
コーランでは、マリアの子を「メシア」(油注がれたもの)という名を与えられた。
メシアはヘブライ語
新約では、マリアの子を「イエス」(神(ヤハウェ)は救いなり)という名を与えられた。
イエスはギリシア語で、ヘブライ語だとヨシュア
この違いです。
キリストは、ギリシア語で救世主の意味で、本来はヘブライ語のマシーアハとなる。
マシーアハはメシアと同じで「聖油を注がれもの」という意味。
↓さきほどのMichaelの文章
唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。
メシアとキリストで一緒の意味が二つここであげられてしまっている。
しかもイエスは、「ヨシュア」(神(ヤハウェ)は救いなり)という意味。
なのにイエスは創造主なのでしょうか??
まとまりない文章で申し訳ないですが、
クリスチャンがよくいう唯一の救い主メシアはイエスキリストといってるのは
間違いではないけど、
メシアは油注がれたものといういみです、だたそれを
あとから、救い主と呼び名を変えただけです。
コーランでは、マリアの子を「メシア」(油注がれたもの)と名が与えられたのです。
だからこうも考えられる。
新約は、コーランに書いてあるメシアの名を盗み取って
メシア=キリストにし、イエス・キリストにした可能性もあり。
新約の天使が「イエス」と名付けよといったのが本当かどうかもあやしくなってきたが、
わたしは新約はちょっと疑いの心でみてます。。。
コーランの内容を盗み取って、コーランの名をふせて
キリスト教義にもちこんでいる「やから」もおおいにいると思います。
RAPTもそれっぽいとにらんでいます。
それにしても、
クリスチャンのメシアの解釈は、本当にイエスを神聖化したいあらわれです。
もっとうまく文章書きたいんだけど。。。。
わたしの言いたいことがわかってもらえただろうか。。。
もう、クリスチャンたちのブログや言い分みてると
ほんっとにこちらも書くことがたくさんありすぎて追いついていかない。
ひどいです。これは。
盲信という言葉が彼らには(工作員)あてはまります。
もうひとつの問題が
Michaelが
また、主なる神が祝福された古代イスラエル人の言語であるヘブライ語ではなく、
アラブ人の言語であるアラビア語でコーランという偽物を書いた時点でも嘘だと気付くべきです
と書いたこの件です。
****Michaeの記事ここから
2017-12-31 02:47:16
また、主なる神が祝福された古代イスラエル人の言語であるヘブライ語ではなく、
アラブ人の言語であるアラビア語でコーランという偽物を書いた時点でも嘘だと気付くべきです。そもそも、コーランを盲信するイスラム教徒は、聖書とコーランを比較して矛盾に気付く知的能力が根本的に欠如しています。その矛盾に気付いてもなお、聖書ではなくコーランを信じるようなイスラム教の盲信者は主なる神に逆らっており、悪霊に支配されているか、そういう運命なのだろうと思います。そういう訳で、彼らはコーランを否定されると怒り狂い、暴言を吐きます。また、彼らは好戦的ですし、彼らが盲信するコーランのためなら殺人も厭わないような狂信者もいます。決してコーランを盲信する者の言うことに耳を傾けたり、関わらないようにしてください。なお、イスラム教の矛盾やおかしい点は調べればいくらでも簡単に分かりますが、気になる人は参考までにこちら(HULDAH MINISTORY)を読んでください。
****Michaeの記事ここまで
ほんとうに偶然に、このMichaelが書く前に
コーランは何語で書かれてあるか、再度調べていました。なんとなく
あっちの中東語だというのは認識していましたが。
コーランは、もともとは歌のようにうたうのでしたよね。
預言者ムハンマドは歌うように預言していて
だから、コーランは歌うような唱えるようにしないと意味がないらしく
アラビア語で唱えなくては意味がないらしい。
ムハンマドに降りてくるアラビア語でのコーランはとても綺麗な文章で、
とてもムハンマドが自分で考え付いたようなものではなかったそうです。
それもあってかたしか周りがムハンマドを神の預言者として認めたといいます。
翻訳はしてはいけないというようなこともどこかで言われてるらしいですが、
預言なのでアラビア語がわからないので翻訳はしてはいけないと言わないでほしいです。
コーランを広めたくないやつが、翻訳してはいけないと言いふらしてるかもしれないですね。
コーランの翻訳はすごく難しいらしいです。と井筒俊彦氏訳のはしがきに
たぶんですが書いありました。
話を戻します。
Michaelが
また、主なる神が祝福された古代イスラエル人の言語であるヘブライ語ではなく、
アラブ人の言語であるアラビア語でコーランという偽物を書いた時点でも嘘だと気付くべきです
と書いたこの件のことです。
それでこの前に偶然に、コーランがアラビア語であると調べていて、
それからイエスが、なんとか語を話していたっていう記事も見つけて
それがアラビア語という名前になんだか似てて
あれ?イエスとコーランとかイスラム教って関係あるの?とかって思って
再度調べてみました。
ネットで調べたところ、
キリストやマリアが日常話していたのはアラム語なのだそうです。
だからアラム語とアラビア語が似てるとわたしは思ったのです。
そこに書いてあったのには
パキスタンからモロッコまで、ずっとアラビア文字の世界が広がっている。
アラビア文字は、アラム文字が少し変化したものである。
とも書いてありました。
これ以上は歴史の話になりますので、長くなるのでネットで調べていただけたらと思います。
とすると、
Michaelはよくも
↓
また、主なる神が祝福された古代イスラエル人の言語であるヘブライ語ではなく、
アラブ人の言語であるアラビア語でコーランという偽物を書いた時点でも嘘だと気付くべきです
こんなこと言えるなって思うのです。
もしかしてMichaelはこの歴史自体知らない可能性があります。
でもネットで調べればすぐ出て来ることです。
よくこんなこと書けたなと思います。
コーランも嘘と言い切りました。
その勇気だけはほんとうに凄いと思いました。
Michaelは、イスラム教を異教徒といい、コーランを嘘と言い
さっとこの記事を読みかえすと
イシュマエルもあまりいいこといってません。
この辺りも、今回のMichaelの件で考えさせられる課題となりました。
以上です。
コーラン参考本
↓
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コーラン 上 (岩波文庫 青 813-1)
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