今日の夢で文字が見え、夢の中で読んでいました。

聖書のようなものではなく、何者かが書いたような内容でした。

起きて一部しか覚えていませんでした。

 

「わたしの貰ったものは、小さな王冠?冠?だった」

 

これだけ覚えていました。

フィラデルフィアの教会にあてた手紙の

「あなたの栄冠をだれにも奪われないように…」

を思い出し、これと関係があるのだろうかと思いました。

 

あともう一つの夢、大勢の人たちが移動なのか遠足みたいに歩いていて

私もその中にいました。

逃げているような感じではなかったです。

民の移動のような。。。

わたしは、ドミノ倒しになったら死んでしまうと思って障害物を

よけたりしてました。

 

あとは、その移動が終わって、目的地らしいところで

醤油皿みたいなのに、なにかまた陶器製のようなものがしいて

ある食器を重ねようとしても重ならず、

よく見たら、微妙にお皿の大きさが違うくて

「ねぇ、このお皿大きさ微妙に違うよね」って私は言ってました。

(あまり意味なさそう。。。)

 

話は変わり

前回の記事に、「ありのままの自分」を書いて、

アナと雪の女王のLet It Goを思い出しました。

 

それで、以下の過去記事にその動画をのせたので、

 

続き「主のしるし600」と自分応援歌「ファイトソング」と日記(殴り書き)

 

英語版を聴きました。

日本語歌詞はちょっと内容がソフトです。

英語版歌詞を見て、涙が出ました。

この歌詞はわたしではないだろうか。

無意識に、歌詞と前回の記事で同じような事書いてるし。

 

 


『アナと雪の女王 MovieNEX』Let It Go/エルサ(イディナ・メンゼル)<英語歌詞付 Ver.>

https://www.youtube.com/watch?v=V9JJyztJLLA

 

 

 

 

 

 

雪が山を覆う夜
足跡ひとつ残らない
隔絶された王国


私は その女王

風がうなる
心の風のように

私の苦しみを
天だけが知っている


秘密を悟られないで
いつも素直な娘で

感情を抑えて
隠さなければ

 

でも知られてしまった

 

これでいいの
かまわない

もう何も隠せない

これでいいの

かまわない

過去に扉を閉ざすのよ

もう気にしない
何を言われようとも

 

嵐よ 吹き荒れるがいい
寒さなど平気よ

 

遠くから眺めると
すべてが砂粒のよう

恐れは遠く去り
もう私を苦しめない


怯えることなく
未知へと突き進む

善悪やルールに
縛られずに

わたしは自由よ

 

これでいいの
かまわない

風と空は私のもの

これでいいの
かまわない

二度と涙は流さない

自分の道を行く
ここはわたしの王国

嵐よ吹き荒れるがいい


わたしのパワーが大気と
地に満ちる

氷の図形のように
私の魂が広がる

結晶となって
想いが形づくられる

二度と戻らない
過去はもう過ぎたこと


これでいいの
かまわない

新しい夜明け


これでいいの
かまわない

理想の娘はもういない

わたしの道を行く
輝く光を受けて

嵐よ吹き荒れるがいい

寒さなど平気よ

 

---歌詞ここまで

 

 

2012年は、夜明けの晩とされているそうです。

わたしは、2012年の8月に、向精神薬を飲んで精神錯乱になり

悪霊が憑りついたのではないかと思うような恐怖になり、

自殺(首吊りなど)を試みました。

 

そして、実家いっても自殺する勇気がなかったので、

冬まで待とうと思いました。

それも2012年の事です。

冬になったら凍死で死のうと思ったからです。

冬には錯乱状態はだいぶなくなり、雪が降る頃

死のうと思い、夜中に、家の近所の雪山へ歩いて行きました。

雪も降っていました。

山の中へ入ろうと思ったのですが、その勇気がなく

すぐに家に帰りました。

 

私は、実家にいるころ、テレビでアナと雪の女王の宣伝を沢山

していて私は知っていたと思うのですが、

実家にいるということは2012年か2013年の春まで。

精神状態が酷いわたしは、アナと雪の女王の宣伝を見てもまったく

心に響くことはありませんでした。

でも先ほど、Wikipediaで調べたところ、公開日が

 

アメリカで、2013年11月27日公開
日本で2014年3月14日公開

 

随分、早くから宣伝していたのでしょうか??

 

 

夜明けの晩が明けるのは、

2016年との事で、

ここで偶然にもわたしは、2016年に主と結婚しました。

 

2012年の夜明けの晩の自殺企図と

2016年の夜明けの晩が明ける時、主との結婚

 

 

 

以下のファイトソングも、

実家から離れ、主に導かれてここへ来たわたしのようなのです。

 

 

 

Rachel Platten - Fight Song (Japanese Subtitles)

https://www.youtube.com/watch?v=qbfWl5g2-eI

 

 

 

 

 

ファイトソングの歌詞に、

一本のマッチしかなくても

わたしは大きな爆発を起こして見せるわ

とあります。

 

 

宇多田ヒカルの「道」の歌詞には、

 

It's a lonely road.

 

But I'm not alone.

 

わたしの心の中にあなたがいる

 

とかあります。

 

 

聖書は、

たしか(たしかですみません。後でゆっくり調べます)

主が、たしかシオンの娘に向かって

 

「わたしはあなたのただ中にいる」

 

とあります。

シオンの娘は、たしかひとりでいるんだけど、

主はシオンの娘のただ中にいるような感じです。

 

 

だからやっぱりわたしはこのままひとりなのかな。

コミュ障っぽいところあるから、ひとりが好きだし

それは自分が望んだことなのかも知れない。

でも私の中には主がいらっしゃる。

 

わたし自身の最後の審判はもうすんでいるような気がする。

2012年に実家へ帰り母を介して、最後の審判をしたような気がする。

(向精神薬の錯乱状態の中で)

過去の記憶が溢れるように出て来て、母に毎日のように

わたしは過去にこんなことしました

あんなことしました

生きている価値がないので死にたい

私が生きていることは罪なので死にたい

と話していました。

母を介して主に懺悔していたような気がする。

 

主は、赦してくださり2013年にはここへ導かれたのではないだろうか。

これらのシンクロは、全て主のしるし?証し?なのだと思う。

わたしが妄想で言っているのではないのだということの。

 

イエス・キリストの共通点もあって、前に気づいたのですが

もう一つの、イエス・キリストの共通点を最近気づきました。

 

 

ヨベルの年(解放の年)が一番、主に近かった気がします。

主の御言葉に満たされたり、主が近くにいらっしゃた。

いろいろ不思議な事があった。

今は、主を近くに感じません。

でも最近、わたしの名前を呼んでくれた。

それ以降はない。

 

 

「星を追う子ども」の主題歌も

Hello

Goodbye&Hello

きみに会っていますぐ君にさよなら

 

という歌詞だし。

 

「君の名は」も

そういえば、突然入れ替わりがなくなってしまいました。

 

 

でもなぜ主はわたしをお選びになったのだろうか。

もっと前から知っていたら私の人生幸せだったのにとも思ったりしたが、

もしそうだったら、わたしはもっと高慢になって

いろんな罪を犯していただろうか。

それか、主を退けてわたしは普通に恋愛したりしたいと思っただろうか。

 

でもなんでこんなわたしなんだろう。

わたしを辱めるため?

なぜわたしが?

一番、この世ではわたしは低い位だから主が高く上げてくださった?

それはそうかも。

だから聖書に書いてあることは本当。

 

前にも書いたけど、

主がわたしをお選びになったと知った時、

自分自身、妙に納得した自分もいました。

 

 

でもこんな私で申し訳ないし、

みえないよ。わたしはみえないよ。

ハクだって、千尋を見て、内心「え?」って思わなかったのだろうか。

ハクと千尋はどう見ても不釣合い。

 

やっぱり、魂と霊って違うのかな。

わたしの魂とわたしの霊は違う人なのかな。

 

アナと雪の女王の歌詞みたく、

善悪やルールに縛られない

わたしは自由よ

理想の娘はもういない

わたしの道を行く

と思うことはいけないでしょうか。

主はどう思われるのだろうか。

 

でも私は主の御近くにもいたいのです。

これは二心を持ってしまっているということでしょうか。

 

 

この辺でとめておきます。